マンタ・スクランブル

 ゴールデンウィークの石垣島で、ダイビングと泡盛の日々。昼は海の中に遊び、日が暮れると居酒屋へ繰り出す。まったく、道楽三昧。
 当初の予定では、金曜日の夕方発の飛行機で大阪まで帰る予定にしていた。
 ダイビングは飛行機に乗る一日前の木曜が最後(身体に溜まった窒素をある程度の時間をかけて抜かないと、気圧の低い機内では、いわゆる潜水病のリスクがある)。決して悪くはなかった。狙っていたマンタも2枚見た。だけど、天気が曇りがちだった。60枚以上撮影した写真にも不満が残った。
 金曜日の内に帰宅しなければならない特別な理由があるわけでもない。土日と余裕があった方が、その後色々と都合がいいからというだけのことである。
 もし、金曜日の朝の段階で天気がよければ。もし、フライトの変更がかなって、石垣→沖縄→大阪と土曜の内につなげたら……。
 なかなか訪れる機会もない石垣島。これまで10年にわたって憧れてきたマンタを光の中でもう一度でも見られるものなら、仮に休暇が明けた月曜日から睡眠不足が残ろうと、疲労が蓄積していようと、はっきり言ってそんなのはまったく大したことではなかった。
 金曜、朝。天気は、今回の滞在で、最高だった。空はぱっと明るく、ペンションのベランダから見渡す八重山の海は輝いていた。雨の予感なんて、どこにもなかった。
 コールセンターにつながる時間を待ってANAに電話をかける。営業時間の案内が自動応答の音声で流れるだけだった。早過ぎたようだ。じりじりしながら、何度かリダイヤルを繰り返す。そして、ようやく9時になってオペレーターが出た。
 「石垣・沖縄は、ご希望の便で空席がございます。その先伊丹までは……最後の一席がございます。こちらで押さえましょうか?」
 「お願いします!」
 事務的に復唱されるスケジュールを聞くのももどかしく、電話を置いた瞬間に、宿の人に結果を伝える。
 「今日これから、もう一度行きます」
 最初の一本めは、比較的浅い場所でコブシメ(コウイカの一種)を見た。巨大と言えるほどのサイズで、5kg入りの米袋くらいはあるかもしれない。体色を一瞬の内に黒く変えながらオス同士が一匹のメスをめぐって戦う。メスは、珊瑚の隙間に卵管を差し込み、ピンポン玉のような卵をそっと産み落とす。初めて見る、この時期ならではの光景だった。
 そして、二本め。川平(かびら)石崎を目指す。ここはちょうど、クラブ・メッドの建つ浜から数百メートル沖合。「マンタスクランブル」と呼称される、世界的にも有数のダイビングポイント。
 マンタが好む場所から少し離れ、何隻もの船が環状に停泊している。船尾からエントリーし、BCDの空気を抜きながら潜行し、マンタのいるだろう場所へフィンを蹴って進む。10メートルほどの深さの所で、珊瑚や岩でできた根にかじりつき、登場を待つ。
 ダイビングで何よりも意識して避けるべきは、心理的な負担である。
 海に入ってしまえば、背負ったタンクに詰められただけが呼吸できる空気の全て。消費を節約するためにも、身体的に激しい運動をしないというのは当然ながら、同じ程度か、むしろそれ以上に気を配るべきは、自分の心持ちを制御することだ。
 低水温や予想外の潮の流れ。海水の濁りが制限する視界、深い場所への潜行。疲労や空腹感に体調不良。ありとあらゆることがストレッサーとなり、浅く速い呼吸を誘発する結果、海中での滞在時間は短縮される。
 ここに共通しているのは、自分の快適なダイビングに対する、負の要素が原因であるということだ。
 だが、そうじゃない! 夢にまで見たこの状況! 数メートル先で、円を描くように回り続けるマンタ。それも複数匹いる。横幅は3メートルか4メートル、いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。白と黒とのツートーンたちは、しかし巨大であると同時に、薄い菱形のその体躯は、あくまで優雅に美しい。
 あまりの歓喜に、体はガクガク震え、どちらを向いてどの個体に注目したらよいのかすら判断がつけられない。心臓の鼓動が早まり、「落ち着け、落ち着け」という自分の警告の声すらまったく役立たない。呼吸がうわずっているのが分かる。
 巨大さゆえに、そしてあまりの近距離のゆえに、彼らのスピードが実感としてつかめない。相当速く泳いでいるのかもしれないが、まるでスローモーションの映像を見ているようでもある。
 ときに平たく丸い口をぱっくりと空け、プランクトンを補食しているマンタ。頭部にアンテナのように生えた角みたいな部分をくるりと細長く巻いて泳ぐマンタ。
 コバンザメがくっついたその白い腹を惜しげもなくさらしながら、手を伸ばせば届く僕の頭上をするりと飛んでいくマンタ。
 アクリル製のマスク越しに、両の目で見つめながら、それと同時にデジカメのシャッターを切りまくる。震える指でモードを動画に変え、ホバリングの様を収める。
 空気を供給しているレギュレーターを口からむしり取って、ウォーと声の限り叫びたい。
 僕の身体から、時間の感覚すら抜けていく。右手首に装着したダイビングコンピュータのデジタル表示を横目で見て、経過時間がまだほんの十数分であることに驚く。残圧計を見ては、残り時間が十分にあることを、意図的に何度も確認しないと不安になる。
 パニックに近い状態だと、自分で認識していながら、対処することが極めて困難だった。
 船に上がった第一声は、「生きてて良かった」だった。インストラクターに伝えたかったのか、一緒に潜ったダイバーに共感を求めたのか、発言の理由なんてどうでもよかった。そして、生きている以上、ダイビングは続けていくだろう。


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