ちまき祭り

 配偶者の実家を訪ねるというのは、理由が何であれ、緊張するものだ。配偶者という立場になる前よりは若干の気楽さはあるものの、何を話したらいいのか分からないということには、あまり変わりがない。それでもなんとかひねり出した発話が、果たしてアタリなのかハズレなのかの判定も、即座には下しかねる。後で思い返すと、改善点ばかりが見つかる。
 唯一の頼みの綱である配偶者そのものは、慣れ親しんだ雰囲気の中にあって、存分にリラックスしている。助けを求める視線を送ったり、テーブルの下で足を小突いたりしてみても、むしろそんな状況をおもしろがっている節があるところ、僕にしてみればより一層やるせない。

 数年前のこの時期、「これ、実家で作ったんだけどよかったら」と、はじめて手製のちまきをいただいたときの感動は今でも忘れない。ずっしりと重みのある、手のひらにあまるほどの大きさの、竹の葉にくるまれた中には、しっかり味のついたむっちりした餅米、アヒルの卵の黄身の塩漬けは濃厚で、丸々ほくほくした銀杏、香りの立つ中華の腸詰め、下味をつけて火を通してある豚肉、干しエビ、ピーナツ。ただ、干し椎茸だけは残念ながら脇に避ける(椎茸は、唯一食べられない物だ、僕にとって)」
 心底から美味いと思った賞賛が先方に届いたのか、以来毎年「これはケイ君の分」と、おすそ分けをいただけるようになった。ありがたいことだ。ジップロックの大袋に詰めて冷凍庫に保存し、毎日一つずつ、惜しむように電子レンジでほかほかにして食べてきた。

 紀元前3世紀、中国は楚の詩人、屈原が身を投げた川へ、魚にその亡骸を食べられないために米を投げ入れた故事にまで遡るちまきの由来。現在のバンコクの中国系の人の間では、先祖を祀ることと結びついて捉えられている。
 結婚してはじめての「ちまき祭り(テーサカーン・バチャーン)」が近づくにつれ、妻を通じて事前に「是非、作るところから一緒に参加できないだろうか」と内々に打診していた。
 幸いにも先方にも歓迎され、「今週の土曜日」と日程の連絡をいただいていた。
 妻の実家を訪ねるというのは、緊張するものだ。しかも、大遅刻。
 混んでさえいなければ、我が家から車で15分の距離。土曜の昼前、明るい日差しのチャルーンクルン通りを走る。二人そろって寝過ごしてしまい、ほとんどお昼である。
 「あーあ、朝から来るようにって言われてたのに、こんな時間になって、叱られるかもしれへんなー」と、運転席で憂鬱にため息をつく妻。
 僕はと言えばそれ以上に気が気ではない。毎年この日は、親戚の人も参加していると言う。上海に駐在している義弟がバンコクに休暇で戻るチャンスを捕まえたとも聞いていたというのに、目と鼻の先にいる僕らがこの体たらく。顰蹙もいいところ。
 何より、4年めにしてようやく、あの至福の味のちまき作りに参加できると思っていたのに、もし作業が終わってしまっていたら、もう1年待たないといけない。
 集まっている親戚の面々から「今頃来たの? 習いたいって言ってなかった?」
 地面に置かれた大きなたらいの中には、ほんの一握りの米と具が残るのみ。「よかった、間に合って。ほな、詰めてみ」と言う妻。この状態を間に合ったと言っていいのかどうか。
 「僕は、全部の過程をやってみたかったんやけど」「そうなん? だったら前夜からの作業なんよ。てっきり、ちょっと試してみたいのかと思っててんけど」と、ほとんど料理をすることがない妻。異なる前提に立つ二人の相互理解には色々の試行錯誤を経ていく必要がある。
 水で戻した干した竹の葉二枚。縦に半分ずつ重なるようにして、下三分の一くらいのところをきゅっとひねって三角錐の頂点を一つ作る。味付けのすんだ餅米をすくって入れ、具をわさっと乗せる。ふたをかぶせるような感じで竹の葉を折り返し、親指と人差し指でぎゅっと押さえ込む。葉の余った部分を折りたたんで巻き付ける。紐でしっかり縛って準備完了。言うは易い。人が包むのを見ているのも易い。実行はきわめて困難。なかなかきれいな形にまとまらない。
 ラーメン屋の厨房にある寸胴よりも大きい鍋を軒先に用意し、小型のガスボンベにつないで湯をぐらぐらに沸かす。10個ずつ束にまとめられたちまきをそっと湯の中に落としていき、最後に十字に組んだ木で落とし蓋。「鍋の中で踊らないように」「蒸すのと茹でるのとあるけど、うちでは茹でてるのよ」
 1時間と少々の間に蓋を取ってはいけない。
 「ちゃんと火が通っていないと美味しくない。長く茹で過ぎても、べたっとしてよくない」と。では、今日はどれくらい茹でようかと、みんなが侃々諤々。今年の茹で時間は、1時間20分というところに落ち着いた。
 1時間20分。待ち遠しい時間である。誰しも居間でのんびりとくつろいでいる。土曜の昼時、よい天気である。やはり僕は今ひとつどうしたらいいのか分からない。飼い犬のチワワと仲良くなって戯れている内に、軒先の大鍋の湯気から次第に良い匂いが鼻に届く。
 その場にいる全員が竹の葉をほどいて熱々をいただく。こんなできたてをいただくのは初めてだ。
 さあ、今年分をいただいて帰ろうか。ご両親、二人の義弟、親戚の皆様、お元気で。また近いうちにお会いしましょう。
 ほっと肩の力を抜きかけた。と、母上、「明日が祖先を祀る日だから、またおいでね」


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