女子大生と女子高生

 チュラロンコーン大に続く、タイ第二の大学タマサート大。その反体制的な学風は、なんだか京大に通じるものがあるかもしれない。が、決定的に違うのは、タイで大学に通えるのはまだまだ限られた人々だけであること。庶民でも大学に行ける日本に生まれたのは幸運だ。
 この日僕がタマサート大を目指したのは、別に日タイの学生で協力して体制を打倒しようというものではない。もっと実利的な問題からだ。
 大学の食堂というのは安いのが基本。行ったことがある人からも評判を聞いていた。旅行者でも食べさせてもらえるという。しかも、もしかしたらこっちの学生と仲良くなれるかもしれないという思いもあった。
 タイの学生はエリート意識が高いから、あまり変な格好ではまずいという情報に基づき、短パンとサンダルをジーンズと革靴に履き替えた。国立博物館に行った時と同じような格好だが、それ以上のまっとうなものがないのだから仕方がない。
 ところが、一歩学内に入るや、サンダルでぺたぺたと歩く姿が結構目に付いた。さすがに短パンはいなかったが。
 キャンパスはそれほど広いものではない。もちろん学部ごとに建物が異なるからそれなりの数はあるのだが、いかんせん敷地そのものはちょっとした高校程度のものだった。グラウンドを囲むように校舎が立っている。
 とりあえず向こうから話しかけてきたらいいな、などと虫のいいことを考えてベンチに座って「魔の山」を読んでいた。しかし、ちらほらと学生は通るものの誰もこちらにはお構いなし。逆の立場を考えれば当然といえば当然である。しかし、その学生の中には携帯電話を持っていたり、詳しくは分からないけど見るからに値が張りそうなバッグを持っている人もかなりの割合でいた。
 その内に当初の目的がだんだんと頭の中で妄想として膨らみ始めた。
 一人の学生が、僕の方へやって来た(それはもちろん、女性であるべきだった)。話を進める内に……
 「へえ、日本から来たの。よかったら一緒にお昼ご飯を食べに行かない?」「おごるわよ」「あなたのこと知りたいな」云々。
 際限がない。
 しかし、一人にへらとしていても物事は進展しないので、とりあえずとっかかりとして、女性の2、3人のグループが向こうからやって来たら声をかけてみようと決めた。
 が、さっきまではそれなりに往来があったのに、それがはたと止まった。たまに通りかかると思ったら、野郎である。
 段々お腹も減ってきたので、もっと積極的にこちらから打って出ようとグランドに沿ってぐるっと歩き出した。ほとんど1周して誰もいなかったのだが、最後に7人ほどのグループを見つけた。当然、女性ばかりの。テーブルを囲んでにぎやかにやっているところへ近づいた。
 「君たちってここの学生だよね。食堂の場所を教えてほしいんだけど」
 頑張って説明してくれているのだが、ここからはちょっと奥まった所にあるようで、意思の疎通があまりうまくいかない。ザックからノートとペンを取り出して、「ちょっと地図を描いてくれないかな」と頼む。
 「だったら、とりあえず座ったら」
 と、親切にも席を詰めてスペースを作ってくれた。あーだこーだと、これまたにぎやかにどう描こうかと話し合っている内に一人が言った。「でも、今日はやってないわよ。ほら、祝日だから」
 そんなことを言われても、土日の区別すら必要としない生活をしているのだから、知っているはずがない。しかし、ここでくじけては先ほどの妄想は日の目を見ることなく寂しく朽ち果ててしまう。旅先だから、と言うよりもむしろ英語で会話をしているからということで僕は非常に積極的になっていた。「君たちはもうお昼食べたの? もしまだだったら一緒に行くというのはどう」「え、別にいいわよね」
 ということで、たくさんの女子大生と共に昼食をとることになった。ただ、グループの内の一人はまだ高校生で、メンバーの一人が連れてきたのだと言う。これが、ドキッとさせられるくらいの美人。彼女も高級そうな服に身を包み、携帯電話も持っていた。
