4泊4日のツアーで、シミラン諸島のダイビングクルーズに出かけた。木曜夜、プーケット空港到着と同時に迎えの車が来て、1時間ほど北上してタプラム港。漁港であり軍港でもあり、クルーズ船の出発地点でもある。帰港は、月曜の午後の予定。
階上のデッキで、同じグループになった人たちと自己紹介。夕食を取って軽くビールを飲んで、器材のセッティングをして早々に部屋に戻って眠る。
翌早朝、顔を洗うでも、食事を取るでもなく、まずは潜る。船尾から大きく一歩を踏み出すと、その先は海。どぷんと全身が一度漬かって、すっと海面に浮いてくる。全員がそろったら、BCDの空気を抜いて、浮力を落として潜水開始。
早朝のすがすがしい海を1時間ばかり堪能し、船に戻って朝食。次のダイビングまで一眠り。昼前にもう一度潜ってから昼食。また昼寝。ダイビング、おやつ、昼寝、ナイトダイブ、そして夕食とビール。
海の透明度が非常に高く、魚影は相変わらずの濃さ。たっぷり満足の一日。
二日目の朝、風が出ていることに気付く。そう言えば寝ている間も、何度か半醒するほどに上下の揺れを感じた。
「エレファント・ロックへ行ってみようと思いますが、島影を出たところで、もし波が高いようならここに戻ってきます」と説明がある。
岬を出た瞬間、船は制御を失ったブランコのように荒波に翻弄される。その場で一瞬の内に旋回。
お昼過ぎ、ガイドの先生が説明する。
「この海況だと、明日リチュリューロックまで上がるのは無理だと思う。今日の夕方、たまたま軍艦が迎えに来てくれるらしいんだけど、嵐が過ぎるのを期待して船に残るか、それとも軍艦で帰るか、どうする?」
シミラン諸島は無人島であるが、一帯の国立公園を管理する役所がある。そこに来た船が、帰り道に民間人を拾ってくれるという。僕らのようなダイビングで来た人間か、もしくは日帰りで遊びに来た人たちがけっこういるみたいだ。
「天気のことだから、はっきりとは言えないけど、一つだけ確実なのは、今日なら帰れるということ。月曜まで待っても、まだ今日と同じ程度の波ならこの船は動けない。だったら、また軍艦が来てくれればいいけど、その保証も今のところない。僕はお客さんが一人でも残るなら一緒に残るし、もし今日で帰るなら、代金は半分返金させてもらう」
好転を願って残りたいのも山々だが、休暇は明けたのに帰れないままという事態も避けたい。悩んだけれど、妻とも相談し、結局、この船のメンバーは僕らを含めて、全員が軍艦のお世話になることになった。ただ、船のスタッフはここにしばらく留まって、時期を見て追って帰港することになる。
ディンギーと呼ばれる、エンジンが一つだけ着いた小さなボートで、波しぶきでぐしょぬれになりながら軍艦の横につける。側面に掛けられたハシゴをよじ登り、なんとか甲板上で屋根のある場所を確保して、塩水に濡れたTシャツを着替える。
幸い、僕らは比較的早いタイミングでこの船に乗れた。見ていると、次から次へ、荷物も人も波を浴びながらやってくる。
結局、300人くらいは乗り込んだものと思う。
艦長らしき人がスピーカーから、「この船はリン号と言います。タイの南部にある島の名前です。普段は物資の補給船として使用していますが、非常時には被災者を運搬することもあります」と説明してくれた。「トイレは階上にあります。食料は用意していません。港までおよそ3時間の航海です」
これが、午後4時くらいのこと。しかし、その後にこのリン号は当然のごとく本来の任務を遂行する。物資を届けたり、あるいは島からは、たらいに満載された子亀を引き取ってきたり(この辺りが産卵地で、ある程度の大きさまでどこかで保護しておくためらしい)。次第に日も暮れていく。
まったく何もすることがないので、だいたい僕はデッキに寝ていた。履いていたサンダルをせめてもの枕代わりにして。さすがに大きな船なので、揺れはあまり感じない。
起きたり眠ったりを繰り返し、港の灯りが見えた時には、既に午後11時。
と、停船。エンジンの故障だそうだ。おい、タイ海軍。
再び無為な時間が静かに流れ、ようやくと港に残っている船が何隻かピックアップに来てくれた。救助のさらに救助である。
結局、ホテルにチェックインしたのは午前1時を回った頃だった。
そしてそれから土、日、月と、いたしかたなくリゾート滞在が続く。
せっかくだからと一度はシーフードを食べに出かけたが、店の前の棚には目移りするほど魚介類が並べられているはずが、空っぽ。あれ、と思ったら、店員が発泡スチロールの箱を開けて見せてくれた。蟹が一匹、魚が7匹ほど。「今日はこれで全部なんです」
そうか、この海だと漁師だって仕事にならないのだ。
ところで、我々が出くわしたこの嵐、ミャンマーを襲った巨大なサイクロンによるものだった。被害者の冥福と、復旧を祈る。