女子校

 男性である僕にとって、女子校の門をくぐるというのは僥倖である。門の向こうは、未知の花園である。そんな風に思うのは、思春期の3年間、男ばかりの高校に通っていたことが尾を引いてるからなのかもしれない。当時でも、気の利く一部のクラスメートは、近隣の女子校に彼女や親しいお友達やらをつくって学園祭の招待券をもらったりしていたけれど、僕には遠い世界の出来事だった。
 大学時代には理科系の学部に所属していたにも関わらず、文学部と教育学部の講義も掛け持ちして「高校英語科」で教員免許を取ろうと目論んでいた。教師を目指していたわけではなく、「女子高へ教育実習に行きたい」という不純極まる動機だったわりには、それなりによく勉強した。特に、文学部でかじった生成文法というロマンティックな概念や、読み物としてもおもしろいコンラッドやカンタベリー物語の講読などには、本業よりも力を入れていた気がする。
 だが、教育実習に際しての「関西近郊の人は、原則、出身高校へ行ってください」とのガイダンスに、この夢も打ち砕かれた。
 「土曜の夜に、学校で同窓会があるんだけど」と妻が言う。二つ返事で同行を引き受けたのは、彼女が通ったそこが女子校だからではなく、配偶者のこれまでの道のりの一端に少しでも触れてみたいという、夫としての好奇心からだということ、念を押しておきたい。
 彼女が語る学校生活の思い出の中で、「一時期、スカートめくりが大はやりしてん」と聞いたことに、何かしらの期待を持ったわけではないことも、やはりしっかりと表明しておく。
 運動場に円卓がずらりと並べられ、指定されたテーブルへ行くと、そこには僕も何度か会ったことのある人たちがいた。おお、そうだ、僕らの結婚式の2次会のときに、一番お酒を飲んで一番賑やかだったグループだ。さっそく妻は話の輪に入る。
 舞台上では、同窓会から現在の学生への奨学金贈呈。学校の歩みの紹介ビデオ上映で、部活動や英語大会などの表彰歴の披露。優秀な生徒が王族から賞を授与されているシーンもある。そして、在校生による舞踊の披露。
 と、次のプログラムが発表されるや、デジカメや携帯電話を片手に、若い女性たちがだだっと舞台の前に走っていった。まるで疾風のようだ。何だいったいと訝しく思ったら「アイドル歌手が歌うのよ」と妻が教えてくれた。
 ところが、僕らが座るテーブルと、その隣の、50年前の創立間もないころの卒業生と思しき人たちのエリアは、相変わらず全員が席についたまま、食事を続け会話に花を咲かせている。
 「世代がちゃうからね」と言う妻も興味がなさそうだが、僕はもっとない。コンサートの間に、ぐるりと学内を一回り案内してもらった。
 「聖ルイ」と校名に冠されている通り、カトリックの団体が経営母体なのだが、その目で見ると、僕の通っていた高校もマリア会の学校だったので、なんだか似通った雰囲気があって懐かしい。
 聖王ルイ9世をはじめ、聖人の銅像がいくつかある。うん、僕の高校の校舎のてっぺんには、マリア像があった(ごていねいに、夜はライトアップされるのだ)。構内のあちこちに聖書の文句が掲示されている。僕の高校の教室には、ラファエロの聖母子像の絵の横に、「地の塩、世の光」というマタイによる福音書の言葉が飾られていた。
 ずばり「ヨハネパウロ2世棟」という建物がある。86年のタイ訪問の際にここにも立ち寄り、祝福を授かったのだそうだ。
 バンコクのヨハネパウロ2世という取り合わせも珍しいけれど、天王寺区とバチカンというのも、それなりにおもしろい。名前は失念したが、バチカンから、こてこての大阪の学校に要人が来校し(法王ではなかった)、全校集会で「生徒たちに一日のお休みをプレゼントしてください」と校長先生に向かって語って、やんやの喝采を浴びたことを覚えている。
 廊下の掲示板に先生たちの顔写真が一覧されている(役所などでもこの手の掲示をよく見かける)。ほとんどが女性だが、中には男性の姿も。妻が通っていたその当時、この学校初めてとなる男性教員がいたそうだ。
 妻の過去を知り、共通項をも見出す喜びの中に、会ったこともないその教師に対する羨ましい思いがずいぶんと混じってきた。


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