帰ってきた鉄の女

 マーブンクローンセンターというショッピングコンプレックスのシネコンで、今月封切られた「鉄の女2」という映画を見て来た。僕の家から徒歩で5分の場所にあって、全席指定だし、多少リクライニングもできる座席になっているし、料金も100バーツ(300円弱)なので、娯楽としてもタイ語の勉強としてもなかなかにお手軽である。
 前作は2000年の作品だが、実は日本でもその翌年に公開されている。僕もスカイビルの中にある梅田ガーデンシネマで大笑いしながら見ていた記憶がある。
 この映画、タイ語のタイトルは「鉄の女」であるが、邦題は「アタックナンバーハーフ」。こう書くと「ああ、あれか!」と思い出される方も少なくないのではないだろうか。当時、日本でも話題になった。その後もDVDやビデオで発売されているので、あるいはそちらでご覧になった方もあるかもしれない。
 ちなみに同じく映画のタイトルで、タイ語で「鉄の人間」というと、「ターミネーター」のことである。これはそのままのイメージだが、「鉄の女」たちは未来からやって来るわけでもなく、身体を改造している……とある意味言えるかもしれない。タイ語で言うところの「クラトゥーイ(オカマ)」が活躍する。
 ストーリーを至極簡単に言ってしまうと「オカマのバレーボールチームの物語」である。詳細に語ろうとしても、なかなかこれ以上の説明もし難いところではあるのだが。敢えて分類するならば、スポーツ物と言うよりもむしろコメディに含まれるだろう。
 前作では、オカマを中心にした混性の男子バレーボールチームが様々の困難を乗り越え国体で優勝する、という96年に実際にあった出来事を元にしたストーリーであった。「2」では、その後に分裂してしまったメンバーが、再び結束を取り戻し国体を目指す。今回は、バレーボールそのものよりも、個々人の描写と関係性についてがより多く描かれていた。オカマとしてどのように葛藤し成長してきたのか。彼女らはどのように出会い、友情を深めていったのか……。
 タイにはいわゆるオカマが多い。そして、ごくごく普通に生活を送っている。僕にとって一番身近な存在は、週に2度ほど顔を会わせる大学の先生。始めの頃こそ奇異に感じたものの、今では敢えてそのことがクラスで話題に上ることもない。
 以前この欄で、僕の通う大学の文学部は学生のほとんどが女子だと書いたことがあるが、少数派である男子の中にも一目でそれと分かるオカマ、あるいはまさに変化を遂げつつある存在が数多く含まれる。
 しかし、完全にではないものの社会的にも容認され日常的に接することが多いと言ったところで、やはり少数派であることに変わりはなく、差別や偏見とも無縁ではいられない。前作でもそうだったが、頭を空っぽにして笑える中にも、その哀しみのようなものを見てとることができる。
 物語の終盤、因縁の相手との対決。最後の瞬間、誰もが息を飲む中でボールの行方は……。審判の采配はどちらに下ったのか。その時、選手は、監督は、そして満員の観客は何を思いどういう行動をとったのか。
 少なくとも僕は、ラストシーンに涙が少しだけこぼれた。

・参考リンク:「鉄の女2」


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