パッタイ

 「パッ」は炒める。「タイ」は国名。すなわち「タイ炒め」
 「タイ風焼きそば」と訳されることも多いが、そばの原料は小麦ではなく、米。数ミリ幅の平たい乾麺を水で戻して使う。艶やかな半透明。つるつると滑らかで、くにゅくにゅと口に吸いつき、むちっとした歯応えがある。
 パッタイ屋台のフライパンは、並の大きさでない。子象がしりもちをついた跡くらいはありそうな丸い鉄板を使う。油をひき、紫タマネギとニンニクで香りを出したところへ、麺を入れ水を加える。
 干しえび、細かく切った堅めの豆腐、塩漬け大根などを、フライ返しの先で素早くすくい取っては混ぜていく。
 味付けに、ナンプラー、タマリンド酢、砂糖、トウガラシ粉。
 卵を割り入れ、最後にニラとモヤシをざばっと投入。さっと火を通して皿に取り、砕いたピーナツをぱらり。
 麺が油を吸ってしまうので、カロリーはけっこう高いのだが、ライムを絞るとさっぱりする。付け合わせに、生のニラ、モヤシ、それに独特のえぐみを持つバナナの花のつぼみ。
 具に大きなエビを入れたり、薄焼き卵でくるんだりするバリエーションもある。
 国名が冠されている通り、タイを代表する料理の一つであるが、その歴史は意外に浅い。
 さかのぼること、およそ70年。時のピブーン内閣は、「国家信条」と呼ばれる国民の行動規範を打ち出した。1939年の第一号では、「シャム」から「タイ」へと、国号の変更を発表。
 さらに、国語・国字改革、国歌の制定、国産品の振興など、愛国主義的な政策が次々と発表された。
 そんな機運の中で、新たに「国民食」として考案されたのが「タイ炒め」
 それまで、麺類といえば中国、という認識だったところから脱却して、タイ人の麺料理という観点も重要視された。(背景には、経済の実権を握っている華人への反発もあったようだ。その後、中国語の新聞や学校への制限をはじめ、種々の弾圧が行われたのも歴史的事実である。)
 一連の政策の中には、欧米を倣った物も散見され、「スカートやズボン、帽子着用の奨励」などから、「出勤前のキスの奨励」などまであった。
 21世紀初頭の現在、キスの方は歴史の中に姿を消したが、パッタイはそこかしこの屋台で食べられるほど、見事に根付いている。

神戸新聞/2005年11月18日掲載


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