真の語学力とは

 11時を少し過ぎたところで、ヴィザを頼んでおいた旅行代理店に到着した。キャピ1のチェックアウトが正午だから、それまでには戻りたい。
「11時半って言ったじゃないですか。まだ取ってきてないんで、ちょっと待っててもらえますか」と、彼は相変わらずにこやかな表情で、車に乗って出て行った。
 時間ちょうどに戻って来た。
 正午におばちゃん二人と待ち合わせてタクシーを探した。
 宮崎君ともここでお別れである。彼とは一番長い時間を共に過ごしたことになる。さしたるトラブルもなくいいルームメイトだったと思う。彼にしてみれば、風邪をうつしていった迷惑な奴だったかもしれないが。
 しかし、名残を惜しんでいる暇はない。陸路でヴェトナムへ向かう旅行者は朝の内に出発するのが常だと言う。国境は5時に閉まり、大体4時間はかかる道のりなのだ。
 バイタクの連中の中で「俺が車を出そう」と言うのが一人現われて、値段の交渉に入った。国境までは20ドルというのが相場だと言う情報を得ていたが、3人で割るには少し無理がある。最初はもう少し高くふっかけられたのだが、結局一人7ドルでまとまった。翌朝まで待って5人くらい集まったところで20ドルで行けば、交通費は安く付くのだが、一泊余計にする事を考えたら今日中にヴェトナムに入国していたい。水とフランスパンサンドウィッチを買い込んで出発。
 おばちゃんが、たどたどしい英語で「国境、5時、閉まる」と伝えると、運転手はニヤッと笑って指を3本突き出した。どうやら、3時間で行ってやるよという意志表示らしい。
 郊外に出ると、あっと言う間に草原を突っ切る一本道になった。周囲はひたすら地平線である。僕は目が悪いので眼鏡をかけているのだが、この時ほど視界が限られる悔しさを感じたことはなかった。見える範囲全てでこの風景を見てやりたいと熱望した。眼鏡をはずしたところで、視界は確保できても全てがぼやけてしまうのでもどかしい。実はこのことがあったので、後日帰国してからコンタクトレンズをはめることになった。
 運転手は約束した時間で行こうと、5速でアクセルを全開にする。しかし、その中古のトヨタは、どれだけがんばっても体感で70キロというのがいいところだった。体感でというのにはわけがある。スピードメーターが役に立たないのだ。車の振動に合わせて、0と20の間をブルブルと行き来するだけだった。
 エアコンなど動くはずもなく、窓は開け放していたが、暑い空気と砂埃とがかなりひどかった。あっと言う間に口の中はざらざらになり、いくら水を飲んでもキリがない。徐々に気分が滅入ってくるが、それを助長するようにクラクションが果てしなく鳴らされる。先行する車を追い抜く時などはずいぶんと後方から鳴らしっぱなしであった。まるで、「今から抜くぞー」「今、抜いてるぞー」そして、「追い抜いたぞー」というメッセージを送っているかのように、とにかくうるさく鳴らすのだ。
 道路は一応は舗装されているものの、所々に大きな穴が開いたり、ヒビが入ったりで、ひどい時には道路から出て迂回しなければならないほどだった。
 途中で一度フェリーで川を渡った。そこで一人の男が近づいてきたのだが、どうやら一緒に乗せてもらえないかという相談を持ちかけてきたようだ。運転手は「どちらでも構わないけど」という感じだったが、僕らは彼が乗る分狭くなるのだから、当然のごとく値引きを要求した。結局一人1ドルづつは安くしようということで、新たな乗客が加わってまたでこぼこの道を突っ切った。しかし、その彼は尊大にも助手席に乗り込んだので、僕らは後ろの席で窮屈な思いをする羽目になった。
 約束通り、3時間とちょっとで国境に着いた。これが、オフィスかと思うような小屋で出国の手続きをした。
 「写真を撮っても構わないだろうか」と尋ねると、「ノープロブレム」との返事。国境付近は場合によってはまずい場合もあるということを聞いていたので、ほっとする。
 歩いて渡る国境は生まれて初めてだ。緩衝地帯を挟んで数十メートル向こうはもう別の国。しかし、国境と言っても、道路上のその一帯以外は全く同じ風景が連続している。緩衝地帯では牛が草を食んでいる。
 ところが、ヴェトナム側のゲートには「写真撮影不可」という大きな看板が出ていた。お国柄の違いだろう。
