日没

 どうも、体がだるい。少し風邪気味のようだ。しかし、アンコールワットの探索はまだまだ終わっていない。多少の無理は効くだろうと今日もバイタクの後ろに乗り込んだ。
 まず目指すのはバイヨン。巨大な人面像が数多くある寺だ。日本で、これをモティーフにしたシーンのある映画を見たことがあったので、楽しみにしていた所の一つだった。
 昨日の失敗から、今日はまだ涼しい内に出かけたのだが、やはり観光客の姿は多かった。早朝から昼前までか、夕方から日没までと言うのがパターンらしい。だから、これは前半戦だ。 
 その映画のシーンで見て期待していたよりは実物は少し小さかった。それでも高さ3メートルくらいはあるだろうか。4面に顔を彫られた石が林立している。全部で40くらいは顔が並んでいた。表情が微妙に違うのだが、いわゆるクメールの微笑みという感じだ。かなり汚れたり草が生えたりしてはいたが、圧巻であることには変わりがない。

バイヨン寺院
 内部が祠のようになっている所で、一人の老人が僕に向かって「ほら、お線香をあげなさい」と、身ぶりで示してくれた。薄暗いその石の空洞に、独特の香りが漂う。礼を言うと、彼の表情もほころんだ。
 さて、このバイヨンだが、ここにも既に修復の手が入っていた。「アンコールワット修復プロジェクト」との手書きの看板には「日本政府の協力により」というようなことが書いてあった。そこら変から切り出しただけというような、丸太を組んで足場にし、大勢の人が作業に携わっていた。指揮を取っているのは早稲田大学のチームだった。えんじ色のヘルメットには白抜きでWの文字があった。
 戦闘に使う象の檻があった場所ではおもしろいものを見た。バンで乗り付けて、ガイドの案内で見て回る日本人の家族がいたのだ。別にこれ自体はよくあるシーンなのだが、そこの娘とおぼしき子が、いわゆるルーズソックスを履いて、ピチピチのTシャツを着ていたのだ。
 これを見るとさっそく宮崎君はまとわりつく物売りの子どもたちに向かって「おい、あそこに行って、コギャルって言って逃げてこい」と、これまたおかしなことを吹き込んでいた。彼は、これに限らず物売り、そこら中にいるのだが、がやってくると僕の方を指さして「俺は貧乏だけど、こいつは金持ちだぞ」などとのたまったものである。
 しばらく子どもたちとやりとりしていたが、残念ながら意思の疎通がはかれない内に、その家族はまた窓を閉め切った車に乗り込むとどこかへ行ってしまった。
 その後もいくつも見て回ったのだが、取り立てて印象に残るところはなかった。段々とどれも同じように見えてきてしまうのだ。観光客がほとんどいない奥地でも必ず物売りの子どもはいた。
 「ジュースはどうだ」「いや、水を持ってるから」と、ザックを示す。
 「カメラ持ってるな、フィルムはいらないか」「まだいっぱい余ってる」と、嘘をつく。
 こういう観光地の物価が高いのは当たり前のことだから、避けるに越したことはない。スキー場で缶ジュースが200円もするのと同じようなものだ。
 段々歩き続ける内に風邪がひどくなってきたような気がする。一番こたえたのは、「ここは小さい寺です」とバイタクの彼に言われて、ずんずん歩いていったのだが、単に小さいのは入り口だけで、縦は妙に長かった。とにかく歩くにつれ汗が吹き出す。しかし、せっかくだから奥には何かがあるのだろうと行けども結局何もなかった。ちょっと腰掛けて水を口に含む。生ぬるいその水が心身に沁みわたる。えいやっと、意を決して来た道を引き返した。
 夕方、再び日没を見るために出かけた。今度はちょっとした山の頂上から眺めようというのである。かなり急な道をまっすぐに登る。サンダルでは少々きついかなというくらいの道のり。そこに集まる多くは、いわゆる観光客だった。どうも団体行動に組み込まれているらしい。
