異文化にぶつかるとき

 中国旧暦新年、春節である。
 「しんちあゆーいー・しんにーふわっとちゃい」という言葉を、初めて教わり練習したのはちょうど1年前のこと。当時、結婚式まであと2ヶ月ほどに迫った頃合で、「お正月の挨拶に実家に行きましょう」と彼女から誘われたときのことだった。
 先の語句、漢字に戻すと「新正如意 新年發財」である。新年の挨拶の定番。妻は中華系の血を引く三代目。いわゆる華人である。
 今年も妻の実家へ出かけることになった。やはり縁起物のミカンを手土産にして。昨年と違うのは、「婚約者」から「義理の息子」へと立場が変わっている点、先方のご両親と会う際の僕の緊張感が少しは軽減されていること。それから、お年玉。
 こちらでは目上にお年玉を差し上げるのだそうだ。数日前に妻から「両親と伯母(同居している)、それから祖母。あとは弟二人にもちょっとだけ包むから、これはもちろん私の側の話なんやけど、もし良かったら一部、気持ちとして出してはもらわれへんやろか」
 もちろんである。半分出すよと言ったけれど、「そこまではええから」ということで、1万5千バーツを渡す。妻は銀行で新札の100バーツの束に換えてもらい(100バーツ札は赤色をしている)、赤とか金のめでたそうな封筒に入れていた。この封筒のこと、ひいてはお年玉のことは「アンパオ(紅包)」と呼ぶ。しかし弟さんへの分は「おもろいから」と、先日の日本で仕入れた、本当のお年玉用のぽち袋にしていた。
 「しんちあゆーいー・しんにーふわっとちゃい」の挨拶を無事済ませると、妻が僕をこづいて言う。「ほら、お年玉、あなたから渡して」と。
 家の中にしつらえられた簡単な祭壇にお線香を上げ、祖先を礼拝。お札に見立てた金や銀の紙を筒や舟の形に折って、それを火にくべる。儀式らしいのはこれくらい。
 揚げ海老シュウマイ、魚の胃袋のスープ、魚のつみれと豚の胃のスープ、竹の子の煮込み、海南鶏飯、大きなボラやマナガツオの蒸したもの、アヒルのローストなどが、大きな鉢や皿に並ぶ食卓に、先方の家族と一緒に座る。日曜の朝からビールを注いでもらう。義父もかなりの大酒飲みなのだが、数ヶ月前に救急車で運ばれて以来、きっぱりと断酒している。一人だけ飲んでいるのも申し訳ないが、ご馳走とビールに思わずにやにやしてしまう。
 母上の料理はどれも本当に美味しくて、「君と結婚してよかった。お母さんのご飯が食べられることが幸せだ」と、半ば本気で、そして概ねは冗談でいつも言う。妻はまったくと言ってよいほど料理を作らない。炊飯器の使用法も知らなかった人だ。
 「あたしも家でこういう料理食べたいと思うわ。せやから、あんたがちゃんと母に仕込んでもらっとくんやで」と言われるのがいつものオチである。
 さて、お年玉を渡すのはもう一人。義母方の祖母。この孫にしてこの祖母ありだと思わせる、愉快で元気な82歳。海南島から移民してきた第一世代。
 最初にお会いした際、「ああ、僕が結婚をするこの女性も、あと50年経ったらこういう感じにしわくちゃになって、そしてコロコロと笑っているんだろうな」との想像がふと胸にわき、そして僕は自分の伴侶選びが正しいことを確信した。
 海外旅行が好きで、一人でもひょいひょい出かけてゆく。つい一月前も、留学している孫の卒業式に冬の上海に行っていた。ただ、残念なことに、ガンが発見され、数日前から入院中。
 彼女の子どもと孫、10人以上が既に見舞いに来ていて、入りきれない人たちが廊下の椅子に並んで座っていた。
 内の一人の伯父が言う「(祖母には)僕ら子どもが全部で8人いるんや。ほんまはあと二人おってんけど、亡くなってもうてな。もうちょいおったら、サッカーチームができたで、ほんま」
 中に入ると、ベッドに横たわった祖母は「いややわぁ、今日は入れ歯してへんから、若い男の人と話すの恥ずかしぃ」と、相変わらずである。
 「おばあちゃん、啓の手をぎゅっと握ってみてみ」と妻。その力に僕は少なからず驚いた。思わず痛みを伴うほどに強く、その小さな乾いた手が握っていた。
 祖母はにこにことしながら言う。「そりゃあ、昔はずいぶん苦労してんから、そう簡単には衰えへんよ」
 しかしそれでも数日前よりしんどそうなのは傍目にも明らかだった。回復を祈りながら、それでも僕は来るべき日にどのように妻の助力になれるかを考え始めるべきだろうとも思いながら部屋を後にする。
 病院の駐車場を出るとき、さらにもう一人の叔母に出会った。
 妻が言う。「ほら、この人がおばあちゃんの一番末っ子なのよ」
 「若く見えるよね」
 「だって、私のたった二つ上やねんで。お姉さんみたいな感じで一緒に育ってきてん」
 軽いショックを持った不可解な感じに打たれた。何か違和感がある。二つだけ年上の伯母さん?
 頭の中で整理して、再度妻に尋ねてようやく理解した。つまり、お祖母さんが末っ子を出産されたその2年後に、その末っ子の4番目のお姉さんにあたるところの人は娘を、つまり僕の妻を出産しているのだ。
 自分の妻を通じた異文化に出くわすとき、いつだって、ずいぶんと大きなマットレスのような、ぼわんとした塊にぶつかったような気がする。ものすごくパワフルな何かがそこにある。


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