 彼女たちは明日の卒業式のパーティーの準備をするために集まっていた。タイの大学では、全学をあげてパーティーをとり行なうのだそうだ。
 着いた先はプラアティットの船着き場に隣接している市場の中の食堂だった。目の前にチャオプラヤ川の見える席を陣取った。
 「ねえ、何を食べたい」「君たちと同じものがいいな」
 そこへ出てきたのはクィティオと鳥肉の炒めものと氷水。氷にはわらのようなゴミが入っていたけど、「大丈夫、大丈夫。別に何てことないわよ」と、不審がった僕を逆に「何でそんなことを気にするんだろう」といぶかしむように言った。
 相手は集団だったが、大体は一人、二人が代表するような格好で会話は進んだ。向こうは他の人が話している間に文を組み立てればいいが、対するこちらは全員が相手である。流れを途切れないように、話題を考えるが、いちいち完璧な文を考えていては間に合うはずがない。とにかく、ひたすらに単語をつなぎ合わせてどうにかまとまりとして口から発する。
 相手の方も全員が全員とも流暢に会話の流れをつかめたというわけでもないようだったが、一人だけずばぬけて発音もきれいで僕と対等か、それ以上のレヴェルで話せる人がいた。タイに来てここまできれいな英語は始めて耳にした。そして、彼女がたまに通訳のような役回りまで果たしてくれた。
 しかし、別に英語がよく分からないから……と押し黙っているのではなく、みんなつたないなりに話しかけてくる。
 「日本では、学生は……」「えっと、ほらあれ何て言うんだっけ」と、通訳役の彼女とタイ語で二言三言交わして、僕に英語で伝える。そして質問に答えるとものすごくうれしそうに微笑む。
 この昼食は今回の旅の中でも3本の指にはいるくらい楽しいものだった。
 そして、会話は続く。
 「学部は何」「ここにいるみんな法学部よ」「だったら、将来は弁護士になるつもりなの?」
 すると、いっせいにため息をついて「なれたらいいんだけどねえ」という返事が返ってきた。まだ、1回生だという彼女らは、これから膨大な勉強量をこなさなければならないのだろうし、そしてそれは容易な道ではない。
 また、お金の話しにもなった。
 「日本から海外に旅行に来るんだからよほどお金持ちなんでしょ」「そんな、まさか。とにかくアルバイトをして貯めたんだ。タイの学生はアルバイトなんかするの」「私たちは結婚するまで親の元で生活するから、別に働いたりしないわ」
 僕がアルバイトでどれくらいの収入があるかをバーツで示すとかなりびっくりした。それはそうかもしれないが、しかし一食が20バーツですむタイと、大学で食べても500円は軽くかかる日本とでは物価があまりにも違うのだ。
 そして、おかしかったのは休日の過ごし方について。
 「休みの日はなにをして過ごすの」「家でごろごろしたり、マンガを読んだり。月に1、2回は伊勢丹なんかでショッピングをすることもあるけど」「ふ〜ん、あんまり外には出ないんだ」「渋滞がものすごいからあまり出歩かないわ」
 なるほど、別に地元の人は渋滞が日常だからとは言え、別に容認しているわけではないのだ。
 会話がトントン拍子ですすむと、それにつれて場の雰囲気も盛り上がってくる。
 「タイの人ってきれいな人が多いけど、君たちも美人だよね」
 とてもじゃないが、日本でこんなセリフを口にしたことはない。「ええ、そうでしょう、そうでしょう」と、大いにわいた。
 運のいいことに、その店のオーナーが彼女たちの内の一人の父親と知り合いだということで何と全員の勘定がただ。
 「午後もひまだから、この近くで時間つぶせるところないかな」と尋ねると、「だったら、よかったら飾り付け手伝ってくれないかな」
 もちろん快諾。
 学校に戻ると、さっきの場所に数人が待っていた。一人だけ男。
 「何で、急にいなくなっちゃうのよ」「ごめん、ごめん。ほら、日本から来たって言うこの人と一緒にご飯食べてたんだ。もちろん、これからちゃんと働くから許して、ゴメンネ」
 タイ語でこのような会話がなされていたのだろうと推察される。
