秋の終わり冬のはじまり

 こう見えても、人の命を救ったことがある。
 時は1995年1月17日の未明。後に阪神大震災と呼ばれる大地震が関西を襲った。
 当時、大学1回生。京都市内の下宿も大きく揺れた。驚いたのは僕だけではない。その前夜一緒に酒を飲んだまま、自宅に帰らず床に転がっていた西宮と神戸の自宅生二人も跳ね起きた。
 後に知ることになるが、西宮の友人が普段自宅で寝ている場所には、タンスが倒れこんでいた。
 僕は、そのことについてごく控えめな態度と言葉で、「お前の命を救ったのはオレや。一生感謝せい」と提案してみる。だが、彼の返事は驚くべきものだ。
 「お前はアホか。あの晩、飲みに誘ったのは俺の方や。自分で自分の命を救っただけやがな」
 と、いう会話がこの10年来、思い出されたように僕らの間で交わされている。
 僕が命を救った友人のその後の人生に何が起こったのか、今は恐ろしいほどに美食に情熱を注ぐ人生を送っている。
 一度だけ訪れたことがある彼の会社の寮の部屋は、人が一人暮らすのもままならないほどの小さく細長い箱のような空間だったが、そこに何よりも存在感を持って鎮座していたのはワインセラー。寮に一人で暮らす人間が所有する物ではない。
 しかし、彼の持つ食事の情報というのは、確かに役に立つもので、僕も何度か美味い店を教えてもらう恩恵に預かってきた。やはりあのとき、命を助けてやってよかったと思う。
 閑話休題。
 今回、父親の還暦を祝うに当たって、彼から薦められた店へ、親戚を含めた5人で泊りがけで出かけた。父親には、待ち合わせをJRの山科駅と伝えただけで、何も知らせていない。どこへ連れて行くのか、何が起こるのかも。僕と妹と従姉妹とでのアレンジ。
 車で紅葉の山を分け入るにつれ、時たま道路際にある温度計の表示が一度ずつ下がっていく。まだ午後の早い時間なのに、山陰に入ると既に薄暗い。滋賀県の山奥と形容するにふさわしい場所だが、住所は大津市である。
 幸いにスタートが早かったので、夕方の少し前に到着。滔滔と流れる水というものが実感できる豊かな水路が店の前にある水車を力強く回している。庭の池の鯉は、こういう状況には珍しく、錦鯉ではなく、普通の黒いタイプのものが泳いでいる。
 まずは旅装を解いて、日が落ちるのを待つことなく、ゆっくりと檜の風呂につかる。独特の香りと湯気、柔らかな湯がこの上なく気持ちよい。
 早めに5時半開始でお願いした食事。小さなお膳が、七輪を囲むようにちんまりと並ぶ。
 3ヶ月ほど前に予約した際に、会の趣旨を伝えてあったので、お店からのお祝いとして竹筒に入った冷やりとした日本酒をちょうだいした。朱の椀に、小さく丸めた赤飯にあぶったこのわたが乗り、ぱらりと金箔が散らされ、淡い味の餡がまとめている。
 これからの食事に集中するためにも、やるべきことはさっさと片付けてしまうことにしよう。
 ちょっと咳払いして、父親に「おめでとう」と少しだけフォーマルに告げ、寄せ書きされたメッセージカードと、各人が用意したおみやげ大会。花束があったり、ゴルフウェアが出たり、離れたところからはムービーのメッセージがあったり。赤いちゃんちゃんこは、あげる方も気がひけるので、ノルウェイに住む妹が贈ってきたのは赤いセーター。知らなかったのだが、その高品質は有名なのだそうだ。細かな模様も良い感じだ。
 さて、やるべきことはやったので、食べることに専念する。まずは、岩魚、鯉、鹿の刺身三種(この鯉は先ほどの池にいたものだと知る)。
 ちょうど秋から冬へ切り替わるこの数日だけ、両方の季節の物を味わうことができる。「年によっても違いますし、一日だけってときもありますわ」と、ここの主人の弁。
 ほどよく焼けた子持ちの鮎を、頭からかぶりつく。冬の主題のイノシシとツキノワグマ(10日ほど前に解禁になったばかり)の鍋に添えるべく、秋の名残のマツタケが、これでもかと大皿に盛られている。
 店の主人が鍋を仕立ててくれる。
 熊肉は、「不思議な味やと言われるお客さんもおられます。肉の中で、これが一番美味しいと思います」
 冬眠を控えて、輝くばかりに白い脂肪がむっちりとついている。それだけを食べても、まったく重たさはなく、するするといくらでも腹におさまる。
 しかし、いくら食べても熊も猪も松茸もまったく減らない。本当に5人分かというほどの量。さらにこの後、トチモチが入ってうどんまであって、やっとおしまいかと思ったら「お食事用意してます」と、鯉こくと白いご飯。ご飯もつやつやして、美味い。満腹なのに、箸を動かす手は止まらない。
 最後に江戸柿の熟柿と巨峰。「お部屋でご用意します。自家製の食後酒をお選びください」で、僕はカリン。全員でそれぞれ試してみたけど、柚子が一番美味しかった。さらに宴は続き、父親が持ち込んだ赤ワインで改めて乾杯。
 檜風呂、この上なく心にしみる食事、そして美酒。たっぷり楽しんだ。いや、たっぷり父親の祝いができた。僕はこの上なく満足である。いや、いや、父親も満足であろう。
 60年間生き続けるというのはどういうことなのだろう。それは、かなりの程度ありきたりであると同時に、確かに希有なことであるとも思う。


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