つながっている

 タイ語で、「私の娘に子どもが産まれたんですよ」と、数名の知り合いに対して言った。文法的におかしな点は無いのだが、内容は大間違いである。僕に娘なんていない。それは「娘」(ルークサーオ)ではなく、「妹」(ノーンサーオ)であるべきなのだ。
 外国語を使っていると、分かっていても、言い間違えることが多々ある。個人的な問題なのかもしれないし、ただ単に習熟度合いが低いからというだけの理由なのかもしれない。妻に言わせれば「そもそも、頭が悪いからちゃうか」となるが、そういう彼女だって、日本語の「点ける」と「消す」がいつもごっちゃになっている。
 出産したのは、僕の娘ではなく、僕自身でもなく、僕の妹である。
 予定日から6日ほど経過していたが、この間の毎日は、連絡が来るのを今か今かと楽しみに待っていた。そして今日の夕方ついに、無事誕生との速報を父親が携帯からメールで送ってきてくれた。即時、妻にも知らせて、日本へお祝いの電話をかけた。
 僕も妻もそれぞれに用事がある金曜の夜だったのだが、その後で、午後10時にスコータイホテルのバーで待ち合わせて祝杯をあげることにした。
 僕の方が少しだけ先に着いたので、ギムレットを一杯。
 「お代わりはいかがですか?」と、カウンター越しにバーテンダーに聞かれて「いや、ちょっと待ちましょう」と言っているときに、ちょうど後ろから肩をたたかれた。
 迷わず、シャンパンを一本開けることにした。特別な日に、高揚する胸に流し込むにふさわしい。
 グラスから立ち上る泡を眺め、薄いグラスを合わせて乾杯。
 僕の妹のことであるのだが、その話しぶりからも、我が妻も同様に喜んでくれていることもまた、嬉しい事実だった。
 昨年の10月、妹夫婦が新婚旅行でバンコクへ来たとき、妻の側の家族と食卓を囲む機会を持った。そこでは、妻の両親とその息子二人、僕と妻、そして妹夫妻という3組の家族が、チャオプラヤの川面をなでる風を感じながら、タイ料理に舌鼓を打っていた。
 妹夫婦は双方とも英語は話すが、妻の両親が操る言葉は、タイ語の他には中国語(海南語と潮州語)である。なので、両者間に言語を介した直接のコミュニケーションは無理なのだが、そのことはまったく何の影響も与えていないように見えた。笑い声が次々わき上がる楽しい会だった。この場に一番緊張していたのは妹の夫と思うが、生来の性格の良さからか、それなりに、という以上に打ち解けているように見受けられた。このこともまた、喜びであった。
 このとき、僕が得たのは「家族が広がっていく」という、我が身にとってまったく新しい感覚だった。それと同時に、つながっているのだという、力にも似た存在感もあった。他者どうしを強く結びつける結婚という状況を契機として、人と人とのある種の特別な関係が、次々と前向きに作られていく。それは、拡大を続けながらも、同時に常に向心力が働いている場でもある。
 今回、2011年の2月の初旬に、小さな一人が新しく加わったことで、世界はさらに一段階の広がりを見せ、さらにありがたいことに、このニュースは妻の側の家族にも喜びをもって迎え入れられた。
 実は、予定日を過ぎて2月に入ったときに、妻がこう言っていた。
 「もしかして、お祖母ちゃんの命日と一緒になるかもしれへんね」
 2年前に亡くなった、彼女にとって最愛の祖母のことは、折に触れて思い出している。来週末には法事が行われる予定でもある。そんな話の中で、つい先日、義母がこんな夢を見た、ということを聞いた。
 「お祖母ちゃんがね、『パスポート無いから、そっち戻られへんで困ってるねん』って言ってたんや」
 その夢を見た日、義母はいつも足を運ぶヤンナワー寺で、お参りグッズのパスポートを奉納してきたのだそうだ。
 多くの人に待ち望まれながら、予定より少し遅れ気味に、この小さな小さな新人が僕らの住む世界にデビューしてきたのは、その夢から数日後、2年前に祖母が他界したのと同じ日であった。
 そこに何かしらの意味を見出すことも、偶然だと見なすことも、それは人によってそれぞれだろうが、少なくとも僕が思ったのは、「つながっている」ということだった。  


戻る 目次 進む

トップページ