アンコールワット再訪

 2009年から2010年への年越しは、アンコールワットだった。年末年始の休みが4日しかないカレンダーだったので、近所を選択。スワンナプーム空港を飛び立ち、水平飛行に移ってすぐの機長アナウンスに「飛行時間はおよそ35分を予定しております」とあり、コーヒーを飲み終えるかどうかの間に、もうシェムリアップに着陸。
 空港の出口にはガイドの出迎えがある。今回は、移動、食事、案内、全てが込みの、JTBバンコク支店によるフルパッケージツアー。
 「個人的な旅行の手段として、自分で意図して選んだ、行きから帰りまでをケアしてくれる」というツアー旅行は、生まれて初めてなので新鮮な体験であった。考えなくてはいけないことは「指定された時刻に待ち合わせ場所に現れること」だけである。あとは、何もかもがうまい具合に流れていくように、本当にしっかりと考えられていた。
 その昔は、こういう旅の仕方を、我が身に起こることとして想像できなかった。エアコンの効いたバンに乗り、ガイドの案内で遺跡から遺跡を点で結ぶ団体を横目に、「何がおもしろいんだか」と。ツアーの旅行というのは、自由の対立項だと理解していた。しかし今回、効率的であることは、確かに便利であると思ったのはまぎれもない事実だ。学生時代に、バックパッカーとして自由勝手に外国を歩き渡る快感に目覚めてから、実に13年という月日が流れていた。
 その13年前の夏、初めて東南アジアを旅した中で訪れた町の一つがこのシェムリアップだった。町というよりも、村という感じだった。全体的にもっと暗闇の中にあった。夕食をとりに川沿いの市場まで歩くのにも少しだけ緊張感が必要だった。電気は通じていたが、停電も日常的に起きていた。闇に落ちると、宿の娘さんがろうそくを配って回った。
 ところが今回、その変貌ぶりには目を見張ることになった。道路は全てアスファルトに覆われ、夜の町もおしなべて明るい。デパートまであって(設置されたエスカレーターは開店当初大人気で、「私も乗りに行きました」と流暢に日本語を話すガイドのホンさんが教えてくれた。)。
 当時泊まったゲストハウスは普通の民家の一つに過ぎなかったのが、ずいぶんと大きな建物に発展していた。ホテルと言えば、今はラッフルズさえ建っているのだ。この町にとっての13年間は、実に大きな変更を経るに足る時間だったようだ。
 一方で、遺跡そのものにとっては、千年の歴史の前にあっては、13年なんていう月日は誤差にすらならないのだ。敢えてかつてとの相違を探すとすれば、修復や整備が進んでいることくらいだろうか。砂岩に精巧に彫られた女神や天女の柔らかな微笑み。バイヨン寺院から周囲を見下ろす巨大な石造りの観世音菩薩の四面塔。地上20メートルにも達するだろうかそんな巨木の根が、崩壊を食いとどめているのか促しているのか分からないバランスで石造りの建物に食い込むタプローム寺院。
 今は亡き王国が作り出した寺院や街の痕跡に凝縮されているのは、信仰心や権力や芸術への指向。往事の人の思い、それが具現化し千年を経ても実態として残る「遺跡」が、訪れる者の心に抱かせる圧倒的な感情には何ら変わるものがない。
 僕自身にとってはどうなのだろう。時を経て同じ地点に戻り、当時の自分を思い出す。1996年、二十歳の学生だった夏休みのある日に訪れたこの遺跡や、缶ビールを片手にした夕暮れのゲストハウスの軒先に戻ってみる。確かにそのとき、「またいずれ再び来ることはあるだろう」と思ったことを、はっきりと記憶している。
 それにしても、当時の自分の思い及ぶ範囲は限られていた。町の発展も、自身の変容も、あのときには決して思い至るものではなかった。いったい、10年と少し先に、JTBのツアーで来るだろうなん思ったか。しかも自分の妻たる人と。我が身に起きた大きな変化は、シェムリアップの発展の度合い以上だ。
 年齢と共に変わりゆく環境や自分自身が否応なく存在し、その過程で両手の指の隙間から流れ落ち、取り戻せなくなる記憶がある一方で、アンコールワットはしぶとく残り続けている。
 何かの折りに立ち戻ってみたときに、ぶれることのない定点を世界のどこかに持っていること。そこを基準として自分にとって流れた時間を意識できること。とにかく行ったことのない土地だけを求めて歩き回っていた当時には思い至ることのなかった、旅の魅力の一つである。


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