3度目の新年はめでたいか
新年、明けましておめでとうございます。バンコクで暮らし始めて11ヶ月、3度目の正月を迎えた。
西暦、中国旧暦と続いて、タイ旧暦での正月はソンクランと呼ばれ、3つの正月の中で最も賑わいを見せる。ソンクランという語はサンスクリット語起源で、「通過し、入って行く」という意味を持つ。具体的には太陽が12の星座間を月に応じて移動することを表すが、タイ旧暦においては太陽が白羊宮に入る4月13日を元日とし、「大ソンクラン」と呼ぶ。普通ソンクランと言えば、この「大ソンクラン」、すなわち新年を指す。この時期はまた農閑期でもあり、過ごしやすい寒季が終わり、猛烈な暑季に突入する時期でもある。
農耕社会において、水は繁栄や幸福を象徴する。伝統的に、ソンクランは年長者や僧や仏像などに水をかけ、敬意を払い徳を積む期間である。また町中では、派手に賑やかに水をかけ合う。水は穢れを落とし、豊富な雨を望む気持ちを現す。
旧来的な農耕社会の色彩をとどめながらも、特にバンコクを中心に発展を続けるタイ。その過程にあって、伝統文化の有り様も時と共に移ろっていく。
タイ人に「ソンクランの祭りは、どこに見物に行ったらおもしろい?」と訊ねると、反応は概ね二種類に分かれる。「毎年田舎に帰っているから、バンコクのことは分からない」と答えるのは地方出身者。バンコク人からは「カオサン通り」という答えが多い。
バンコク中心部の西北、王宮やワットポー、それにチャオプラヤ川にも近い地区に位置する長さ300メートルほどの通り。「精米通り」という意味を持つその名が示すように、そもそもは近県から船で運ばれてきた米の集積地であった。80年代後半から各国の旅行者が集まり始め、現在ではその通りを中心に「カオサンエリア」を形成するほどに拡大し、安宿、旅行代理店、飲食店、雑貨屋などがひしめいている。タイにありながら、外国人が圧倒的に多い地区である。
かく言う僕も、バックパックを背負って貧乏旅行をしていた6、7年前には、大学の休暇の都度、ここに宿をとっていた。ただ、その頃の一般的タイ人の認識は「カオサンは外国人が多くて、危険な地域」というものだった。今回の留学でこちらに住み始めて知ったのだが、現在では「外国人もタイ人も集まるお洒落な遊び場」に変容している。
ソンクランにおけるタイの伝統文化である水かけを、水鉄砲を持った外国人がカオサンの中で盛り上げ、そしてここ最近は、そこに目を付けたバンコクっ子が大量に流入するという展開になっている。
僕も一度は体験したいと思い、夕方頃のカオサンに繰り出した。身動きをとるのも難しいほどの人の数だが、その9割以上がタイの若者だ。なるほど、これだけ大量の人間が集まる場所である、コカコーラの宣伝の旗がびっしり掲げられている。
水鉄砲や手桶で水をかけ合い、白い石を砕いて水に溶かしたものを通り過ぎる人の顔に塗り合う。今年は、清潔で安全なソンクランを目指して、この粉や威力のある水鉄砲は禁止されていたのだが、あまり効力はなかったようだ。通りの一端には警官が出て、見つける度に没収しているが、逆の側から入れば規制は何もない。何より、通りの中の露店では堂々と売られているのである。
ここしばらくカオサンに泊まっている旅行者の友人によると、「前日の昼から賑やかに水かけは始まっていた。あちこちの店先で大きなスピーカーを用意して、その音楽に合わせて路上で踊る人たちもいる。騒ぎは明け方まで続き、わずかに静かな朝方を経て、昼前にはもう再開されていた」とのこと。かく言う彼も、巨大な水鉄砲であちらこちらに水を浴びせている。
途中でビールなぞ飲みながら、僕も人波の中に突入して、水をかけたりかけられたりを楽しんだ。もちろん、顔は真っ白、パンツまでぐっしょり。友人が泊まっている宿でシャワーを借りて、準備してあった服に着替えてほっと一息。だが結局、これも水をかけられて半身がびしょ濡れになったまま帰宅することになったが。
ただ、率直なところ、この数時間だけで十分だというのが感想だ。翌日、あるいは来年もまたこの時期のカオサンを訪れようとは思わなかった。あまりにも激しくて、少なからず無秩序で(望まぬ水をかけられて、怒り出すタイ人も外国人も見た)、このまま将棋倒しでも発生したら命はないな、と感じる場面すらあった。
