二人の人生

 「あなたと付き合ってから、自分の人生が変わった」
 ここからどういう言葉が続くのか、悪い話には発展しないはずだ、一般的には。
 続いて耳に飛び込んできたのはこんなセリフだ。
 「お酒を飲むようになってもうた」
 ちらりと頭をよぎったロマンティックな香りはどこにもない。むしろ恨みがこもっているような口調ですらある。
 僕の妻であるところのこの女性、知り合った当時は、全く飲まないわけでもないが、食事のときに軽めのカクテルを一杯という程度だった。それが、僕との付き合いが長引くにつれ、彼女の日常にアルコールが占める割合がその領域を広げつつある。
 僕としてはうれしい話である。目の前にいる相手が飲まないのに一人でグラスを傾けるのは、遠慮もあれば申し訳なさも生じる。人生を共にしようと決意した相手と、乾杯できるのは喜ぶべきことだ。
 それに、もう少し踏み込めば、こちらが酔っぱらって何かをしでかしたとき、相方がまったく酒飲みの生理を理解してくれなかったら、これはもうひたすら頭を下げて許しを請うしかない。しかしその相手自身もお酒に慣れているのであれば、ある程度までは「ま、そういうこともあるやろ」と苦笑いで済ませてもらえることもあるだろう、との甘えと打算もある。
 しかしそのためには、飲酒とその結果に伴う痛みや苦痛や悔恨を通り抜けてきた実体験が必要だ。僕も、それなりにやらかしてきた自負がある。肉体的な方も、精神的な方も。自己に対しても、そして他者に対しても。そういう中で、なんとかかんとか酒と共に、ここまで生き延びてきている。
 ただしかし、妻の経験はまだ浅い。その経験値の少なさ故に、自分で自分の限界の見極めができない。
 5月末の3連休。半ば突然の思いつきで、2泊3日、ソウルに遊びに行って来た。当地に暮らす友人がいることも大きかった。
 最終日夜。一軒めでは最高級の韓牛の焼き肉を食べ、二軒めでワタリガニの醤油漬けをちゅうちゅうすすり、三軒めに居酒屋。1時を回るまで、各種のマッコルリを次から次へと飲んでいた。
 散会し、ホテルへ戻るタクシーで妻が戻した。小物類を整理するために持っていたジップロックの袋があったので助かった。
 翌朝、目が覚めたのは、本来ならば空港行きのリムジンバスに乗っているべき時刻だった。僕は、こういうこともあろうかと、最後のタクシー代分のウォンは残していたし、時間的にもまだ間に合うタイミングだったので、さして焦るわけでもなかった。それなりに予測していた事態ではある。ただ、少しそのぶれ幅が大きかったのは、妻の状況だった。どっぷりと二日酔い。深夜便で到着して以来、肉体的に疲れていたところに加え、旅の楽しさから許容量以上にアルコールを摂取していたのだ。
 できることなら、水を飲ませた上で夕方くらいまでベッドに寝かしてあげたい。けれど、飛行機は待ってくれない。意識の朦朧としている彼女をベッドから引き離すことに罪悪感を覚える。チェックアウトし、タクシーに乗り込む。車は高速道路を気持ちよく流れ、車窓から差し込む朝の光は、美しく爽やかに妻の顔にも注ぐ。蒼白な顔面、その目は落ちくぼんでいる。
 仁川空港。チェックインしてラウンジへ。今回はタイ航空のビジネスクラス利用なのだ。僕はここでうきうきしながら最後となるマッコルリを飲む。妻はわき目もふらずトイレへ。ああ、もったいない。
 搭乗し、シートベルトを締め離陸。水平飛行に移るまでのしばらくの間も妻の吐き気は治まらない。座席前のポケットにある防水処理が施された紙袋、実際に活用する人を初めて目の当たりにすることになった。
 シートベルト着用のサインが消えた瞬間から、妻は座席を真横に倒し、毛布をかぶり固く目を閉じている。一心不乱に肉体的つらさから逃れようとしている。僕はその横で、振る舞われるシャンパンを次々といただく。
 「お酒の匂い……気持ち悪い……」と耳に届くか細い声。そのつらさは痛いほどに分かるので、できるだけ彼女からグラスを遠ざけて飲む。食事も僕一人だけ。食後にはチーズのサービスがあって、僕はポートワインと共に何種類かつまんだが、左隣の毛布のかたまりは、時折ごそごそと動く程度。
 帰宅してからも「もう、お酒は怖い」と、1週間は口にしなかった。けれどいつの間にか、また少しずつ戻ってきた。
 先日、居酒屋で飲んだときにまた二日酔いをやらかしていた。次の朝に「もうお酒は飲まない」と宣言。だがしかし、その日の夕方になると「少しだけ飲もうかな」と言い出した。飲まないと決意してからそれが破られるまでの間隔が短くなりつつある。
 自分にも覚えがあることで、だんだん立派な酒飲みになりつつあるのではないかという気がして、僕としては嬉しくも可笑しい。これからずっと、事ある毎に「酒はやめた」と深い決意を心に刻み続けるのだ。繰り返し、繰り返し。共に歩もう。


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