仙台親孝行旅行
週末を使って仙台に行くことにした。
マイルがけっこう貯まっていたし、数週間後に再びバンコクへ戻れば、国内の旅行もしばらく打ち止めになるかもしれないからだ。
ならば温泉地がいい。だが、時間は限られている。土曜出発の日曜戻り。まずは空きがあって、時間的にも都合が良いフライトでなければならない。
行ったことのない土地が良い。できるだけ遠い方が良い。
ウェブの国内線特典航空券予約のコーナーから、出発地を「大阪全て」(伊丹・関西・神戸)と指定し、到着地を変えて検索しながら、条件にかなう場所を探す。
温泉はけっこうどこにでもあるのだが、空港からのアクセスも大切。車で1時間と言われても、ペーパードライバーだし、飲酒のために行くのだから、残念ながら却下。
女満別というのが候補に挙がったが、往路に空きが無く、断念。
大分も悪くないけれど、別府には数年前に行ったことがある。松山、道後温泉は行ったこともあるし、近すぎて何だかもったいない。
という、試行錯誤があって、ぴたりと決まったのが仙台。近郊には温泉もあるし、食事も美味そうだ。三陸の海の幸、というのも大変に興味深い。
と、ふと親切心が芽生えた。マイルもたっぷりあることだし、2ヶ月も実家に暮らして迷惑をかけているから、親孝行したろかな、と。
「母さん、週末、温泉に行かへん? 飛行機はマイルで取るし、宿代もこっちで持つで。父さんはどやろ?」
「きゃー、いい子に育ったわね! 親の教育がよかったんやねー」と、はしゃぎながらカレンダーを見る。
「うーん、たまたまデートもないし、その日程なら空いてるわ。せやけど、お父さんは、金土と出張やねん。でも、ま、いいでしょ」
「ほい、なら決まりやね。予約しとくで」
あっけない。(結果として母親も自分のマイルがあったから、そちらを使ってもらったが)
飛行機のタダ券で飛んで、あとはひたすら温泉に浸かって美味い海産物が食えれば良し、というつもりだったのだが、母親の方が俄然やる気を示し始めた。
「仙台やろー、松島まで足伸ばせるなぁ。そしたら日本三景制覇になるし。途中で、塩竃も寄りたいねー」
ほいほい。僕はニッカウィスキーの宮城峡蒸溜所にさえ行ければ満足ですので。
うんぬんかんぬん。
僕は金曜日の大阪で、徹夜で飲み続けたため、赤い目のまま帰宅したのが出発の朝。ほとんどその足で伊丹空港。機内で何とか睡眠を確保。
「仙台まるごとパス」なる、この上なく適用範囲の広い便利な切符を購入し、仙台空港アクセス鉄道で仙台駅。既にお昼過ぎ。空腹と睡眠不足からくる不機嫌に対して「すし・すし」と呪文のごとく唱えながら、塩竃まで電車で出る。
ここで、凄い寿司を食う。一品で頼んだ生牡蠣、ホヤ、殻のままのウニも、新鮮なことこの上なく、清冽な海の香りを、それでいてあくまでさわやかに味わった。
塩竃神社では結婚式風景に出会った。松島湾の遊覧船に乗って、カモメにはしゃぐ母親を後目に僕は再度睡眠。松島では芭蕉も立ち寄った寺を散策してから、仙台へ戻って宿。温泉に夕食。
つもりとして、中心部の「文化横町」などの、おもしろそうな飲屋街へ出る狙いはあったのだが、前夜がたたってダウン。広瀬川のせせらぎを聞きながら、ストンと熟睡。
翌朝。まだ梅雨入りしていないさわやかで冷涼な空気に目覚め、ぎりぎり最終の時間でお願いしていた朝食を部屋で取る。
この宿にほとんど隣接しているので、せっかくだから瑞鳳殿(伊達政宗の墓所)へ行こう。
「これから、お墓の購入予定地を見に行こか」と、元気を回復した僕は、身支度を整える母親に話しかける。
すかさず、嬉しげな返答。「伊達男の隣で永眠できるねんな!?」 朝風呂とたっぷりの朝食とで、ますます元気だ。
負けてられるか。「現世の伊達男とは、30数年一緒にやってきて、満足したやろ?」
「うん。せやから、感謝をこめて牛タンくらい買って帰るわ」
「30数年分が牛タンかいな」
「人生は一片の牛タンにも若かない」
「お、芥川龍之介?」
「と、芭蕉先生も『奥の細道』で言うてはります」
……かなわんわ。
と、まあ、だいたいこんな感じの一泊二日。
最後に、母上、僭越ながら一つだけ注文を良いでしょうか?
「ガイドブックは私が仕入れとくわ」と、親切にも、ご自身が聴講しておられる大学の図書館から借りて来られましたね。僕はそれを見て行きたいお菓子屋さんがあったのに、実際に足を運んでみるとその場にあったのはパチンコ屋。
「おかしいなぁ」と首をかしげる僕に、すましたお顔でこうおっしゃいました。
「まあ、10年前の本やから、そういうこともあるでしょう」
奥付を見たら1995年の発行。
ガイドブックと海の幸は、新鮮な方がよろしいかと存じます。ホンマに、もう。
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