沈黙の道程
アンコールワットの一帯は比較的安全だと述べたが、当然まだまだ危険な地帯もある。中心部から数キロ離れたバンテアイスレイなどは代表格だ。数年前にはアメリカ人の観光客とガイドが殺されているという。強盗や、ポルポト派の残党が出没する可能性がある。だから、観光は許可されていない。
しかし、バンテアイスレイのレリーフはすばらしく精緻だと言う。それに260の情報ノートを見ても、既に何人かは訪れているようだ。もっと危険な人たちは、タイ国境まで行って、現地の様子をレポートしていた。それを見て好奇心を刺激された数人が、危険を冒してバンテアイスレイへ赴くことになった。
出発前にみんなで写真を撮らないかという提案もなされたが、もしもの時にこの写真が日本でニュースなどで流されるのかと思うと何となくためらわれたので、無事に帰ってきたら記念写真を撮ろうということになった。
「無謀日本人観光客、カンボジアで射殺」という見出しで、「左から2番目が粟津啓さん20才」と新聞記事にされても、たまったものではない。
バンに日本人が8人とフランス人が1人。もう1台のオンボロの乗用車にはフランス人が3人ほど。実は最初は我々の方が2台に分乗するように言われたのだが、話を付けた人によると、このバンに乗せていくということだったのにこれでは約束が違うということだった。しばらく運転手たちとやり合っていると、バンに乗っていたフランス人が降りて「何でもいいからさっさと行こうよ」ということになった。
沿道から銃撃された場合、窓側は不利ではないかという恐れがあったが、帰りは席を変えようということでようやく出発となった。
見慣れた道を走っている間はみんなそれなりに会話も弾んだ。
しかし、段々と会話も沈みがちになり車内は重苦しい沈黙に包まれた。
と、ストップと書かれたゲートの所でドライヴァーが降りていった。いよいよここからは危険が待ち受けている可能性があるのだ。それを裏付けるように警官が銃を持って乗り込んできた。
しかし、風景はのどかである。市街から少し離れただけで、高床式の木造の家が並び、泥の池に子どもたちが飛び込んだり、豚が駆け回ったりしている農村風景である。
しかし、いつどこから襲われるか分かったものではない。沈黙がひたすらに続く。
小一時間ほどで「ここだ」と言われた。後から考えるとあっけない道のりだった。
しかし、バンテアイスレイそのものはもっとあっけなかった。現地の人は着飾って子ども連れで来ている。今まで見てきたのと同じようにみやげ物屋にはコーラや、椰子の実ジュースなんかが売られている。
どうも、愚かな観光客に外貨を落とさせるために無理に話をでっち上げているんではないだろうかと勘ぐられるほどに平和な風景だ。
車から降りた警官は、のんきにビーフジャーキーなんかをくちゃくちゃと噛んでいる。
とにかく大金を払ってここまで来たのだから、せめて話のネタだけはつかんで帰りたいという思いは誰しも共通で、銃を携えた警官の写真だけを撮ったり、何かと苦労していた。僕も警官と並んだ一枚を撮ってもらったが、惜しいことにその後方にはビデオカメラを回す観光客の姿がばっちりと写っていた。
そうは言うものの、レリーフはさすがのものだ。アンコールワットなんかにあったのとは格が違う。くっきりと彫り込まれた跡が遺っている。また、「東洋のモナリザ」と賞されるものがあるらしいので、あちらこちらを探して回った。
精華大に通っていて、京都に住んでいる女性に「モナリー、見つかりましたか」と尋ねてみた。すると、「えっ、ほらここにおるやん」と、自分を指さす。僕は迷った。ここで正統的に「何いうてんねーん」と突っ込むべきか否か。しかし、まだそれほど親しかったわけではないので、思いとどまった。心の中ではスリッパで彼女の後頭部をどついていたのだが。
