ようこそ、日本へ

 日本が取り組んでいる、ビジット・ジャパンというキャンペーンがある。小泉首相が「ようこそ」なんてプロモーションビデオで言っていたのを覚えているから、わりかし長いこと続いている。
 目標に「2010年に訪日外国人旅行者数を1,000万人とする」と掲げられている。
 一環として、ANAが「スターアライアンス・ジャパン・エアパス」という航空券を販売している。1枚、1万1千円。国内、全路線に一律で適用できる。つまり、東京・大阪も1万1千円だし、極端な話、釧路・宮古島というように、日本を北から南まで飛んだって(そのような路線はないけれど)、同じ金額で利用できる。海外から来る人に、日本国内を安価で回ってもらおうという仕組みである。(ちなみに同様のものは他にもあって、僕も昨年の新婚旅行では「ヨーロッパ・エアパス」を利用したし、「タイ・エアパス」というのもある)
 羽田・沖縄など、普通運賃だと40,900円。それが、1万1千円ぽっきり。
 ただ、利用には条件がいくつかある。スターアライアンス便を利用して日本へ入出国すること。購入できるのは最大5区間までであること。そして、日本国外に居住していること。またお盆や年末年始などの日本のピークシーズンに、使用できない期間が設定されている。
 さて、僕の場合、まず今回の出張は、スターアライアンスの立ち上げ時からのメンバーであるタイ航空便で日本を出入りする。そして、タイでの商用ビザと労働許可証を示すことで、日本に住んでいないことの証となる。また、時期も問題がない。
 ミソは、対象となっているのが「外国人」ではなく、「外国からの人」という部分。だから、僕もこのチケットを使うことができる。
 これまでも旅行では何度か利用したことがあるが、今回の修行にあたって、さらに着目した点が2点ある。
 「当日、空港で空席があれば、7,000円の追加でプレミアムクラスへのアップグレードが可能」「そもそもPPは100%加算だが、プレミアムクラスにすると、さらに100%が追加される」
 一路線の価格が同じであるということは、長ければ長い距離を乗るほどPP単価は下がる。現在運航中の国内線で、最長路線はどこだろうと探してみると、那覇・仙台というのが見つかった。あとは、プレミアムクラスに空席があることを祈るのみだ。

 ところで、こうやって僕はANAでマイルを貯めていながら、実はANA便には一切乗ることがない。これはどういうことか。
 諧謔というほどでもないが、種明かしは簡単である。国内路線は通常「ANA○○○」と表記されるが、ジャパン・エアパスの予約は国際線扱いなので、便名表記が「NH○○○」なのである。ちなみに、この場合、券面の氏名も国内線は普通カタカナのところ、ローマ字で記載されている。
 ただ搭乗券にはANAと印字されるし、空港内の発着案内もANA。しかし、しかし、マイレージの積算の際にはやはりNHで表記される。ANAの国内線を飛びながら、ANA便ではなくそれはNH便なのだ。

