小さな魚のために

 タイ語で「プラー・カット(噛み魚)」という熱帯魚を一匹飼い始めた。日本では「ベタ」や「ランブルフィッシュ」という名称が一般的なようだ。いわゆる闘魚なのだが、ただ眺めることが目的である。
 長い間に観賞魚としても品種改良されてきているから、青を基調とした深みのある体色や、ふわりとゆらぐ幅広の尾びれの感じなどは、飽きるということがない。暇なときには、そばでずっとその動きを見ている。僕の意思とは無関係に呼吸し、動き、あるいは眠る小さな生命体。家にいて、何かの折にふっと水槽を見やり、そこに生き物がいると、独特の感覚を得ることができる。
 生き物であるがゆえの手間も発生するが、プラー・カットの場合は、特にさほどのことはない。朝夕の二回、粒状の餌を10粒ほど与えるくらい。水面に顔を出して呼吸をするので、空気を送る特別な機器も不要で、水を換えるのも週に一度でじゅうぶん。初心者にとってはまことに手軽な魚。
 その魚をはじめ、餌や小さな網、それに水槽までひっくるめて、友人からのもらい物。
 その中には、金魚藻もあった。小さな水槽にはちょっと多すぎる量だったが、捨ててしまうのももったいなく、空いたミネラルウォーターのペットボトルに水を張り、そこに保存しておくことにした。
 その様子をたまたま見かけた別の友人から注意された。「気をつけた方がええよ。蚊はどんな所でも水があったら卵を産みつけるから」
 数日後のある朝。ふと、水の中に1センチにも満たない長さの糸のようなものが動き回っているのに気付いた。顔を近づけてみて驚愕。卵どころか、既にボウフラまで成長している蚊だった。
 家事を預かる者として誉められたことではないが、預かる方も預かられる方も同一人物(僕)なのだから、しれっとしておけば済む話ではある、正直なところ。
 そうは言うものの、このピンピン跳ねるボウフラにはさすがにまいった。結構、めげた。これならまだ、ゴキブリに遭遇したり、冷蔵庫の隅でおかずを腐らせてしまう方が慣れているというものだ。
 ただ、誰かが何とかしてくれるわけでもなく、放置しておいたら事態はむしろ悪化するだけだ。気付いたその時に、自分で対処しないことにはどうにもならない。これは、何事によらず一人で暮らす人間の鉄則である。
 そこでふと思いついた。魚の生き餌にならないだろうか? 魚にしたって、毎日の乾燥した人工的な餌に比べて、よっぽど楽しい食事になるのではないか。
 このアイディアは、大成功。少量の水と共に水面にボウフラが落ちたまさにその瞬間、今までに見たことのない素早さで泳いできた魚が、シュッとその小さな口に吸い込んだ。全部で5匹ほどのボウフラが、まったくあっという間に片付いた。
 語る言葉を持たない小さな存在ではあるが、その喜びようは、水槽の中から伝わってくるようにさえ思えた。だったら、プラー・カットのために、今度はボウフラを飼おうか。


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