太ももに触れる天使

 僕に女装の趣味はない。だから、ブラジャーというものがよく分からない。肌着なのにプラスティックの部分があったり金属ホックがあったりする。しかもカップには分厚くパッドが入っていたり。どちらかというと、「装備」に近いような気さえする。
 「あまり快く思っていないのか?」と訊かれると、けしてそんなわけではないのだが(言葉を濁さざるを得ない)、あくまで、その使用感というか、着用感というものが掴みづらいのだ。ない知恵を振りしぼって想像するに、背中に手を回してホックを留めるのに時間がかかりそうだし、ストラップに汗が引っかかってたまったり、第一そのしめつけられそうなところが、たぶんあまり得意になれないものと思う。
 しかし、男性向けの衣料でも、同じくらい僕の生活感覚とは乖離があるのが、ステテコ。
 60代前半のうちの父親は、「ズボン下」と呼んで昔から日用しているけれど、どうにもその見た目が、子ども時代から僕には快いものとは映らなかった。関西の方では「パッチ」とも呼ぶが、これまた古臭さがつきまとう。もっと言ってしまえば、旧時代の遺物とさえ思っていた。
 「デイリー・ポータルZ」という、ニフティが運営している読み物系のサイトで、ステテコについての記事が2度掲載されていた。僕と同世代の筆者が、最初の記事ではステテコとは何物であるのかを検証していた。どちらかというと懐疑的な立場からスタートしていたのだが、実験している内に筆者はその魅力に目覚め、半年後の二度目の記事では、ステテコ工場の様子を取材するまでになっていた。
 あまりの惚れこみぶりにつられて、その記事からリンクされていた「ステテコ研究所」というサイトを訪れる。歴史や語源などの説明の中、特に薦められていたのが、高温多湿の日本の夏に向いた衣料であるという点。「汗を吸い取り、ズボンと肌がぴったりつかずベタ付きを抑えることができて、大変着心地が良い」
 即座に思いついた、「ここは、バンコクなのだ!」 高温多湿の見本とも言えるこの街の生活で、これさえあれば一年中心地よく過ごせるに違いないと、確信めいたものを心に抱いて、でもやはりこれまでのステテコへの消極的な思いから、とりあえず2着だけ試しにオンラインショップから注文。従来の白一色だけでなく、ある程度見られるデザインの品揃えも決心を後押しした。
 日本行きの際に、帰路の成田空港で受け取るべく手配。帰宅して、スーツケースを開けて、旅行中に着た服を洗濯機に放り込むとき、新品のこの2着も共に。
 翌朝、満を持して、出勤の身だしなみを整える。ステテコを履いた上からズボンに足を通したその瞬間、「これだ」と背筋が粟立つほどの感動を得た。足、特に太ももの感触がこれまでとまったく異なる。ウールが直接皮膚に当たらず、さら・さらとした軽やかな綿の生地が触れる。それに、一枚余計にまとっているのに、むしろいつもより軽く涼やかである。
 しかし、素晴らしさはそれだけではなかった。家に帰って、ズボンを脱いだらそのまま部屋着として利用できる。これまでの一人暮らしのときはあまり気に掛けなかったけれど、妻の手前あまりだらしない格好をするわけにもいかず、短パンやジーンズに履き替えていたのだが、その必要がなくなった。
 まだ二回履いただけに過ぎないのだけど、既に手放せない存在となってしまった。天使のブラというのがあるが、ステテコだって天使の肌着である。太ももに触れる天上の妙味を知ってしまった後では、もう、ステテコ無しでスーツのズボンを履くことなんて考えられない。
 だが、当面は2枚しか手持ちがない。毎日洗濯して乾かして履いてすぐ洗濯して干して……。
 と、「ノルウェイの森」が思い出される。ミドリという女性が高校時代の一時期、だしまき卵焼き器を買ったためにブラジャー一枚で過ごさざるを得なかった生活を述懐する。「夜に洗ってね、一所懸命乾かして、朝にそれをつけて出ていくの。乾かなかったら悲劇よね、これ。世の中で何が哀しいって生乾きのブラジャーをつけるくらい哀しいことないわよ。」
 ステテコを通じて、こんなにもブラジャーのことを連想するなんて思ってもみなかった。

 

「ステテコ研究所」(オンラインショップも)

「デイリーポータルZ」記事(ライター:T・斎藤)
 ・「ステテコが来る!」
 ・「ステテコ工場見学」


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