… … … … … … …

■ 2009年4月23日(木) TG622
22:40/スワンナプーム → 06:20(+1)/関西空港

 木曜、オフィスはどたばたとした一日だった。ふくらんだトランクをむりやり閉めるあの感じで、いくつかの仕事に見切りをつけて午後6時前に急いで帰宅。荷造りは、まだ手つかず。
 日本出張へのタイ航空便、会社支給の航空券は、言うまでもなくエコノミークラス。予約クラスはQ。プラチナポイント(PP)積算率は70%。
 運転手に送ってもらい、スワンナプーム空港に到着したときは、フライトの1時間ほど前。足早に向かう先は、チェックインカウンターではなく、発券カウンターである。とっさに当日思いついたことがある。
 「大阪行きの便、ビジネスに上げたらいくらですか?」「13,200バーツとなります」
 頭の中で数字を弾く。70%の積算率が、125%になること。さらにボーナスで400PPがつくことを考える。PP単価は若干割高になるが、せっかくのチャンスなので、よいことにする。それに、明日は早朝の関空着からほとんどそのまま仕事になるので肉体的疲労も軽減しておくことにも価値がある。
 ターミナルビルの出発階へ入って一番左端は、タイ航空のファーストクラス専用チェックインカウンター。未知の世界である。ラウンジ形式で手続きができるそうだ。
 その隣からはじまる通常のカウンター。一番最初のA列が、タイ航空国際線のビジネスクラス用。椅子が用意されていて、腰掛けながらゆったりチェックイン。
 チェックインが終わると、そのまま専用の出国手続きレーンに直結している。そして現れる目の前のエスカレーターを降りるとそこにはラウンジ。非常によくできている。無駄がない。
 搭乗開始時刻まであと20分ほどしかないので、「タイ航空のファースト・ビジネス乗客のみ対象」のロイヤル・シルク・スパでのマッサージは諦めて、とりあえずビール。
 夜の時間だが、コンコースDのラウンジには、やはりビールしかアルコールが用意されていない。先日、シンガポール往復で利用した日中と代わらない。リー・ペリンソースやタバスコは、いったい何のためなのだろう。
 一息ついたらもうここを後にするタイミング。よく見たら今回の便はコンコースCだった。少しだけ歩く。しかし着いてみたら、まだ搭乗が始まっていない。であれば、再度ラウンジである。
 コンコースDのラウンジより明るい。シックさは少し失われるが、これはこれでまた違う趣だと思えばそれでよい。ここには、ある程度お酒が並んでいた。ロックグラスに氷を入れ、バランタインの21年にドランブイを少し。軽くステア。少しドランブイの割合が多すぎて、甘めになってしまった。
 搭乗口へは、少し遅めに行こうと思っていた。もう一人同じ便での出張者がいるので、関空に着くまではあまり顔を会わせたくない。嫌なヤツだから、とかそうことではまったくなくて、一人だけビジネスで行くことへの後ろめたさから。(もちろん、何かしら悪いことをしているわけではなく、あくまで自分で支払ってアップグレードしているのではあるのだが)。
 だが、少しどころか、だいぶん遅すぎてファイナルコールだった。しかも「TG622・大阪」と掲げた係員が、未搭乗の乗客を捜しながら歩いている。
 自分の搭乗券を見せる。彼女がトランシーバーに向けて14Jの乗客が来たことを告げるタイ語を後ろに聞きながら、搭乗口へ。

タイ航空ビジネスクラスシート

座席コントローラー

トイレ

 ウェルカムドリンクにシャンパン。ベルト着用サインが消え、つまみと共に赤ワインを少し飲み、ウォッカマティーニを2杯。機内の小さなグラスだが、爪楊枝に刺されたオリーブが3個。人によっては割合として多すぎると思うかもしれないが、マティーニのオリーブをかじるのが好きなのでウレシイ。しかも今日は一人なので3個全てを食べられる(妻とバーに行くと、オリーブはシェアすることになっている)。

機内食

ウォッカマティーニ

 深く酔う前に、座席を倒してベッドとしてしつらえ、早々に眠りに就く。繰り返すが、明日は仕事なのである。配布されたトイレタリーのセットから、アイマスクだけ利用する。
 4時間ほどではあるものの、熟睡。間もなく着陸に向けて高度を下げるとのアナウンスで目覚めた。朝食にも気付かなかった。
 10日ほど前も日本に来ていたし、ニュースでもずいぶんと気温が上がってきたと見かけていたので、Tシャツでじゅうぶんだと思っていた。しかし前回は石垣島にいたという少し特殊な事情にあまり思いをめぐらさず、しかも直前に天気予報を確認しておくということを怠っていた。後で聞くと、急にまた気温が下がったそうだ。
 Tシャツ一枚の身体に、早朝の冷気が襲いかかる。
 検疫、入国審査をこなし、ターンテーブルで「プライオリティ」のタグが着いた赤いスーツケースを受け取る。みやげで持ってきた蘭の花を植物検疫のカウンターに持ち込む。
 幸い、それらが全て終わってしばらく待っているときに出張の同行者がようやく現れた。
 「機内で見かけなかったけど?」との問いに、「そうですか? 前の方に座っていたんですけど」とあいまいに答える。
 「人、少なかったね。隣が空いてたからごろっと横になれた。ファーストクラスやね」とのコメントにも、「ああ、それはそれは」と、やはりあいまいな笑みを返す。
 このときには既に、スーツケースにあった「プライオリティ」「ロイヤル・シルク・クラス」のタグは外されて、ゴミ箱の中である。

■ 2009年4月25日(土) NH1733
09:10/関西 → 11:15/那覇

 「出張で、日本やねん」と電話で近況を話していた友達にも、マイル修行のことに触れてみた。
 だが、その彼女は「あたし、ダイヤモンドやで」と軽く言う。
 しょっちゅうヨーロッパなどに出張しているのは知っていたが、ビジネスクラスで出かけているらしい。すごい会社だ。本来ならば、そういう頻度の高い、そして質の高い顧客の囲い込みとしてのステータス付与なのだ、と改めて思った。
 土曜朝、春の大阪は雨だった。
 「明日また戻りますので」とフロントに伝え、大きなスーツケースを預けておく。
 ぎりぎりで天王寺駅から「はるか」に乗り込んだ。
 プレミアムクラスのカウンターで、この便と、次の那覇・羽田の便をアップグレード。

