美しい写真への試み

 これだけの物欲に駆られたのも久しぶりのこと。新しいデジタル一眼カメラ、オリンパス・ペン・E-P1。発表された二日後には、もうオンラインで購入予約。運良く発売日直後に日本から来る知り合いがいるので、無理を言って運搬をお願いした。手元に届くまでの数週間は、毎日飽きることなくメーカーのウェブサイトや、既に入手した人たちのレビューを、繰り返し眺めていた。
 衝動的な買い物、というわけではない。そもそも最初に一眼レフカメラを欲しいと思ったのは学生時代の最後の頃だから、10年少々前のこと。
 旅をする人の中には美しい写真を撮る人がいて、憧れがあった。コンパクトカメラで撮ったスナップの現像が仕上がるたびに、それらは確かに旅の途上の色々なことを思い出させてくれたけれども、いつどの街で何を見たのかという記録という観点の方に寄っていた。一方で、実際の風景、特に空の色合いや空気の有り様に対して抱いたはずの感情の記憶に対しては、どうしても埋まらない差があった。一眼レフカメラがあれば良いのかも、との思いが心のどこかに生まれた。
 当時既にキヤノンからEOS Kissというシリーズが出ていて、確かにそのネーミングは、それまで思っていたよりも一眼レフカメラを身近な存在にしていた。(キスをするように写真を撮ろうという意味合いだとばかり思っていたが、実は「Keep It Smart and Silent」の頭文字を取っているのだと、初めて知った。いかにもあてはめたという感じはあるけれど)
 だけど、3点ばかりの理由で、その思いつきが実効に移されることはなかった。
 まず、何よりも難しそうだった。理論を知らなくては、使いこなすことができなさそう。露出とか絞りとかシャッター速度とか。用語を聞きかじるだけで、腰がひけた。
 理由その2。値段が高かった。正確には記憶していないが、そこまで払って、という自分自身の心理的壁が高かった。それに、欲求を覚え始めた1999年から当分は、一眼レフと言えばまだフィルムカメラであった。撮るだけ撮って、後でばっさりファイルを消去するという時代はもう少し先。シャッターを押すための覚悟、とまではいかなくとも、フィルムの一コマという具体的な物を消費することへの意識があった。
 その3、デザインがあまりに無骨であった。真っ黒で、いかつくて、特にせり出したグリップの部分が、ぎょろりとしたレンズのごつさと相まって、日常使いの道具として身の回りに置いておくことへの魅力には、あまりに乏しかった。
 この三つを比較すると、最後の点が最も大きな意味合いを持っていることに、今さらながら気が付いた。技術や知識については勉強すればよい。本を読むなり詳しい人に聞くことで対応できる。値段も、今回の99,800円だって日常の支出感覚からすると少し高いが、旅行に行ったり、パソコンを新しくすることを考えればさほどではない。
 この10年間、思い出してはたまに、各社のカタログを眺めたりしていたが、日進月歩の技術面はさておき、デザインにはさしたる進歩がなかったように思う。それがすっと解消されたのが、このE-P1であった。長い間の行き場のない欲求に、ようやくと具体的な行き先が目の前に提示された嬉しさがあった。
 世界最小、最軽量。小型化追求の結果、ファインダーが無いのも気に入っている。ごつい機械を顔の前に持ってきて顔をしかめてのぞきこむという撮影の姿自体に、拭いがたい違和感があった。そもそもデジカメには大きな液晶画面があるのだから、片目を閉じて小さな窓をのぞく必要がどこにあるのかがよく分からない。新幹線も通っているけれど、敢えて青春18きっぷで鈍行の旅に出るような面白さがあるのかもしれないが、個人的にはしかし「そんなもん、取っ払ってしまえ」と判断した開発陣に拍手を送りたい。
 いいことばかりでもない。取っ払いすぎて、フラッシュが外付けオプションなのは逆に残念な点。必要だと思うので買うには買ったのだけれど。洗練された金属外装の本体に比べて、プラスティックというのも、満足感を減じさせる要因である。
 ところで、正確に言えば、このカメラには「レフミラー」がないため、一眼「レフ」カメラではない。メーカー自体は、マイクロ一眼と呼んでいる。だけど、僕の心の奥底に脈々と貯まっていた物欲の正確な対象は、決して一眼レフカメラそのものではない。サイトに記述されていたコンセプトのフレーズが、うまい具合にこの気持ちを代弁してくれている。
 『欲しいのは一眼レフカメラではなく、一眼レフカメラでしか撮れない「写真」。』


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