食う寝る潜る

 マレー半島を思い浮かべてみて下さい。あなたの頭の地図には、どんな国がありますか?
 「マレーと言うからにはマレーシア」……ではあるのだが、何もマレーシアだけではない。北半分をタイとミャンマーがほぼ二分し、マレーシアは南半分のぷっくりした部分。そしてその先にちょこんとシンガポール。
 久しぶりに10日ほどの休日があったので、バンコクから南下してプーケットにやって来た。ちょうど半島の真ん中辺り、西側に浮かぶ島である。タイは76の県に分けられるが、プーケットは唯一、一島で一つの県とされている。東京からの直行便も飛ぶほどに日本でも知られたリゾート地であるが、僕の今回の目的地はもう少し先。
 到着の翌日に船に乗り込み、島を離れる。プーケットの西北に浮かぶシミラン諸島での4泊のダイブクルーズツアー。タイの物価を反映して、ダイビングの料金も日本と比較すると格段に安い。現に数年前の僕も、大学生活の終わり頃のバックパック旅行のついでにサムイ島やタオ島を訪れて、そこでライセンスを取得した。今回一緒に潜ったメンバーの中にも、卒業旅行という名目でタオ島とシミラン諸島でひたすら海を楽しむ学生のグループもあった。
 タイの天気予報でも「南部東側」「南部西側」と区域が別扱いになるほどに、マレー半島東側のタイ湾と、西側のアンダマン海とでは状況が大きく異なる。そして、今の時期はシミラン諸島に代表される西側がダイビングのシーズンなのだ。
 シミラン諸島はまた、タイ全土に79ある国立公園の一つでもある。海の美しさは折り紙付き。ダイバーの憧れの的であるマンタ(オニイトマキエイ)が数日前に出現したという話しも聞いて、否が応でも盛り上がる。さらにジンベイザメにも高確率で遭遇できると言う。
 ツアーの間は、寝ても覚めても海の上。一日の行動はだいたいこんな感じだ。「7時前起床・ダイビング・朝食・休憩・ダイビング・昼食・休憩・ダイビング・おやつ・日没見物・ダイビング・夕食・11時頃就寝」、いわば「食う寝る潜る」である。
 ダイビングの楽しみ方は人によって様々あるが、大した技術も機材も持たないなまくらリゾートダイバーである僕は、のんびりと景色を見物して、海中を漂うふわふわした身体の感覚を楽しむということが主眼である。
 デジカメを持って潜るものの、100回シャッターを切って、内の1枚に少しは見られるものがある程度。そもそも、写した魚の名前もよく知らない。
 海から上がって記録を付けているときに、図鑑を参照しながら詳細に検討しているチームもある中で、僕と同行者は「白黒の縞模様で、黄色いヒレに黒い斑点の魚、ペアでおったな。まるで、居酒屋やってる阪神タイガースファンの夫婦みたいや()」とか、「あの大きなハリセンボン、目玉がくりくりしてて西川きよしみたいやん()」とか、「ブワァーッと泳いでたアジの群、迫力あったけど、やっぱり光モノは食欲そそるなぁ」とかの感想に終始する。
 結局、マンタとジンベイザメにお目にかかることはできなかったが、ゆったり優雅に泳ぐカメや(見上げたそれは、まるで水色の空を滑らかに飛んでいるようだった)、岩の下でじっと息を潜めるサメ、ひらひらと砂地を漂うエイ、さらにはバラクーダの群、その他もう数え切れないほどの数と種類の生き物を堪能。地形もユニークで、海中に巨大な岩がごろごろしている場所もあれば、多種多様な珊瑚が異形の世界をカラフルに展開しているポイントも。
 懐中電灯を携えてのナイトダイビングでは、昼間とは世界観ががらりと変貌する。岩陰に赤くうごめくカニや、珊瑚の根元で眠る虹色のブダイ、さらには緑色にきらきらと光る夜光虫の美しさ。
 そして何より、一日のダイビングが終わった後、波に揺られながら満天の星のもとで飲むビールは格別である。日本では寒い季節の星座として馴染んでいるオリオンも、暖かな海風の中にきらめいている。
 楽しい時間は流れが速い。あっと言う間にプーケットに再上陸。だが、目を閉じればそこに浮かぶのは海中の風景であり、一晩経っても身体がゆらりゆらりと揺れる感覚がまだ続く。


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