関空クレジットカード会員ラウンジ

雨の関空

 残念ながら窓際に空きがなく1Cという座席。隣の1Aに座った同世代か、もしくは少しだけ上の男性は、「もしや」と、僧の雰囲気を漂わせていた。
 低気圧なので、離陸後30分ほど揺れが続いた後でデリと飲み物。
 1A氏は、躊躇なく「シャンパンとコンソメをください」と頼んだ。そして食事を写真に収めている。お代わりを尋ねにきた乗務員に赤ワインをリクエスト。食後にはやはり「何かお飲物は?」という問いに躊躇なく「アールグレイを」
 行動パターンが似ている。確信はないけれど、同じ趣味の人だろうと思う。

機内食

 しかし僕はそんなにあれこれ頼まない。飲み食いするには少し眠すぎるからだ。
 昨日の夜中、天王寺の立ち飲み屋で焼酎を飲んで、のれそれや、鯨の刺身や、牡蠣フライなど、日本の居酒屋を満喫。夜中過ぎにホテルへ戻った。チェックアウト前に確認したメールのフォロー事項や、バンコクから持ち越してきた仕事をかなり急いで片づける必要があるのだが、とにかくまずはこの便は眠ることにした。
 しかし、低気圧は太平洋岸を覆っているとのことで、ずっとかたかた揺れている。眠りにようやく入り込んだと思ったら、比較的大きく揺れて、ヒヤリと目が覚めることが繰り返される。
 「飛行機が揺れましても、飛行の安全性には問題ありません」とアナウンスがあるけれど、僕の睡眠には影響が大。
 ところで、向こうから持ち込んでいる仕事用のパソコンの電源プラグは3ピンである。日本のプラグにもう一本、丸いアース端子がついて、その3本のピンがそれぞれ三角形の頂点に配置されているような物だ。日本で使えるように、変換プラグを持ってくるべきだったのだが、完璧に失念していた。
 充電をどうしたものかとの不安はしかし、飛行機に搭乗した瞬間に消えた。シート電源が備えられているプレミアムクラス座席だったのだ。プラグはユニバーサルタイプなので、そこにコンセントを差し込んで、パソコンは小物入れに突っ込んで、ずっと充電をすることができた。
 眠りの合間にぱらぱらと読んでいる本は、司馬遼太郎「アメリカ素描」

■ 2009年4月25日(土) NH126
12:35/那覇 → 14:55/羽田

 やはり沖縄は暑い。汗がじっとりと全身にしみ出す。

空港出迎え

 プレミアムクラス利用でも、ANAのラウンジが使える空港は限られている。那覇では、クレジットカード会社のラウンジへ足を運んだ。(解脱してスーパーフライヤーズカードさえ入手すれば、いついかなるときでも、どこの空港でも使用可能となる)
 個人のPowerBookG4と仕事のPCを広げ、合間に携帯電話でもメールのやりとり。こんなところまで来て何をやっておるのだろう。偶然ここも3ピン対応のプラグがあったので助かった。できるだけ充電しておいて、電源プラグ無しの次のフライトに備える。(それぞれのフライトの座席の仕様はANAのウェブから確認できる)

那覇空港クレジットカード会員ラウンジ

 羽田行きに搭乗しても、とにもかくにも仕上げておかなければならない仕事があったので、デリのときもアルコールは頼まない。

機内食

 「終わったら飲むぞ」と自分に発破をかけ、紀伊半島の南辺りを通過しているころに、なんとか「シャンパンをください」と相成った。

シャンパン

 朝と同じ低気圧が居座っているので、着陸のしばらく前からずっとかたかた揺れていた。

低気圧の中を

 500円で乗れる切符が売られていたので、モノレールと山手線で新宿。東京は、大雨に近い雨だった。ちゃんと準備よく折り畳み傘を持ってきている。ホテルまでは歩いて5分ほどの距離。だが、カバンを探っても、キャリーケースをのぞいてみても、どこにも傘の姿はない。
 バンコクを出るときには用意周到だったのだが、どうやらその傘は、明日戻る大阪のホテルに預けたスーツケースの中に入れっぱなしだったようだ。自分の間の抜け具合に苦笑した。

