ブラインド

 バンコク在住6年めにして、居候生活も含めると7つめの住処。もはや引越しは趣味かもしれない。
 茶色い流れがゆっくりとした蛇行を繰り返す巨大なチャオプラヤー川に面したマンションの18階という壮大な景観の部屋を出て、移った先は都心の6階。地上が一挙に近づいた。
 そもそも自分で暮らすことを始めたのは18歳の春だった。早く親元を離れたくてうずうずしている間、自分の生活に対してあるイメージを持っていた。
 真っ白なシーツ、部屋の隅に植わった鉢植えの大きな観葉植物。傍らで静かに寝息をたてる女性。朝。朝8時から10時の間の、遅いわけでもないけれど、決して早過ぎるわけでもない時間のどこか。僕はそっと一人先に起きだして、窓際のブラインドに指をかけ、隙間からまばゆい光の街を眺める。片手には湯気のたつコーヒーカップ。
 しかし、男子高出身の18歳が、わたせせいぞう的世界観と、現実の有り様との相違を認識するまでに、さほど長い時間は必要なかった。
 たくましい想像の中から実現がかなったのは、せいぜいが自分でいれるコーヒーくらいのものだった。観葉植物だって、一度だけアイビーを買ったことがあるに過ぎないし、女性に関しては言わずもがなである。さらには、ブラインドというところだって普通にはあまりお目にかからない。実際にこれまで住んだことのある中では、学生向けの下宿であろうが、賃貸マンションであろうが、バンコクのコンドミニアムであろうが、すべからくカーテンであった。
 ところが、思わぬもので、今回の引っ越し先には、ブラインドが装備されている。寝室を除いた、台所も居間も、風呂場だって全て。
 ブラインドとは、その名の通り外から内を見せないようにする物。このアパートメントを外から見ると、閉ざされた建物だという印象を受ける。普通の住宅街に建っているが、外壁自体が暗めの色で統一されていることもあいまって、周囲からは少し隔絶されて見える。
 だが、住み始めてすぐに知ったのは、それはまた一方で、内側に独立した世界をを作り出すためでもあったということ。
 併設のバーもレストランも、ブラインドでぴしっと外を遮断することで、周囲との連続性を断ち切った上で、むしろ内部の空間が完全に新規に作り替えられている。外への視界を敢えて遮ることで、閉じられた内部を孤立させ、まったく新たなコンセプトで空間を再構築することを容易にしている。
 それは自分の部屋についても同じ事が言える。ブラインドを下ろし、白と黒でまとめられた独特の内装の中にあっては、その高度なデザイン性にどっぷりと浸ることができる。完全に切り取られた部屋の存在は、「ここは僕の居場所だ」という認識を強くさせる。僕はそういう「自分だけ」に閉じこもった感じが好きだ。
 紐を引いてプラスティックの板の角度を調整することで、平行に切り取られた風景が表れたり、閉ざされたりする。自分の視線に対し、100%からゼロまでの連続的な景色の取り込み方を選ぶことができる。これはカーテンではできない芸当だ。
 しかし、ブラインドの実際の使用は、思っていたより難しい。角度のつけ方によっては、採光したり景色を眺めたりすることはできても、外部から部屋の中を見えないようにできるはずだ。しかし、頭では理解していても、この感覚にまだ少し慣れない。これまでは、川・空・街という総体的な景色だったところが、急に、一軒の家、木の一本、ジョギングをする一人の人というように詳細な具体性を帯びて眼前に迫ってくる。あまりに地上が近い気がする。
 こちらからよく見える分、逆もそうなのではないか。誰かに見られるかもしれないという漠然とした不安から、やはり外を見るときにはブラインドに指をかけて隙間を作っている。


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