みんな気負っていたものがうまく昇華されることがなかったので、なんとなくぼけーっとジュースを買ったりして現実に自分を適合させようと努力していた。僕もなんだか気が抜けてしまって、普段なら絶対にこんな場所では買わないが、気分転換の意味で椰子の実ジュースを買った。椰子の実にナタで穴を開けてストローを指して中の汁を飲むのである。独特の青臭さとほのかな甘みがある。そして、飲み終わったら店の人に渡して割ってもらう。中をこそげ取って白い実を食べるのである。ふにょふにょとしていて、味の抜けたゼリーとでも言うべき食感。とりたてておいしいものではない。
帰り道は行きとは全く逆の理由で誰もが無口だった。
260に着くと、待ちかまえていた人たちがすぐさま様子を聞きに集まった。最初はそれはもう恐ろしい所だったと吹聴していたのだが、結局は仕方なく本当のことを話した。
風邪があまりよくならないからかどうかは分からないが、無性に腹が減る。サンドイッチ二つでは今日は足りなかった。宿のおばさん、ジャイアンという名前らしい、に頼んで肉野菜炒めとご飯を出してもらった。まだ、腹はふくれない。普段ならここで我慢するのだが、風邪のせいで体調がすぐれないのに、体が食べ物を要求しているのだから、やはり何か食べた方がいいのではないかという気がする。次善の策ということで、またヴェトナムヌードルを頼んでしまった。あまり体によくはなさそうだ。ママさんには「あんた、さっきも食べてたでしょうに」とあきれられてしまった。
ようやく腹具合が落ちついたので、相変わらず玄関先でのんびりと午後の時間を過ごす。
夕方に一度トイレットペーパーを買おうと、二人の人と一緒にマーケットまで歩いて行く道すがら、一匹の犬がしきりに後を追ってきた。
いい加減、停電続きだし、この後はカンボジア、ラオスと回る予定だから恐らく必要になるだろうと、懐中電灯を一つ買った。
目的はこれくらいだったのだが、あれこれと見て歩く。市場というのは別に買い物をしなくてもそぞろ歩くだけで十分に好奇心が満足させられる。しかもおなかが減ったらうまいものも安く食べられる。店を冷やかすのも楽しい。言うことはない。ただ、店の前を通りがかるだけで「ハロー」とか「こんにちは」と声がかかる。日曜雑貨だけでなく、野菜や魚なんかも売っている。水揚げされたばかりの川魚や、どかっと置かれている肉の塊などに蝿が無数にたかるから、店の人は棒の先にビニール袋を結わえたもので追っ払っていた。
僕が明日にはプノンペンに戻るという話をすると、「だったら、今晩飲みましょうよ」ということになって、メコンというウィスキーを一本買った。一緒に行った一人が、「飲んで・頭にくらくらっときて・プハーっと気持ちよく酔える」、というようなジェスチュアでがんばって「これは、アルコール度数高いのか」ということを伝えようとしていたが、相手は笑うだけで、どうも言いたいことはうまく伝わらなかったようだ。
夕食はまた川向こうの屋台街でナスと魚を煮込んだカンボジア風ぶっかけご飯と、鶏肉と卵を甘辛く煮つけたものを一皿食べた。十分にお腹がふくれて、これで1500リエル(≒60円)は、ものすごく安い。物価が安く居心地がいいこの街を離れるのが段々と惜しくなってきた。
宿に帰ってメコンで乾杯。僕は膝の上に猫を抱いていた。260では2匹の猫を飼っていたが、その内のおとなしい鍵尻尾の黒猫の方だ。この2匹は出会うと喧嘩をして、辺りをはばからず暴れるのだが、一匹だけこうやってなでていると静かにすやすやと寝息をたててかわいいものである。
相変わらず停電がやってきたが、ロウソクの光の許で飲むウィスキーは心にしみた。しかも、暗闇の中を蛍が一匹迷い込んできたのだ。日本で見るものよりも、もっと明かりが強烈で、一匹でも十分に存在感があった。
「インドでね、蛍が乱舞する場所があるんですよ。いやあ、あれはすごかったなあ」などという話も飛び出し、酒と雰囲気の両方とに酔った。
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