■ 2009年4月26日(日) NH125
10:15/羽田 → 12:50/那覇

 昨日とうって変わって、今朝はいい天気だ。
 朝、ホテルの部屋で、ANAのホームページからマイルの積算状況を確認すると、30,000PPを突破。ブロンズ到達。もう少しだ。5月にクアラルンプール出張が2回入ったので、修行で稼ぐべきポイント数も、当初思っていたよりは少なくて済む。

ブロンズ到達

 昨夜は大学時代の友達と会っていた。一人たちの悪いのが、バーのエアコンを壊しかけた。
 昨夜のメンバーでは、彼一人だけが独身だった。あとは、子持ちが二人と妊娠中が一人、それに妻帯者となって1年ほどの僕。
 待ち合わせの新宿駅東口は、大学のサークルの集合地点になっているようで、いつも以上に人があふれていた。女子美のスキーサークルとか、早稲田のなんとかという集まりが、サークル名を掲げていた。若々しくて小ぎれいな精気に満ちている。
 「いやあ、ついこないだまで、あっちの人らの方にいたように思うけどなぁ。今やもう30半ばにさしかかって、おっさんとおばちゃんや」と僕は言うと、一つ上の先輩曰く「いや、年齢は若かったけど、当時から俺らはああいう華やかな方にはおらんかったやろ」としみじみ事実を指摘した。

 新宿駅からバスに乗る。ホテルの部屋から正面に見えたコクーンの先端は雲の中だった。朝の光に輝く都庁舎もそうだが、東京は本当に建物が高い。
 羽田・那覇、那覇・仙台の2便ともプレミアムクラスが取れた。
 羽田のターミナルで、妻に頼まれていたお菓子を買って、プレミアムクラス専用保安検査場を通ってラウンジ。昨夜はさほど遅かったわけではないけれど、まだ酒の名残がかすかに頭と胃にこびりついている。アルコール類もあるけれど、ここで飲んだ3杯は、爽健美茶とアイスコーヒーと充実野菜。
 窓際が空いていないと言われていたけれど、機体のドアが閉められてみると、隣の1Aの席には誰も来なかったので、いそいそとそちらへ動く。

座席コントローラー

機内食

機内食

 読んでいるのは、辻原登「発熱(上)」
 「到着地の天候は雨、気温は20度でございます」と言われたけれど、着いてみると那覇は良い天気だった。

■ 2009年4月26日(日) NH464
14:15/那覇 → 16:50/仙台

 空港食堂へ行ってみる。空港ターミナル1階、正面向かって一番左手。食券制で、空港レストランではなく、本当に食堂。旅行客だけでなく、現地ツアーのガイドの人や、機長と乗務員らしき人たちも多い。
 入り口の自販機で食券を買う。「ソーキそば」のボタンを押して、「オリオン中瓶」のボタンへ手を伸ばしかけたとき、後ろから勢いよく別の手が伸びて、「汁粉」ボタンをが押されてしまった。あっけにとられてその突風がやってきた方向を振り返ると、一人の障害児が立っていた。そういえば先ほどロビーで「ぎゃー」と大声で騒いでいた男の子だ。
 とっさのことでどうしたらよいのか判断がつかなかったら、近くにいた若い女性の店員さんが「ご注文は何でしょうか」「オリオンの中瓶なんですが」「では、差額を頂戴できますか」と、てきぱきと対応してくれた。

空港食堂

空港食堂

 食堂を挟んで建物の反対側、郵便局の隣にクレジット会員用ラウンジがある。受付は、昨日と同じ人だった。
 僕はその年輩の方の顔を記憶していたが、もし彼女も僕のことを覚えていたとしたら「昨日沖縄に来て、今日はもう帰るのだろう」と思われたことだろう。いえ、昨日も来て、今日もまた来たのですよ、本当のところは。

