僕ってそんなに魅力的!?

 朝方に雨が降っている音を聞いたような気がしたが、夢だったのかもしれない。
 とにかく寝ていた。部屋に日の光がまったく射さないものだから、しゃきっと目が覚めた時もはっきりと時間は分からなかった。もぞもぞと起き出して、枕がツーンとくるほど汗くさいのを除けば別に文句はない宿だということが分かった。
 レセプションでボーニーにあと7泊することを告げる。
 「一晩90バーツでどう? 元々は110なんだから」と言われたが、とにかく値切ってみる。「雨期だったらどこでももっとまけてくれるんじゃないの」、ということで折衝の末600ジャストでまとまった。日本円にすると一泊370円ほどだ。
 時計を見ると11時を過ぎていた。とにもかくにも起きて最初の食事、朝食を求めてカオサンに出た。やはり朝に聞いたのは雨音のようで、まだ少し路面はぬれていた。おかげで今日も涼しい。
 なんでもチャレンジしてみようと、目に付いた屋台のいすに座る。いわゆるタイカレーを出す店なのだが、これはタイ式ぶっかけご飯と言う方が僕にはしっくりくる。いくつかのおかずが金属製のバットに並んでいて、2、3種類示して皿に盛ったご飯にかけてもらうのである。下手に文字で書かれたメニューを指して見当違いのものが出てくるよりも便利である。大体の色で味がわかる。それに何よりも安いという種々のメリットから、タイに限らずこの手の食事はよく食べた。
 どこの国にでも、味付けは異なれど、同じスタイルの飯屋はいくらでもあった。もちろん、カンボジアなら「カンボジア式ぶっかけご飯」であるし、ヴェトナムなら「ヴェトナム式ぶっかけご飯」というわけである。
 ネーミングはどうでもいいのだが、多くの人がタイ式ぶっかけご飯を「カレー」と呼称するにはそれなりの理由があることを一口食べて思い知らされた。そう、辛いのだ。いや、最初に口に入れた時はむしろ「痛い」「熱い」という感覚の方が強かった。単に舌が焼けるというだけでなく、普段はその存在さえ忘れてしまっている食道や胃といった消化器系統が「ああ、ここにあるんだな」とわかるくらいに焼けるのである。
 そして、体中から吹き出す汗。しかしこれが熱帯の国が長年培ってきた知恵の一つなのだろう。汗を多量にかくことで、身体を冷やすのである。
 食べ終わってもまだ口の中がひりひりしてるので、コンビニでビールを買ってぶらぶらと歩いていた。別にどこ行くあてがあるわけではないので、とりあえず口の火照りを冷ましながら。
 「そのビール、おいしい?」
 唐突にサラリーマン風の男に声をかけられた。「いいね、熱帯で飲むビールは格別だし、日本よりはるかに安いし」
 そう答えたものの、実はこの時、僕は男に対してかなりの警戒心を抱いていた。「地球の歩き方」などには、親しげに近寄っては金をだまし取るという事件がよくあるという記事が載っているからである。しかし、これは過度の警戒であった。
 「日本だと倍くらいの値段はするよ」という話に驚いた彼は、僕が別段目的もなく歩いていることを知ると、近くに見える寺を指さし、「あそこの仏像でも見てきたらいいよ。次の角を右に曲がった所だから」と親切にも教えてくれるとそのまま歩いていった。まあ、その寺に行ったからと言って強盗が待っているわけでもなかろうし、教えられた寺へと入っていった。
 そこは、なるほどこれがタイの寺か、と思わせるのに十分であった。建物そのものも金色の尖塔を持ち、本堂には独特の香りの線香の煙が漂う中、黄金の大仏が鎮座しているのである。別にガイドブックなどに載っているほどのものではない、いわばどこにでもありそうな中の一つですらこれだけなのだから、仏教国タイというものを思い知らされた。
 すると、ここでもまた男が話しかけてきた。
 「どこからきたんですか?」と。「日本から」と答えると、新婚旅行で日本へ行ったが、あれは異常に物価の高い国だったと話しながら、訪れた地名を次々と挙げていった。ここでまた僕の心は警戒状態に入った。「さも日本のことを知ってるそぶりで接近し……」という手口も紹介されていたからだ。別にガイドブックにあることを鵜呑みにしているわけではないが、見知らぬ人間を警戒しておくのはそれなりに必要なことだと思う。
 だが、彼も結果的には親切なおじさんだったと言って構わない。「仏像は単なる金メッキだから別に大したものではない」だとか、礼服を着た男の肖像を指さして「あれがタイの国王だ」と教えてくれたりもした。
 まあ、タイのプミポン国王くらいは僕も顔を知っている。というのも、王室が尊重されているこの国では貨幣や切手、また町中の至る所に国王や王女の肖像があるからだ。それになにより、それくらいの人でないとわざわざ肖像をそこら中に飾ったりもしないだろう。
 「バンコクには1週間ほどいるつもりだ」と言うと、「十分ですよ。こんな空気の汚い街にいるより、早くチェンマイに行った方がいい。あそこはすばらしいところです」と自分の住んでいる所をけなしてまでもチェンマイ行きを薦めてくれた。
 確かに、旅行者に限らず、バンコク在住の人ですら汚い空気や交通渋滞には嫌気がさしているようで、北部のこの街の良さを語ってくれたのは彼に限ったことではなかった。
 これから友達と昼飯を食べる約束があるというその男は、仏像に合掌して「こうやって幸運をお祈りするんですよ。あなたも楽しい旅を」と別れを告げた。
 必要以上に警戒する必要もないということを身を持って知ったので(逆でなくて本当によかった)さあ、少しは観光をしようと地図をぱらぱらとめくった。どうやら、ここからだと国立博物館へ歩いて行けそうだと狙いを付ける。
