ぬか漬け、はじめました

 春秋の優劣と同じくらい、漬け物に関しては、浅漬けか古漬けかという好みは甲乙がつけがたい。
 とは言うものの、子どもの頃の僕は、断然、浅漬け派だった。「ほとんどサラダ」という程度に、表面にわずかに味が染みただけののキュウリ。ほのかに味がついた、紺色も鮮やかなナスの皮をキュッと噛み切り、それでいて中身はふかふかのまま。夏場なんかは、食事のほんの数時間前に漬けただけのものを好んで食べていた。
 親、特に父親が、茶色く縮んだようなナスの古漬けを美味そうに食べるのが、よく分からなかった。
 だけど、次第に僕も、しっかり酸味が効いたのも美味いと思うようになってきた。きゅーっと酸っぱいところをそのままでもいいけれど、かくやにしてもいい。細かく刻んで少々水にさらし、生姜の絞り汁を落とし、鰹節を混ぜ、醤油をちらり。こういう嗜好の変化というのは、いったい、年齢によるものなのだろうか。
 先日、実家からぬか床を分けてもらい、バンコクまで運んできた。
 まず、容器のことを考えた。大きいサイズのジップロックの端だけを空気の通り道として開けて使おうかとも思ったが、どうにも味気ない。デパートの台所用品売り場でしばらく逡巡して、結局「閉まるけど密閉されない」「冷蔵庫に収まるサイズ」「見て楽しい」という理由で、ガラス鍋を選択。そのままオーブンにもつっこめる頑丈なものだが、我が家においては乳酸菌に耐えてもらうこととする。(もし糠をだめにしても、鍋として使えるからいいや、という消極的な考えも働いている)
 とりあえず分けてもらってきた段階で、昆布や鷹の爪、ショウガやキャベツの芯なんかが入っていた。その他はともかく、キャベツの芯はさっと洗ってかじってみる。「あー、ぬか漬けの味だ」と心の底から美味いと思った。久しく口にしていなかった。この発酵臭、ほのかな酸味、そしてこなれた野菜の味。
 さっそくに色々と試す。
 定番のナスやキュウリは、こちらでは一口サイズな種類がよく売られているので、手軽。洗って、少し皮をむいて漬けておけば、取り出して糠を洗い流すだけで、包丁で切る手間もなくそのまま口にできる。ニンジンやダイコンも外れがない。ミョウガも昔からの好物。日本からの輸入なので、3個入ったパックが100バーツ(約300円)するけれど、十分見合う。
 せっかくなので、手当たり次第に漬けてみる。とりあえず冷蔵庫にあったパクチーは、一日でちゃんと食べられる味になった。
 今日は、紫タマネギとニンニクを入れてみた。これは数日待ってみる。
 これからの展望の一つは、ソムタムにする青いパパイヤ。たぶん、辛味のないダイコンという感じがするのではないかという予想。それからやはり、青いマンゴー。よく、干しエビやトウガラシなんかの混ざった甘辛いタレで食べるもの。これはもう少し青い匂いがするかもしれない。
 しかし中には、既に失敗が明らかになったものもある。アスパラガスとベビーコーンは、それぞれの味が、乳酸発酵の味とはまったくそぐわなかった。
 冷蔵庫に入れっぱなしでは、さすがに漬かりが遅かったので、二日ほどずっと外に出していたら、表面が白くなってきた。何も考えず「ま、こういうこともあるだろう」と全体に混ぜ込んだ。が、後に失敗に気付く。検索してみたところ、カビの一種だそうで、取り除くようアドバイスがあった。混ぜてしまったものはしようがない。塩を少々追加して、消毒したことにする。普段は冷蔵庫、エアコンをかけているときは取り出しておくことにして様子見。
 幸い、再発していない。
 が、安心したのも束の間、今度は全体的に水気が増えてきた。糠を手にした感触が、しっとりを通り越して、ねっちょりしている。ここもやはり、実家に問い合わせるよりも、手軽にグーグル先生。
 なるほど、昆布を加えると水気を吸ってくれる上、旨味にもなるらしい。漬かったその昆布も食べてみよう。
 翌日、それでもまだ水っぽいので、やはりネットで見つけた情報に従い、ならした表面の中央部にくぼみを作り、そこへ水が染みてきたところを、キッチンペーパーで吸い取っておく。
 ぬか漬けに用いられる語は、擬人的なものが多い。上手に育て、時には休ませ、病気に気をつけ、毎日構ってやる。手間と言えば手間だけど、この手の作業はものすごく楽しい。酔っぱらって帰って来た夜でも、細心の注意でかき混ぜる。既に、愛おしくすらある。年末にダイビングに出かけるのだけど、その5日間の留守が、今から心配だ。
 あまりに楽しいので、毎日、必ず何かをコリコリつまんでは、また新しく何かを投入している。しかしそれだと、なかなか古漬けの味わいまでは到達しない。


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