共同作業としての朝食風景

 結婚生活が始まって1ヶ月ばかり。式の数週間前から当日まではずっと走り回っていた。果てて、それで落ち着くかと思っていたけれど、しばらくは実務的なあれこれのドタバタが続いた。ここ最近、ようやくなんとか落ち着きを取り戻し始め、二人で暮らすリズムができてきた。
 朝はだいたい僕の方が先に目覚める。そっと寝室を後にして、居間へ。地上18階からのバンコクの曙に目を奪われる。まだビルの窓から漏れる照明が見て取れるほどの暁は、きわめて不安定な均衡の上に立っていて、夜が駆逐され朝が始まるまでのごくごく短い時間に、その瞬間だけの美しさをそっと映し出す。柔らかで清冽な静寂の時間。
 間もなく、強烈な色彩を放つ太陽が街並みの向こうから、あるいは雲の奥から顔を出す。瞬間、力にあふれた熱帯の一日が、前書きもイントロダクションもなく始まっていく。
 風景に見とれていた僕も、本格的に活動を始める。まずは冷蔵庫を開け、濃い緑色をしたまん丸なライムをナイフで半分に切ってグラスに絞る。良く冷えたミネラルウォーターを注ぎ、種が沈むのを待って一息に飲み干す。
 小鍋に湯を沸かし、直方体のコンソメを落として朝食の準備。と、言っても朝からそんなに食べるわけでもないので簡単なものだ。
 手持ちの野菜を適当に選んで、賽の目より一回り小さい程度に切りそろえる。カリフラワー、キャベツ、ズッキーニ、ジャガイモ、ニンジン……。日本よりも野性味の強い感じのするキノコ類。何だって、冷蔵庫にある物をあまり考えず切り刻んでいく。それぞれの具の組み合わせで、味はずいぶん変わってくる。
 しかし玉ねぎは欠かせない。独特の甘みが、味の底辺をしっかりした味にまとめてくれる。
 味付けも、そのときどきで適当に。カレー粉を振ったり、オリーブオイルを垂らしたり、醤油を入れてみたり。新鮮なハーブを散らすと、それが何であれ、途端に生き生きとした味になる。でも、無ければ無いでかまわない。そんなもの、無いときの方が多い。
 卵も、そのまま落とす、溶いて流し入れる。あるいは黄身を柔らかめになるようにした目玉焼きをカップに入れ、その上から熱々のスープを注ぐ。少しの油っ気と黄身のおかげで、「しっかり食べた」という気がして良い。
 並行して、コンロに薬缶をかけコーヒー豆を挽く。カップに3杯分と少々。一杯は真っ白で背の高いマグカップに注いで朝食の席で(妻は寝起きすぐはコーヒーをあまり飲まないから、まあ、僕がほとんど飲んでしまう)。残りは保温性のマグに入れて、出勤道中の車内で二人で分け合って飲む。
 いつの間にか起き出して洗面所でごそごそ身支度をしていた妻が出てくる。彼女用の目覚めの一杯のライム水は食卓に準備済み。
 ほどなく、スープを器に取り、がりがりっと胡椒を挽いて食卓へ。細かくすりおろしたパルメザンチーズを振りかけることもある。
 もしいつもよりお腹が減っているようなら、ベーグルや全粒粉のライ麦パンを軽くトーストして沿える。
 向かい合った食卓で、今日の帰宅時間を互いに確認し、予定を立てる。外食するならば、どこのお店に行くか検討することを、それぞれの一日の課題としておく。必要な買い物があれば、買出しリストにメモしておく。週末の遊びや家事、あるいは数ヶ月先の旅行計画を少しずつ固めていく。
 お腹が落ち着いたら、冷蔵庫から取り出した自家製ヨーグルトに、パパイヤやマンゴーやリンゴや、これまた在庫のある果物をころころと切って一緒に混ぜてデザート。
 そしたら、今度は僕がシャワーを浴びて、身支度をする番だ。その間に、妻は食器を洗って、生ごみをまとめておく。
 15年ほど一人で何もかもやってきた僕にしてみれば、二人で暮らしていて何が便利って、こういう共同作業が便利だ。それも、感動的なほどに。一つのプロセスをシェアすることよりも、各々の部分を状況によって分担すること(例えば、僕が洗濯機を回して干し、乾いたら妻がたたんで棚にしまう、というのもそうだ)。時間の有効利用。
 自分一人のときから比べて、特段にやることが増えたわけではない。朝食だって同じように作っていたけれど、特に朝の時間は制約があって、「食器は水に漬けておくところまで。後は今夜」だとか、「ヨーグルトまで食べてる時間がなくなったから、そのままラップして冷蔵庫へ戻す」ということも多かった。
 打ち合わせしたわけでもないのに、初めての共同作業にしてはうまく物事が運んでいる。良い徴候だと思う。
 より良い生活のために、今週末にはスープストックを作り、小分けして冷凍保存しておくことを思いついた。いつでもクノールというのも味気ない。材料はどうしよう。牛テールもいいし、手羽先もいいし、豚のスペアリブも。
 明日の朝は、この辺を話し合っておこうと思う。


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