タプロームの夕暮れ

 朝食には260の目の前の道路に出ている屋台でフランスパンサンドウィッチを買って食べた。500リエル。ゲストハウスでも朝食を出すのだが、外で食べた方がはるかに安いという話しを聞いていた。以降このサンドウィッチを二つと、お茶で朝食とするのがここでのパターンとなった。お茶はゲストハウスの方でいくらでも飲ませてもらえる。花柄の魔法瓶と、きゅうす、お茶の葉などがいつでも用意されているからだ。
 ただし、外での水分補給を忘れるわけにもいかないから、水を一本買った。
 大きな冷蔵庫の中にはいつもビールや水がストックされている。しかし、それはいつでも冷たいものが飲めるということとは必ずしも結びつかない。ここでは停電が不確定だが常に起こる。大規模な節電のためらしいが、夜など宿泊客がくつろいでいると唐突に蛍光灯が消えファンが止まる。するとすかさず宿の人が大きなろうそくを用意してまわる。
 ここの娘のサフィアという子がいたが、彼女は機嫌のいい時だと「ハッピーバースデー」の歌を歌いながら灯をともしてまわる。しかし、このろうそくというヤツはかなりの熱源となるのだ。ファンが止まったせいもあるのだが、ろうそくで明かりをとるとかなりの暑さもやってくる。
 当然、冷蔵庫も単なる箱と化してしまうから、電気が止まるとそれっとばかりに、みんなビールや水を取り出す。停電が10分ほどですめばいいが、長くなると冷たいものがしばらく飲めなくなるからだ。
 ちなみに、情報ノートによると、サフィアは機嫌の波が激しいらしく「僕はイスを投げつけられました」というメッセージもあった。ただ、僕がいた間は概ね上機嫌だった。
 アンコールワットというのは、正しくは一つの寺院の名称なのだが、それとは別に、アンコールワットエリアとでも呼ぶべきもう一つの意味が存在する。僕も実際にこの地に来るまでは知らなかったのだが、寺院としてのアンコールワットを含んだかなり広大な地域に数多くのの寺院や街の跡が点在している。とてもではないが歩いて回れる距離ではない。だから、バイタクを雇うことになるのだ。
 バイタクも相場が決まっていて一日6ドルで契約する。前日までに話しをつけておくと、頼んだ時間に迎えに来てくれる。目的地について「何時に迎えに来てほしい」と言うと、またその時間に彼らはやってくる。
 僕が2日間世話になった彼は、中学生か高校生くらいの年齢に思われた。自慢のホンダの新車に観光客を乗せてて金を稼ぐのだが、なぜか、ミラーが2枚とも付いていなかった。「誰もそんなもの付けないよ」と言う彼の言葉通り、往来を行くバイクのほとんどにミラーはなかった。付けていてもすぐに盗まれてしまうのだそうだ。ヘルメットもかぶらない、道には信号もない。しかしそれでも4、50キロしか出していないので、事故が起こる心配もまずない。
 昨日の夕方とはうって変わって静かなアンコールワットだった。この理由はすぐさま身を持って納得させられた。昼間は暑いのである。どうりで、あの時間に宿から出発したのは僕たちだけだったのだ。しかし、石造りの寺院の内部は熱気から逃れるには格好の場所だった。コウモリの糞尿の独特のにおいさえ気にならなければ。

アンコールワット
 4面の壁にはそれぞれ二つづつ異なった物語のレリーフが彫られている。詳しく述べると、正面に当たる西側には「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」。東側に「ヴィシュヌと悪魔の戦闘」。南側に「王族行進図」「天国と地獄」、そして北側に「神々と悪魔の戦闘」「クリシュナと魔王バーナの戦闘」がそれぞれ彫り込まれているらしい。一通り見ててまわったが、「それでは乳海撹拌図はどこにあったか?」と聞かれても、とてもじゃないけど正確に答えられそうにない。ラーマーヤナとマハーバーラタの違いなんかもっと分からない。