座席コントローラー

 NH464便は、ボーディングブリッジが外されるや、意外な人がスピーカーを通じて話し始めた。通常なら、乗務員から救命胴衣の使い方などのビデオをご覧下さいとあるタイミングである。その声の主は、この便の機長であると名乗った。
 機長挨拶は、水平飛行に移ってしばらくしてからというのが定番である。そこを、この人はまだタクシングもはじめていない内からのスピーチだ。内容も風変わりであるし、いくつかの言葉の母音を伸ばして独特の節回しになっている。
 「世界に、最も安全な翼を伸ばしているANAをご利用いただき、誠にありがとうございます」
 「本日は、お客様のご協力と、ANAの”ゆーぅーしゅうー”な地上スタッフの努力によりまして、定刻より早く機体の扉を閉めることができました」
 「本日、時折揺りかごのような心地よい揺れがあるかもしれません。時によっては、シーソーやブランコのように揺れることもありますが、飛行の安全性には、”まッ……たく”影響ございません」
 驚くべきことに「一句浮かびました」と俳句まで織り交ぜたひとしきりの演説が終わると、後方の席から10人分くらいの拍手が聞こえてきた。
 そうだ、mixiのコミュニティで見たことがある、ANAの名物機長、山形さんだ。その人柄や機内アナウンスの名調子に惚れたファンは、彼の乗務する便を狙って予約するのだそうだ。世の中には、飛行機に乗る理由というのも、「移動」の他にも色々とあるものだ。
 拍手の主はおそらくそういう人たちだろう。着陸した瞬間に拍手が起きる飛行機というのは何度か乗ったことがあるが(どこだったか、パキスタン航空とかエジプト航空とかだったようなおぼろげな記憶がある)、まだこの機体は滑走路にすら到着していない。
 機内通話も長い。ピンポーンとチャイムが鳴って、乗務員が受話器を耳にあてる。僕の斜め向かいに座っている一人は、途中で微笑みだか苦笑いだかを唇に浮かべていた。業務連絡もあの調子でやっているのかもしれない。
 滑走路で、離陸の順番待ち。
 「当機はここまで、”かんッ……ぺきな”準備でまいりましたが、離陸順位は2番目で、その間に1機か2機の着陸があるかもしれません」
 「離陸に時間はかかりましても、仙台空港には定刻で到着するよう、余裕を持った飛行を心がけてまいります」
 「離陸いたしますとすぐ、コバルトブルーの海が広がっております。中央のお客様はご覧いただけませんが、真っ青な美しい海、”ぜぇひ”心の目でご覧ください」
 ところで飛行機は、離陸すると一直線に空へ駆け上がっていくものだと理解している。気流の関係か、低空をしばらく飛行して、そしてよいしょっと上昇を続ける場合もなくはないが、事情を知らないこちらにしてみれば、「エンジンの出力が足りないのではないか」「飛び出したはいいが、このまま引き返すのだろうか」「海に落ちてしまうのだろうか」と心配せざるを得ない。
 ごくたまにそういうフライトに出くわすが、那覇空港離陸を思い返してみると、毎回がそうなのである。離陸してすぐに海上に出るが、波頭のその泡の一粒まで見えそうなほどの低空を滑空する。1分に満たないくらいだと思うのだが、気持ちのよいものではない。このことに気付いたときに、まず思いついたのは、ここが沖縄であるということ。米軍の飛行ルートと何か関係があるのだろうか。
 今日の山形機長の説明は、やはりその推測が正しかったことを教えてくれた。嘉手納基地発着の飛行機との関係で、上空300mほどを滑空するのだ。そしてその空域を抜けると、再び上昇する。
 「その際、エンジンの音が急激に変わりますが、これは通常の飛行ですので、ご心配なく」
 水平飛行に移って、ベルト着用ランプが消えた。

晴れた空

 食事や飲み物が配られる際、こちらがパソコンで作業していると、いつも「お仕事中、失礼します」と言われる。マニュアルにそうあるのだろうか。決して「ゲーム中に」やら、「ご執筆中に」とは聞いたことがない。
 今日は仕事はしていない。完全に趣味である。(本稿を書いている)

