進化する道具
道具というのは、便利だと思う。あるいは、人の生活にとって便利なものを我々は道具と呼んで重宝しているのか。その基本は、人が行うことを代理でこなしてくれるものだが、結果、ものすごく省力がなされたり、のみならず人間では真似できないほどのレベルでの稼働により生活そのもののあり方さえも変わることがある。
ここ最近、衝撃的だったのが、ブラウン社のブレンダー。3年ほど前の結婚当初、ジューサーを欲しいと思っていた時期がある。ただ、デザインやサイズの観点からピンと来るものがなく、そのままになっていた。ところが、先日、アマゾンで買い物をしている最中に、バナー広告に目が留まり、即断で買った。
ミキサーとは真逆の発想で作られた道具で、食べ物をミキサーに入れるのではなく、食べ物にブレンダーを入れることで撹拌する。その威力たるや。
毎朝、冷蔵庫にある果物を2種類ほど、そこに氷と水を少々、場合によってハチミツや豆乳や牛乳やヨーグルトなどを混ぜ、スイッチを入れる。ものの数十秒で、冷たいフルーツシェイクができあがる。
果物はなんでも手当たり次第。リンゴ、キーウイ、マンゴー、パッションフルーツ、ライム、ドラゴンフルーツなどなど、週末のスーパーでの1週間分の買い出しのときに、えいやっとまとめ買い。イチゴなんかは使い切れないから、洗ってヘタを除いて凍らしておく。妻はパイナップルが気に入りで、僕はマンゴーのねっとりした感じが好きだ。
夜の時間であれば、ここにアルコールを加えてフローズンカクテルも。
また、野菜スープ。オリーブオイルをひいた鍋でタマネギを軽く炒め、水気がある程度飛んで甘味が出たあたりでカボチャを入れる。ざっと炒めて、水を注ぎ、キューブのコンソメとローリエを一枚。胡椒をがりがり。味付けは少し濃いめにしておく。あくをすくいながら、火が通って柔らかくなったらコンロから下ろす。そこにブレンダーをつっこんで、スイッチを入れると、みるみる内に全体がとろとろとした濃い黄色のポタージュ状になる。
粗熱をとって、密閉容器に小分けし冷凍庫。食べるときには電子レンジで解凍し、牛乳を加えて温めることで、いつでも熱々のカボチャスープ。朝の忙しい時間にも手軽でよい。
バリエーションも簡単である。ブロッコリーは妻にも受けがよかったが、セロリは「青臭い」と大不評だった。僕は彼女と違って野菜を愛好しているので、セロリスープは感動するほどの美味だったのだが。アスパラガスは美味しいが、細かな筋の部分が少し口に残る。空豆は濃厚な豆の味が、飛び上がるほどに美味しかった。
このブレンダー、刃の部分のアタッチメントを交換することで、撹拌以外にも、細かく切るという機能も持っている。モロヘイヤのスープが好物なのだが、洗って葉だけを摘み取って、みじんに切る、その手間がかかる。しかし、ブレンダーを使うと、最後のプロセスにかかる時間がものすごく短縮できる。この作業は、付属の専用のプラスティックの容器内で行うので、まな板にはりついた粘りをたわしでごしごしと洗う手間も省けるという副次的な効果もあった。
挽き肉もできるので(厳密には、<挽いて>はいないが)、自分の好みの割合の合い挽きもできる。
しかし、万能性に目がくらみ、鰹節を入れてみたのは失敗だった。さすが世界一固い食べ物。いちおう粉状にはなったものの、逆に刃の一部が欠ける結果となった。無精せず、鰹節削り器を使うより手はなさそうだ。
新しい道具によって、世界観が変わる。例えば親の世代くらいだと、それまでの生活を変える家電品の3Cという言葉があった。現在の我が家で、技術の高度さを突き詰めた道具はどこまで来ているのかと考えてみると、パソコン(MacBook Air)や、妻が持っているiPhone、あるいは液晶テレビという辺りになるだろうか。
一方で、逆の方向を向いてみたら、洗面所の床に置いてある竹踏みに思いが至った。電子的な動作ではなく、物理的に働くという観点において、ブレンダーというのは、パソコンよりもむしろ竹踏み寄りの道具である。
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