 そんな不案内な観光客を当て込んでか、ガイドをしようと着いてくる子どももいる。頑張って英語で説明しているのだが、いかんせん我々にはガイド代を払うべき余裕もない。しかし、金がないと分かるとさっさとどこかに行ってしまう。
 しかし、元々この時間帯に見学に来る人間の数は少ないから、中にはごろっと寝ている物売りの子どももいた。また夕方になったら起き出して観光客相手にジュースを売るのだろう。
 中央部には塔がそびえていて、かなり急な階段を登って行き着くことができる。高いところが好きだからそこに腰を据えていると、タイを発つ時に空港のロビーで出会った日本人と再開した。
 ぐるり森、そしてボートで辿ってきたトンレサップ湖が小さく見える。静寂の中、真っ青な空に流れていく雲を眺める。
 数年前まではこの辺りも地雷が残っていたらしい。今はアンコールワットの一体は一応安全だとは言われている。しかし、残念ながら僕は確実に人の通った跡しか歩くことができなかった。が、宮崎君は違った。途中から「もっと先に行ってみる」との言葉を残して彼はずんずんと森の奥に進んで行ってしまった。
 待ち合わせの時間は1時だったが、全部見てまわったので、少し早めに入り口付近で待っていた。大きな木陰で水面を見つめていると、元気なおばちゃんが話しかけてきた。九州の辺りのイントネーションの彼女は、友人と二人で100カ国を訪れるのが夢だと言う。20才の息子がいると言うから、僕の母親と同じくらいの年齢だろう。体中から生気があふれる人だった。
 途中から別々に行動していた宮崎君も戻ってくると、うまい具合にバイクがやってきた。彼らはしきりに僕らを待たせたことを恐縮していたが、単にこちらが早く戻ってきただけなのだ。しかも、彼らはちゃんと約束の10分前には到着していた。
 何と宮崎君は、途中で出会った人の家に訪れて、家族総出で記念写真を撮らせてもらったということだった。みんなが一張羅を着て、いそいそとカメラの前に立ってくれた。「言葉はよく通じなかったけど楽しかったよ」と語ってくれた。
 ゲストハウスに帰る途中で宮崎君が乗った方のバイクがパンクしてしまった。ここでも運転手はしきりに「すみません」を連発していたが、別に彼らが悪いわけではさらさらない。
 「どうする、先帰ってもらっていいけど」と、宮崎君は言ってくれたが、別に急いで戻ったところで何が待っているわけでもないので、ゆっくりと修理を待つことにした。
 バイクが多い、そして、道は未舗装とくれば、パンクが多いのも当然だと思われるが、ちゃんと町中の至る所に修理屋がある。この時も道沿いに道具を出しただけの店?で直してもらった。
 その間に片言だが彼らと言葉を交わした。
 「ここではホンダのバイクを持つことがある種のステータスになる。僕の兄はもっといいバイクを持っている。僕ももっと働いて大きなバイクがほしい、もちろんホンダの」
 ホンダの人気はかなりのものだった。ここ、カンボジアに限らず、ヴェトナムなどではバイクの修理という言葉の代わりに「HONDA」とだけ書いた看板を掲げた修理屋をいくつも見かけたし、ラオスではDAIHATSUという名前の横に、手書きでHONDAと書いたトゥクトゥクも見かけたほどだ。
 ゲストハウスに戻ってきてもさすがに午前中であの暑さだったから日が暮れるまでは外に出る気になれなかった。彼らには4時にもう一度来てもらうことにして、休息をとった。昼ご飯はまたフランスパンサンドイッチ。安くてうまくて、二つも食べれば十分に腹がふくれる。言うことなしだ。
 260は何も考えずに時間を過ごすのにうってつけの場所だ。別段、何をしなくてはいけないという束縛は何もなく、ただひたすらにのんびりとする。本を読んだり、宿泊客どうしで他愛もないおしゃべりに興じたり、のどが渇けば自分でお茶をいれて飲む。近くにいた人に「どうですか」と声をかければ、またそこから新しい知り合いができる。