 山頂にも小さな遺跡があった。その横に旗を立てているちょっとした鉄塔があるのだが、僕らはその上を目指すことにした。本当は乗ってはまずいのだろうが、高いところが好きなのだ。塔から遺跡の上に移ると、石がぐらぐらと揺れた。全部で5、6人は乗ったと思う。下の方では、陽気な旅行者のグループがおみやげ用に買った太鼓を打ち鳴らしながら歌っていた。
 まだ、日没までには時間があったが、残念ながら今日も地平線には雲がかかっていて、沈む太陽は見られそうになかった。赤くかすむ森林のあちこちから、煙が上がっていた。
 眼下に広がる雄大な景色を堪能しながら、その遺跡の上はちょっとした夕涼みといった雰囲気になっていた。
 「いやあ、冷えたビールがほしいですね」という一言が発端だった。
 「だったら、枝豆とかね」「ナイター中継やってると雰囲気出るなあ」「ビールのあては冷たいものがいいね」
 高級なレストランなどでは冷たい料理があるのかもしれないが、普段僕たちが口にするのはよく火の通ったものばかりだった。そうじゃないと、怖くて口にできない。
 「冷や奴とかいいですね。ほら、鰹節と葱をかけて」「ああ、もう言わないで下さいよ。どれだけ食べたくなっても手に入らないんだから」「俺、プノンペンに戻ったら日本料理屋で奮発しようかな」
 既に、夕陽を愛でるという当初の目的は忘れられ、それぞれが居酒屋のメニューに思いを馳せ出した。もう止まらない。
 と、一人が声を上げた。「あれえ、彼女たちまだいるよ。タフだなあ」
 赤いクーラーボックスを小脇に抱えたジュース売りの女の子たちが陽気に手を振っている。
 「おにーさん、コラー」「彼女たちは何を怒ってるんですか」と、僕は尋ねた。「いやね、ふもとからずっと着いてきたんだけど、コーラを売ってるんだよ」
 なるほど、ちょっとした発音の違いか。しかし、ちゃんと日本語である。
 「イチマンエーン」
 これも意味が分からなかったが、「一枚」つまり1ドル出せばコーラが飲めるということらしい。1ドルで缶ジュース1本だったら日本と同じ値段である。いくらなんでも、と思ったが、1ドルで少しおつりが出るらしい。もし、ビールがあれば2ドルでも出すと口々に言ったが、残念ながら彼女はジュースしか持っていなかった。
 彼女たちが携えているのは丸いクーラーボックスで、上の部分に取っ手が付いている。ジュースが何本も入っているからその重さはかなりなものになるはずだ。それをばっちりと化粧をした10才ちょっとの女の子が、取っ手に腕を通して、バランスを取るように逆の側に軽く体を傾けている。これはかなり絵になる。実際、僕も写真を撮らせてもらったし、中の一人は「俺、やばいよ、ロリコンかもしれない。彼女たちかわいいよなあ」と言いながら、横に並んで写真を撮っていた。
 宿に着いて、冷えたビールをあおる頃には体調はすっかり戻っていた。
 夕食を取りながら、あれこれと話をした。夏休みを利用している学生が圧倒的に多かったが、その他にも中国語を学ぶために北京に留学している人、大学を出て針の専門学校に通っている人などがいた。彼はインドネシアに針の先生がいるから、その人の許を尋ねる途中だということだった。その彼の話は痛快だった。
 「前に泊まってたゲストハウスで知り合った人なんですけどね、大学生だったんですよ。で、僕が専門学校に通っていると分かると急に尊大になって、『そう。専門学校って大変らしいよね。毎日とにかく勉強しなきゃいけないから。僕なんかほら、授業料払って大学に遊びに行ってるようなもんだからさ』何て言い出すんですよ。そんなの分かってるよ、って僕も今さら言い出しにくくなっちゃってね。だって、大学には5年も通ったんだからその彼よりも大学のことは詳しいのにね」
 また、高校時代の友達どうしで、一人は日本の大学に通い、一人はインドネシアの大学に留学しているという二人で旅をしている女性たちもいた。


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