金の糸
14世紀半ばに成立した、タイのアユタヤ朝。
ヨーロッパや中東から東アジアまで交易が行われ、国際交流の盛んな時代だった。
日本との関わりも深い。朱印船によって輸入された堺の刀は、今でもバンコクの博物館で見ることができる。逆に、琉球王国へ伝わった酒は、泡盛の起源となった。
現地で傭兵を率いた山田長政は特に有名だが、最盛期には千人以上の日本人が暮らしていたとされる。
チャオプラヤー川を挟んだ日本人町の対岸には、ポルトガル人街があった。ここに、時代を映すかのように多くの国の血を引いた、マリー・ギマルドという女性がいた。
父親は、日本人とイスラム系タイ人の間に生まれた子。
母方の祖母はポルトガル人。祖父は、キリシタン大名の血を引く長崎の人。キリシタン禁制により、日本から逃れてきた。
そんなマリーの夫は、ギリシア人の母とイタリア人の父を持つ人物。彼は、外国人でありながら政府高官として時の王の寵愛を受けていたが、歴史の綾の中、わずか38才で処刑される。
マリーも2年間入牢するものの、料理の才を認められ、王宮に召し出されて製菓部長という役職に任ぜられた。
ポルトガル菓子を紹介し、タイに菓子の黄金期をもたらしたのは、このマリー・ギマルドに他ならない。
内の一つ、「フィオス・デ・オヴォシュ(卵の糸)」は、タイ語では、「金の糸」を意味するフォーイ・トーンと呼ばれ、現在でも広く好まれている。永遠の愛や長命を表す縁起物であり、結婚式にも用いられる。
ジャスミンの花を浮かべた蜜を煮たぎらせた中に、溶いた卵の黄身を細く滴らせて作る。
鮮やかな黄色い糸が幾重にも重なり、見た目も麗しい。繊細な糸をそっとつまんで口に運ぶと、とろけるような甘味と、濃厚な卵の香りが口いっぱいに広がる。
これと同じ物は、ポルトガルの植民地であったマカオやブラジルにも伝わっている。
のみならず、博多や京都で有名な「鶏卵素麺」という和菓子も、ルーツは同じ。
海を渡り時を越え、美味をつむぐ卵の糸…。
神戸新聞/2006年1月27日掲載
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