機内食

 乗務員に聞いてみた「今日の機長、あの名物機長さんですか。話には聞いたことがあるんですが」「ええ」とにっこり。
 会話はそれで終わらなかった。今度は、乗務員が僕に尋ねる。
 「次、伊丹行きに搭乗されますか?」「はい」
 なんだ、なんでそんなことをご存知なのだ。
 このような展開に出会うと、自意識過剰な僕は「まさか、この女性は僕に何か……」と思うところなのだが、あまりに唐突だったため、逆にドキドキして、咎められているような気になってしまった。
 「私もなんです。よろしくお願いします」
 あちゃぁ。往復フライトではないけれど、同じ人ですか。僕は何をどう彼女に対してよろしくしたらよいだろうか。
 読んでいるのは、辻原登「発熱(下)」
 機長のアナウンスは、離陸前からあの調子だから、水平飛行に移ったらさぞや、と期待をかけていたのだが、これまた意外なことに、ずっと静かなままだった。mixiのコミュニティを流し読みしていたときに「最初から最後までアナウンスで、眠ることもできやしなかった」というような記述を読んだことがあったのだが。
 しかし、スピーカーは静かでも、ご本人はやはりアクティブだった。「ご搭乗記念に機長からどうぞ、と」と、トリプル7とA320のイラストが描かれたステッカーが乗務員によって配布された。この機体は、ボーイング767-300なのだが。
 そして、登場。
 「操縦席より機長がご案内いたします。少し通り過ぎましたが、眼下に霊峰富士山がご覧いただけます」
 僕は文庫本を閉じて眠っていたが、ここぞとばかりにPowerBook G4を開いてセリフを記録する。
 「当機はここまで順調に飛行してまいりました。最高速度、1,100kmを記録いたしました。秒速に直しますと、およそ300m。東京タワーが333mですから、一秒で東京タワーを飛び越えるほどのスピードとなります」
 「あと10分ほどで降下いたしますが、運航を支えている地上の優秀なスタッフからの連絡によりますと、多少揺れることがあるかもしれません。皆様、お手洗いはテキパキご利用ください。特に強く揺れることがありましても、着陸には”まッ……たく”影響はございません」
 「杜の都仙台が、満開の桜で皆様を歓迎いたします」
 「一句浮かびました。『春の空 飛行機雲に 夢乗せて』。ありがとうございました」
 山形機長は、到着後もユニークだった。
 「見えにくい所ではありますが、操縦席より手を振って皆様をお見送りさせていただきます」  ボーディングブリッジから振り返ると、本当だった。にこやかに、白い手袋をはめた両手を振っている。

■ 2009年4月26日(日) NH738
17:40/仙台 → 19:00/伊丹

 朝の羽田で、なぜか仙台・伊丹だけはチェックインできなかった。まっすぐクレジットカード会社ラウンジへ歩いていく途中でそのことを思い出し、チェックインカウンターに引き返す。今度のフライトはそう長いものではないので、PPへのうまみが少なく、アップグレードはしない。
 笹かまぼこ、ずんだ餅、萩の月、などなど仙台名物が売られている。試食販売用に、牛タンを焼いている匂いもよい。
 仙台空港のクレジットカード会社のラウンジは大変に簡素なもので、事務所の応接スペース程度だった。無料の無線LANの用意もなかった。

仙台発伊丹行き

 プレミアプシートは取っていないけれど、普通席で一番楽なところ、非常口横の座席は、あらかじめ予約の段階から押さえてあった。前の座席がないので、足をたっぷりと伸ばせる。どうせ短い足ではあるが、この気楽さは段違いである。
 機内に足を踏み入れた瞬間、「おかえりなさい」と声がかかった。やはり恥ずかしい。
 機長も同じ山形さん。ひとしきり名調子の挨拶も先ほどと同様。
 「左手、あと3分いたしますと、夕日に少し薔薇色に染まりながら、雪化粧をまだ残しております霊峰富士山が皆様をお待ちしております」

翼

 「本日は向かい風が強いため、通常使用いたします高度より少し低めで飛行しております。管制塔より許可を得ておりますので、ご安心ください」
 「現在の関西地方の天候は曇り、気温は摂氏12度と報告を受けております。着陸侵入の際、既に新緑の若葉に覆われた六甲山、そして暖かな関西の街並みが皆様をお出迎えいたします」
 「時折、綿飴かマシュマロのような雲の中を"どーぅしても”通過することもございますが、できるだけ揺れないように心がけます」
 「夕日が間もなく西の空をあかね色に染める時間です。一句浮かびました。『夕焼けに 薔薇色染まる 春の空』。ありがとうございます」
 最後、機体から出るときに、もう一度乗務員から声をかけられた。「お疲れさまでした。今日は長旅でしたね、沖縄から」
 いえいえ、東京からなのですよ、実は。
 山形機長は、ここでも操縦席から手を振っている。乗客に関西人が多いからだろう、先ほどの便よりも一層ウケがよく「ちょっと見てやー、ほんまに手ぇ振ってはるわー」「写真や、写真撮らなー」と、大人気だった。

… … … … … … …

★プラチナポイント
 これまで  今 回  合 計 プラチナまで
23,46615,94339,40910,591

★修行費用(タイバーツ)
 これまで  今 回  合 計 
39,51043,51483,024

★修行PP単価(タイバーツ)
 これまで  今 回  累 積 
4.273.073.73


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