スーツを仕立てる

 2年弱ほど前、結婚式の準備が始まった頃、彼女は高らかに宣言した。「ウェディングドレスは、オーダーメイドやからね」
 度肝を抜かれたが、結局は腹をくくる他、そもそも僕にとっての選択肢は存在しなかった。サイアムスクエアの中にある「ピーター・ケリー」という静かな店の2階で、長髪のデザイナーと意見を交わしながら、一枚の白紙にボールペンで描かれたスケッチから始まり、徐々に仕上がっていったそれは、結局、日本の式場で一日レンタルするよりも安価だったことに、僕はさらに驚いた。
 それならばと「僕のスーツやシャツも仕立てたらいくらですか?」
 スーツの上下、ベスト、シャツが2枚(1枚は絹)、全部で4万円もしなかった。
 スーツの質を詳しく語れるほどの知識を持っていないが、少なくとも日本でこれまで買って着てきたものと比べて、遜色があるとは思えなかった。
 思い立ってというほどではないけれど、いくつかのタイミングがうまいこと重なって、つい先日、僕の日常使いのスーツを仕立てることにした。
 今回の仕立屋は、妻のお薦め(「友達のお父さんがよく使ってる」「たまたまだけど、うちの会社のボスもここ」)の店。オリエンタルホテルの一帯にある。チャオプラヤ川が、諸外国を結ぶ主要交通路であった時代のバンコクの近代化の玄関。当時としては開明的な、今としてみればそういった趣の残るエリアである。
 狭く雑然とした店内の棚に並んでいる中から布地を選ぶ。いちおう、各パーツのカタログのようなファイルがあって、それから選択することもできるし、あるいは手っ取り早くは見本になる服を持ち込んで、これと同じように、ということも可能。どちらかというと乱雑にファッション雑誌が置かれているので、ぱらぱらめくって気に入るものがあれば、「ここのこんな感じを採り入れて下さい」というのでもだいじょうぶ。
 自分の中にあるイメージを各種実際の素材で補強しながら、しゃしゃしゃしゃーと笑う、分厚いレンズの眼鏡をかけた白髪の店主に伝える。
 サイドベンツ。袖口は本切羽。ボタンは5つでそれぞれ少しずつ重なるように。裏地の部分にもステッチ。外側の糸は布地と同じ色、裏地のはその色より濃いめの糸で。店にある雑誌で見かけておもしろかったので、フラワーホールを二つ取ってみる。裏地は青と緑の中間のような不思議な深い色。決して派手ではないけれど、ちょっと遊び心。肩のラインはあまりいかつくならないように、柔らかめにと注文。
 せめて少しなりとも細く見えるようにという切ない気持ちから、ウェストは心持ちしぼりぎみ。チェンジポケットもつけて、いずれのポケットも少しだけ斜めに配置。
 この他にも、伝え忘れていたけれど、仮縫いの段階で、内ポケットはお台場仕立てになっていた。またポケットの内布は銀色のペイズリー柄が選ばれていた。ぱっとは見えないところの遊びは、より楽しい。こちらの意を汲んでもらってのことだろう、感謝。
 まあ、確かに、少々やり過ぎている感は否まないけれど、たまにはこういうのも良い。合間に店主から、「いや、ここはもう少し長めにとった方がよい」といった助言が適宜出てくる場合もある。なんだかんだ言っても、大した知識も持たない客としては、最終的にプロフェッショナルに委ねられる、という安心感がある。
 「パンツは2本作っておいてください」と頼み、「で、お値段は?」と聞くと(これだけ色々オプションをつけたからちょっとしたことになるのではないかと、日本の感覚があった)「8千5百バーツやね」と。
 日本にいる頃、20代から30代前半の年代あたりに向けた、デパートのフロア区分でいくと「ヤングアダルト」の階に並ぶブランドの既製品のスーツをよく買っていたけれど、その3分の1程度もしない。これだけ安ければ、ハズレでもいいやと安直に思ったが、何度かの手直しの過程を経てできあがってみると、満足度合いはそれらの比ではない。デザインの細かいところが好きに注文できるだけでなく、何よりもイメージの打ち合わせから仮縫いを経て、徐々に完成していく過程が、世界でただ一着の、ただ自分だけのものが作られているのだというその気分が何とも良い。
 今回のやりとりでタイ語の語彙が一つ増えた。ステッチのことを「ダムナム」と言う。「ダム=潜る、ナム=水」であって、一般的にはこれは「ダイビング・潜水」の意である。
 「なぜに?」と聞くと、説明は明快だった。「糸がやね、潜ったり浮いたりしてるやろ」


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