 飾り付けと言っても、実際には飾り付けのための準備のような作業を手伝った。足踏みの空気入れで風船を膨らまし、それをいくつかまとめる。木の棒を鋸で切る。これだけと言えばこれだけなのだが、風船は数え切れないほどあるし、鋸は切れ味がものすごく悪かった。
 しかし、仕事の割には人数が過剰。必定、その他大勢はぺちゃくちゃとおしゃべりに余念がない。おもしろいもので、どう考えてもついさっき交代して作業を始めたばかりだという人が、気付くともう次の人に替わって輪に加わっている。僕はどうも日本人の感覚で、もう少しやらなきゃならないだろうと思っていると、逆に向こうから声がかかる。
 「ほら、休憩しなよ。ジュースも買ってきたし」
 ここら辺が熱帯のペースなのかと身を持って思いもしたが、ひょっとしたら単純に彼女たち特有の性質なのかもしれない。
 彼女たちは非常に親切で、入れ替わり立ち替わりコーラを買ってきたり、お菓子の袋を開けたり、フルーツを振る舞ってくれたりした。いくら割り勘にしようと言っても、にこにこと笑って「いいから、いいから」と言うように、決して受け取らなかった。
 こういう親切には言葉では表せないほど感謝をしたいのだが、唯一食べられないものがあった。甘辛いトロッとしたたれに絡めて食べる一口大に切られたまだ青いマンゴー。しかもそのたれには干しエビなんかも入っている。青臭いフルーツのにおいとほのかな甘さに相反する甘辛い刺激。
 「日本でフルーツって言えば、甘いものを思い浮かべるけど、タイでは色々バリエーションがあるんだね」と、口中に広がる今まで経験したことのない味にとまどいながらコメントすると、「私たちもフルーツと言えば甘いものよね」と言う。おそらく、色々な感覚が違うのだろう。
 作業をしている横にはいわゆるタテカン(サークルの勧誘や意思の表明などに用いられる宣伝媒体。ベニヤ板を組み合わせた上にイラスト等を描き学内に設置される)があった。まっすぐにのびる一本道を自転車で走る男がこちらを振り向きながら左手を「さらば」という具合に挙げているというイラストが明るい色で描かれていた。おそらくはこれも明日の準備なのだろうと思い、上の方に描かれた言葉の意味を尋ねる。
 「幸多き人生を」というほどの意味あいだと言うことだった。
 「どう、うまいでしょ。俺が描いたんだよ、それ」と、午後になって現れた唯一の男が言った。彼は大変に気さくな人で、それほど上手に英語を操るわけではなかったが、「あんた男なんだから体力あるでしょ。もっと頑張って木を切らなきゃ間に合わないわよ」と、片やジュースを飲んでいるその他全員からやいのやいのと言われると、「やれやれ、まったくだよな」と肩をすくめて見せたりした。かと言って、彼女たちの間柄が険悪だなどと言うことは決してなく、次に気付くと、もう一緒におしゃべりの輪に加わって声を上げて楽しそうに笑っているのである。

タマサートの学生と
 彼女ら、彼らは本当に仲のいいグループだった。出会ってまだ数時間しか経たないが、僕は彼女ら・彼らに仲間入りをさせてもらったことでとても素敵な時間を過ごすことができた。
 「ごめんね、わたし先に帰るわ」と、件の女子高生が言い出したので、僕は、「だったら、せっかくだからみんなで写真一枚とらないかい」と持ちかけてみた。本当は彼女と二人で撮りたかったのだが……。
 そのわずかに逆光気味の一枚には、色とりどりの風船を風で飛ばされないようにしながら、みんながニコッと笑った姿がおさめられている。
 カオサンに戻った僕はボーニーゲストハウスのちょっとした庭のような所で、同宿の日本人とウィスキーを飲んだ。オーストラリアのワーキングホリデー帰りの女性が免税店で買ったそのお酒は、「氷持ってきたら一緒に飲んでいいわよ」という彼女の一言からコンビニに出向いた僕を含む数人の男の胃に収まった。ついでに屋台で買った、ぴりっとしたソースを付けて食べる鶏の空揚げをつまみながら夕暮れ時に飲んだそれはまた格別だった。


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