 この日の夕方は、まず市場と郵便局に寄ってハガキを日本の友人と家族にあてて出してから、タプロームという寺院を訪れた。3日間で10カ所近くあれこれと見たが、一番気に入ったのがこのタプロームだった。
門
 門には四面の顔の巨大な像がある。そこから少しまっすぐな道を歩いて入っていく。途中、これは三才くらいの女の子だろうか、ただ「ワンダラー(1$)、ワンダラー」とだけ言いながら、木彫りの人形を売ろうと、その短い足でてくてくと追いかけてくる。石がゴロゴロしているような道だから、歩きにくいし、僕も普段の歩調で歩いているから、よたよたとと小走りしながら着いてくる。ここでも、僕は何もできなかった。
 寺そのものは、そんなに大きくはないが、損傷の具合はかなり激しい。人為的にではなく、自然に壊れつつあるのだ。石造りのその建物にはがっしりと高さ10メートルもあろうかと言うほど巨大なガジュマルが根を張っている。幹は大人が4、5人がかりでようやく囲めるほど太く、緑の葉が生い茂っているものだからかなり薄暗い。
タプローム
 遺跡は根によって崩壊から免れているのか、逆に崩壊が進行しているのか判断は付かないが、積み上げられた石が根につかまれて微妙なバランスで建物の形を保っている。半ば迷いながら建物から出てきたところで振り向くと「落石!」と書かれた看板が目に入ってきた時はさすがにヒヤッとした。
物売りの少女
 ここにいた17才の物売りの女の子は、中々きれいな英語を話した。夕闇迫るタプロームでの麦わら帽子かぶって派手な口紅をひいた彼女との会話は楽しかったが、色々と自分を振り返る機会にもなった。
 「学校に通いたいけど、親がお金を出してくれないからこうやって働いているの」「英語はどれくらい勉強したんだい」「それまでに貯めたお金を使って3ヶ月くらい英語の学校に通ったわ」と、彼女は答えた。
 昨日の夕食はゲストハウスで供されるスペシャルディナーを食べたのだが、今日は外に出てみることにした。昨日は昨日で、大根と鶏肉のあっさりとしたスープと、鶏のソテー、それにご飯が食べ放題だった。確かに悪くないし、これで3000リエルだからプノンペンなんかに比べても安いのだが、シェムリアップの物価からいくと、いささか高い感じがする。
 修行僧に「行きませんか」と、声をかけると「やっぱ、何か食べなきゃいけないだろうからな」と言って快く付き合ってくれた。
 ゲストハウスの前の道を5分ほど歩くと小さな川に出るが、そこに沿って並ぶ屋台をのぞいた。時間が早いせいかいくつかはまだ開いていなかった。目星をつけて一軒の屋台のイスに腰をかけると、英語も書かれたメニューが出てきた。
 スープに入った麺にはまたもや、大降りの血のかたまりがどかっと乗っていた。ふーふー言いながら、僕はあっと言う間に平らげたが、修行僧の彼はやはりまだ体が本調子ではないらしくて、少しだけ口を付けたものの、後はスープだけを無理矢理すすっていた。しかも、店を出ると木の根本でゲロゲロと吐いてしまった。
 「大丈夫ですか」と僕は声をかけた。「いやあ、まあ口に入れられるようになっただけでも、ずいぶん良くなってはいるんやけど……」と、しんどそうに返事をよこした。
 果物ならもっと食べられるかもしれないと、彼が言うので僕も付き合ってランブータンをいくつか買った。
 ランブータン、これを食べるように腹が決まるまで長くかかった。はじめに見たのはバンコクの市場の軒先だった。逡巡させた理由はその容貌にある。卵くらいの大きさの真っ赤な実に、緑の毛が3センチほどにょろにょろと伸びているのである。もし、こんな物を食べる宇宙人を見たら大抵の人は悪者だと決めつけてしまいそうな代物なのである。
 260でナイフを借りて、皮をぐるっとむいてみる。白っぽい果肉のまん中に大きな種がある。果肉にまとわりつく薄皮が口に残るものの、味はブドウとライチを足して2で割ったようなさっぱりとした味だった。


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