目からうろこの鶏から揚げ

 目からうろこが落ちる体験というのは、人生においてそうそう頻繁に起きるものではない。だけど今回のこの驚きは、個人的にはまさに目からうろことしか言い様がないものだ。
 自分の家の台所で、まず揚げ物を作らない。第一に、目に見えないけれど気化した油が部屋に漂って匂いがしばらく残るのが好きではないから。それに残った油の処理や、ぬるぬるの鍋や皿をきれいにすること、周囲に飛び散った油を拭き取るなどの後片づけまで含めた手間を考えると、外食した方がよっぽど良い気がするから。食べること自体は決して嫌いではないのだけれど、突き詰めれば、得られるものに対しての各方面での手間を考えたとき、まったく効率が見合わないのだ。
 前回、ちょっと実家に帰ったときに「マンガ版お料理入門」という本を読んだ。料理研究家の土井善晴に、漫画家の小波田えまが料理を習う。あまり料理が得意でない漫画家が、独特のキャラクターと料理への愛情を有する土井先生に教わるその過程もおもしろいが、そこで語られるコツというのが、実にささやかなことながら、実践的でためになる情報でいっぱいだった。その一つに、僕の目からうろこがはらりはらりとこぼれ落ちた。
 鶏のから揚げを作るのに、調味して小麦粉と片栗粉とをはたいた鶏肉を、冷たい油にそのまま入れる!
 ページを繰りながら、ははは、冗談でしょ、と思った。一般的な「熱した油にじゅわっと投入」というイメージを強固に持っていたからだ。だいたい、粉が流れ出してぐちゅぐちゅになるのではないのか。
 翌日の昼、母親との話の中で「あれ読んだん? ほな、作ってあげる」とずいぶん気楽に言ってもらった。母も油物を作るのはあまり好きではなかったはずだが。
 やはり、火をかける前の油にそのまま入れていく。実際に目の前で行われていても、まだ半信半疑だ。だが、次第に油が熱せられ、じゅわーっと細かい泡が立ち上ってくるにつれ、衣もいい色になってくる。油の使用量も少なくてよく、全部がかぶる必要がない。ので、頃合いを見計らってひっくり返す。
 カリッとして、中はジューシー。これだけ美味しいから揚げも、久しぶりに食べた。下味は醤油とニンニクとショウガだけなのに。火の通し方一つでここまで完成度が高まるものなのか。
 帰宅してさっそく自宅でも試してみる。揚げ物を家で作ったことはゼロではないはずだけれど、最後の記憶がいつだったか、正確に呼び覚まされないほど、それは遠いことのように思える。
 ただ、このやり方だと、まとわりついていた否定的なイメージがかなりの程度、解消される。中華鍋にたっぷりの油、ではなく、片手の小鍋に数センチ注ぐだけ。しかも、鶏を入れた瞬間に辺りに油が跳ねることもない。総合的な手間がずいぶんと低減できる方法だ。
 できあがったそれは、幸い、妻にも大好評。お弁当に入れてもよし。調子に乗ってその週末は、大唐揚げ大会となった。砂ずりやレバーも一緒に揚げて、白ご飯とビールと共に。大量に作ったので、下味をつけて片栗粉をはたいた段階で小分けして冷凍庫にも突っ込んでおく。
 実家の台所、目の高さあたりの棚には2枚の写真が飾られている。母親が日々台所に立ちながら見える位置だ。一つは、僕と妹が3歳とか4歳とかの頃の、少し色褪せているスナップ。二人とも実家を離れて十数年、老夫婦と呼んでも差し支えなくなってきた二人だけの生活の中、昔を懐かしむ気持ちは僕にもそれなりに理解できる。
 そして、もう一枚は比較的最近のもの。高揚した面もちの母親が、父親でない男性と一緒にソファに腰掛けている。よく見ると、土井先生ではないか。
 実は、うちの父親が仕事と趣味との双方の関係で親しくさせていただいている。今回の一冊も、著者署名が入っている一冊だ。
 写真を見ていた僕に母が言う。「センセとツーショット撮らせてもらったのよ。いやーそれが、ええ男やねん、ほんまに」
 目から落ちたうろこをもう一度拾ったら、そのまま耳栓にならないものか、と思った。  


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