実際、この期間に命を落とす人たちがいる。
ソンクランは家族で過ごすべき時期としても認識されており、バンコクに暮らす地方出身者がこぞって里帰りをする。日本でもお盆や正月の帰省ラッシュで交通事故が増加するが、タイの場合、それは毎年のことながら激増する。昨年は死者が567人、負傷者が33,814人に上った。
ちなみに、タイの人口(約6,200万人)のおよそ二倍が暮らす日本では、昨年の12月29日から今年の正月三が日にかけての全国での交通事故死者数は117人である。
政府も手をこまねいているわけではなく、各種キャンペーンを展開して事故に歯止めをかけようとしている。曰く「飲んだら乗るな」「ヘルメットは危険を防ぐ」「逮捕しちゃうぞ」などなど。今年は総額4,800万バーツ(約1億4千万円)をかけて対策をとり、11日から16日までの間で事故数昨年比20%減、死者数480人以下と目標設定した。
だが結局のところ、最初の24時間で68人が死亡、負傷者は4,542人に上った。いずれも昨年より増加した数字である。そして、ソンクランが果ててみると、全土で死者が668人、負傷者が44,233人。SARS(重症急性呼吸器症候群)による全世界での死者数、165人(4月17日現在)が少なく見えるほどだ。
中でも、バイクの事故による男性の死傷者というのが群を抜いている。何より、1,200万台のバイクが走るタイで、免許保有者は半分の600万人しかないという前提もある。そして祭りの間には特に、酒を飲んだ男たちがヘルメットをかぶらず運転して事故を起こすパターンが多い。一方、女性の飲酒というのはそもそも文化的にさほど推奨されるものではない。
女性に対しての社会的価値観に関係してもう一つ。一般的にタイのメディアでは、性器はもとより女性の乳首も禁忌である。日常でも、女性が肌を露出することに否定的な人たちというのが少なくない。
今年のソンクラン前には、「スパゲティあるいはノースリーブシャツを着ないように」と提唱されていた。肩の部分が紐状に細い女性のシャツを、スラングでスパゲティと呼ぶ。普段でも、スパゲティを着た若者はサヤームスクウェアなどの中心街ではよく見かける。決して珍しいものではない。
ただ、祭りにおいては人のエネルギーが普段より解放される。露出度の高い服を着た女性がびしょ濡れになったらどういう光景になるか、想像に難くない。そこを踏まえて、自分の身を守るためにという理由で、首相、文化相、バンコク知事などがこぞって上記の発言をしていた。
しかし、その先には「その代わりに、タイの伝統的な衣装を着るのが望ましい」という意図もあり、変わりゆく若者文化への保守的な大人たちからの苦言という意味合いも多分に含まれている。
どれくらい効力があったか……ほぼゼロであった。カオサン通りに遊びに来た18歳の女性はこうコメントしていた。「自分で自分の服装を選ぶのは当たり前のことだし、私たちの権利だわ」(マティチョン紙、4月13日)
祭りが果て、また多くの人がバンコクへ戻り、僕も教室に戻ると先生に質問された。「皆さんどこかに遊びに行きましたか? カオサンですか……さぞかし激しかったんじゃないですか。私はと言えば、ずっと家にこもっていました」
僕は一番の関心事を訊ねてみる。「それにしても、あの交通事故の死傷者数というのは、異常ではないですか? タイ人はどう思っているのでしょう」
「私も含めてですが、例年よくある話しだと思っています。一般的に、交通事故も自分には関係ないことだろうという認識があります。それに、仏教徒だから死についてはいつでも考えているし」
異文化を学ぶというのは、そうじゃない文化に育った人間にとって、違和感や時として生理的な肌触りの悪さをすら知覚することでもある。共感はし難いけれど、少なくとも理解への努力はすべきなのだろう。この国で過ごし始めてわずか1年弱、僕は外国人であり、仏教徒ですらない。
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