最後の夜

 僕はここにいてもいいのだろうか? 自分の居場所はここで合っているのだろうか?
 石垣島の最終夜。夕食がてら軽く飲むだけのはずだった。昨日までは毎夜宴会だったけれど、期間中最大で20人以上いたダイビングを核とした集まりも、それぞれ帰路につき、僕が最後の一人。それに、明日は午前の便だから、早めに眠りに就くつもりにしていた。
 だけれども、夜中の2時が目の前になった今、町の中心通りから少し入った路地にある、「おでん屋」と赤ちょうちんが掲げられた、こぢんまりとした料理屋にいるのはどうしてなのだ?
 振り出しはペンションのオーナー(ダイビングのインストラクターでもある)だった。一人でふらっと行けて、海産物が美味い店を教えてもらった。
 「量はいらないので、今が旬のここの魚を、適当に盛り合わせてもらえます?」と、登場したのはハタやブダイ、シャコ貝にヤコウ貝、ウミガメの身までもが盛られた刺身6種。ツマの海ブドウや、名前は忘れたが、薄紫色で野菜のようにしゃきしゃきした歯ごたえの海草までもが美味い。
 ビールは最初の一杯。あとは40度の泡盛を、控えめに一合だけ。琉球ガラスに注いで、ロックでとろりと味わう。
 が、隣に座った新潟から来ているというカップルといつの間にか話が盛り上がり、そこに夫婦で来ていた地元の人も加わって、乾杯を繰り返すことと相成った。
 注文する品数が増える。島らっきょの天ぷら、豆腐よう、うつぼの味噌煮。しめには「今が旬だよ」という、春を具現化したような鮮やかな緑が丼いっぱいに広がるアーサー汁。
 勢いがついてしまう。「どこかで八重山そばを食べて帰りたいんですが」と、店の主人に一軒教えてもらう。「だしがなくなったらおしまいだから、最初に訊いてみた方がいいよ」
 さいころが振られ、コマはてくてく進む。
 5月の初旬だけど、Tシャツに短パンという格好で歩いていて爽快な空気。もう閉めている店の方が多い時間だ。表通りから左に折れ、小さく光る看板に店名を見つけた。
 知らないと、絶対に一人では入れないタイプの店だ。明らかに観光客向きの雰囲気ではない。ついさっき教えてもらったはずなのに、それでも緊張感が先に立つ。だって、ソバを食べに来たはずなのに、「オデン」とあるし、カタカナで表記された店名は、その意味さえつかめない。
 「ソバまだあります?」と訊いてみる。
 「あるよー」
 「一つください」
 それでもまだ、本当に、この一杯だけをずるずるっと引っかけて宿に帰るつもりをしていたのだ。この時までは。
 先客が頼んでいたオリオンの瓶が目に入り、「あ、オリオンの瓶も一本」という辺りで、雲行きが変わる。地元の人が笑いながら教えてくれた「こっちの天気予報は当たらないからねー」というのと同じだ。気象どころか、個人的な決心すら当てにはならない。
 僕の左隣には、50代の女性(自己開示情報)、右にはサトウキビ栽培を営んでいるという、これまた同世代くらいの男性がいて、カウンターの向こうのオバアも加わって、いつの間にか会話が始まっている。
 「石垣は初めて?」「二度目です」
 「どこから?」「バンコクから来ました」
 「日本はどこ?」「大阪です」「あたし、生野区に住んでたことあるよー」
 「外国で暮らしてるのかー。水道が飲めるって、日本はいい国なんだー」「石垣の水は美味いんだ」
 酒が交わされながらの、世代を越えた深夜の談義は取り止めがない。だから余計におもしろい。話はびゅんびゅん展開し、グラスにはオリオンが注がれる。
 そのとき、カウンターの向こう側で、オバアが大きなビニル袋からがばっと掴んで取り出した青々した菜っぱに気付いた。空芯菜じゃないか!
 「タイでもよく食べるんですよ、その野菜。ソバだけのつもりだったけど、豚足とそれの煮たのも一皿」
 「そうか、エイツァーはタイにもあるのか。何、タイだと水辺で育つのかー。こっちでは畑で採れるんだ」
 しかし、飛んでくる言葉の中には、結構な割合で理解ができないものがある。イントネーションの違いなのか、ボキャブラリーそのものなのか、酔いの回った頭には既に判断がつかない。
 僕以外の人どうしでの会話にいたっては、意識して耳を傾けているのに、むしろ1割程度しか判別できない。まるで、慣れない外国語のリスニングをしているみたいだ。
 自分はここで何をしているんだ? なんで会話が聞き取れないんだ? ここにいて良いのか?
 バンコクから関空に到着し、そのまま石垣行きの便に乗り換えて過ごしたゴールデンウィーク。久しぶりに日本に戻って来たと思っていたのに。
 これはまさに旅だった。こうして、暖かくゆるやかで、暫定的な時間と空間に我が身を委ねることは、なんて心地よいのだろう。


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