 巨大な扇風機がそこかしこでうなりをあげているというだけであったが、相変わらず曇っていたのでそれなりに快適に見てまわることができた。最初にのぞいた建物だけかと思って、一巡してから荷物を取って帰ろうとしたら、クロークの人は大変に親切で、手を引かんばかりに外に連れて行き、「あの建物も、あれもあれも全部博物館だからゆっくり見たらいい」と教えてくれた。
 おかげでかなりの時間を費やすことができ、再びカオサンに戻ったときはすでに夕方近かった。
 ちょうど、その日はKYOTOと大きく書かれたTシャツを着ていたのだが、それを目にした人が話しかけてきた。彼もどう見ても旅行者という風体だったので、道でも聞かれるのかと思いきや、「京都に住んでるんですか?」という問いかけ。「僕も京都なんですよ。百万遍に住んでます」
 今出川通りと東大路通りの交差点付近を指すこんなローカルな地名をまさかバンコクで耳にするとは思わなかった。京大生の間では「まんべん」と略称されるこの付近は、学校の目の前にあり、飲み屋や学生用の住宅が多いことで知らない者はない。
 「えっ、僕は北白川ですよ。京大に通ってるんです」
 当然その地名は彼も了解し、学生なら何を勉強しているのかと聞いてきた。
 自分が学生だと言うと、たいていの人は専攻を尋ねてくる。最も手っ取り早い話のつなぎ方の典型例の一つだろう。しかし、ここには個人的な問題点がある。日本語で言うと「農業土木」をメインにやっているのだが、日本人だってピンと来る人は少ない。ましてや、僕は農業土木を英語でどう言うのか知らない。だから、今のところ一番気に入ってる講義のタイトルを答えることにした。
 「水文学やってます」
 これもそんなにメジャーなものだとは思えないのだが、簡単に言うと「地球上での水の動きについて研究する」といったようなものである。
 相手に通じるだろうかと心配したのだが、彼は空を仰ぎ見て「だったら、この鬱陶しい雲をなんとかする方法を知ってるかい」と答えてきた。熱帯のイメージとは異なるこのぐずぐずした天気に不満を感じていたのは僕だけではないのだなと思って、肩をすくめて(欧米人がよくやるように)笑った。
 宿に帰ったところで、天気が悪い原因をボーニーが教えてくれた。「モンスーンって知ってるかい」もちろん知っている。「あれが近づいてるからしばらく天気が悪いよ」
 さて、遅めの昼飯をとろうとカオサンに出たとたんにまた一人のバックパッカーが近づいてきた。今日は本当によく話しかけられる日だ。
 「すいません、ボーニーゲストハウスを探してるんですけど」
 何のことはない、僕が泊まってる所じゃないか。すぐそこだからというので、彼女を連れていった。そこでボーニーに引き合わせて、今度こそ昼飯にしようと思いきや「バンコクは初めてなんで、どこか近くでご飯を食べられる所はありませんか?」グッドタイミングである。
 「いいですよ、僕もこれから食べようと思っていたから」
 かと言って、こっちだって昨日着いたばかりだ。仕方ないからまた目の前のビアホールで僕はビールを飲みながら彼女と一緒に昼食を取った。
 韓国人のドクターコースの学生でmissionaryを専攻していると言う。恥ずかしながら、スペルを書いてもらってもこの単語の意味が分からなかった。すると、「神學」と漢字で教えてくれた。なるほど、そういえばそんな単語もあったような気がする。高校の時の単語帳に載っていたような……こういう時に受験のためだけにやった勉強の弱さというのが露呈する。
 最初、僕だけがビールを頼んだので、飲まないのかと尋ねたところ、クリスチャンだからということであった。
 おもしろいことに、カバンからごそごそ何かを取り出した。どうやら見たことのあるこのパッケージは大韓航空の機内食についていたものである。僕はその時まで、ジャムでも入っているのだろうと思って別段気にも留めていなかったのだが、「コチュジャンよ、これがないとね」と言いながら彼女は自分の料理にそれをかけてから食べ始めた。
 「残念、僕も大韓航空でそれが出たけど、ジャムだと思って手を付けなかった」という笑い話の辺りから段々打ち解けてきて色々な会話をした。
 ヨーロッパにはあちこち行ったけどアジアは初めてだという彼女の感想を尋ねたところ「Asia is difficult.」というのがその答えだった。そして、「バンコクは汚いし暑いし……、それに比べてヨーロッパの町並みは……」と、全てに渡って、いかにヨーロッパが素晴らしいかを語ってくれた。しかし僕にしてみればそういうアジアにひかれてここにいるわけだし、それに何より僕も彼女もアジアの人間じゃないかという思いを抱かずにはいられなかった。
 しかしまあそれはそれである、別にどこを気に入ろうとその人の自由であるから。
 だったらなぜ僕はアジアを旅しているのだろうか。これ以上の理由は分からないけれども、アジア以外、厳密に言うとトルコ辺りまでしか僕の興味が及んでいないのである。
 「ASIAN JAPANESE」という、旅行者の写真にそれを撮った写真家が文章を書いている本があるのだが、その中のある人の言葉が、少なくとも現時点での僕の思いに見事なまでに一致する。「アジア以外のところを旅している自分の姿を想像できなかった」
 これが始まり、そして全て。


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