 入国手続きも比較的スムーズに終わった。トラックの荷台の検分に忙しく、オフィスには係官が誰もいなかったのだが、さすがにそのまま通っては不法入国である。声をかけて、ようやく一人の入国審査官がやって来た。
 出入国カードに必要事項を記入し、スタンプをもらった。
 「ダナンから陸路でラオスに抜けたいんだけど、このままでいいのかな」と僕は尋ねた。すると、親切にも日本の入国カードの裏にホーチミンシティーのイミグレーションオフィスの住所を書き込んで、「ここで手続きをしたらいい」と教えてくれた。入国審査官はぶすっとした対応の人が多い中、彼は例外的に非常に好感の持てる人だった。
 「ちょっと待っててくれ」と彼は言うと、今度は税関の職員を呼んできて、またトラックの方に戻った。
 「カンボジアで買ったおみやげの中に、仏像はありませんか」とだけ、質問されたが、その時に僕は「statue 」という単語を中々聞き取れなかった。おばちゃんが、彼の身振りを見て「仏像のことじゃないかしら」と言ったので、そう言えばそうだなと納得した次第だ。
 オフィスを抜けると、タクシー運転手が5、6人群がってきた。中に一人、おそらくホテルと契約しているのだろうが、その名前らしきものを書いたポスターを持っていた少年がいた。彼は真っ先に僕たちの方にやってきて言葉をかけたのだが、いかんせん通じない。英語を解さないようだった。「一体、どこのホテルで、どれくらいの値段なんだ」と、何とか聞き出そうとしている間に、他のおじさん達に囲まれてしまった。かわいそうに最初の彼はその輪からはじき出されて、僕たちは英語のできるおじさん達との交渉に移っていった。
 ところが、全員が全員20ドルで行くと言ってきた。こちらは3人だから割りづらい。それにもう1時間もせずに国境は閉まるから、今日最後の客を乗せるためにも多少は値引きした方が得であろう。
 さて、それではどのような言葉で伝えようかなと思案している内に、おばちゃんが「すりーぱーそん、しっくすだらー、おーけー?」と、ただこれだけで結局まとめてしまった。8年半も英語を勉強してきたのは、一体何だったのか。僕は少なからず愕然とした。
 ただ、カルテルを破ったおじさんは、他のおじさん達からこづかれていた。そこで、車に乗り込んだおばちゃんがすかさず一言、「ヘンガップライ!(さようなら!)」
 その時、僕の目にはそのおばちゃんはとても颯爽と見えた。
 単語をカードにまとめ、ベルトにぶら下げているから、即利用できるのだと言う。「ほんとに基本的な言葉しかメモしてないのよ」と謙遜していたが、その「学ぶ」という姿勢には、いたく感服した。
 ホーチミンシティーまではおよそ2時間の道のりだったが、道路はカンボジアよりよっぽどしっかりしていた。また、通り過ぎる街には物資が豊かにあるなという気がした。一人当たりのGNPは20ドルほどしか変わらないこの2国だが、活気という点においてははるかにヴェトナムの方が勝っている。緑や物資が豊か、おばちゃんは「人が着てるものも違うわねえ」と言っていたし、僕にはそこら辺にいる牛までが肥えて見えた。
 ホーチミンシティーの安宿街は、フォングーラオという通りだ。一応、運転手は分かったような顔をしていたのだが、市内に入るとどうも頼りなげだ。何度「フォングーラオ」と言い方を変えても通じない。ふとしたことで、僕が「なんか響きがフォアグラに似てますよね」と冗談を飛ばした瞬間、「オッケー、オッケー、フォアグラ!(と僕には聞こえた)」
 車を降りた瞬間「ここのホテルへ来い」と客引きが寄ってきた。
 「いくらだい」「10ドルだ」冗談じゃない、それじゃあ僕の一日の予算だ。「高すぎる!」「だけど、部屋は広いぜ」そんなことは僕には関係がない。
 「狭くて汚くても2、3ドルという所がいい」「じゃあここだ」と、彼はすぐ目の前を指した。

シンカフェ2
 なんとそのシンカフェは8人部屋のドミトリーが2ドル。今回の旅で一番安上がりのゲストハウスだった。さっさくチェックインして、階下でBGIビールを喉に流し込む。しみじみと移動した距離を考えてみた。
 そしてフォングーラオをそぞろ歩いていると、ばったりと宮崎君に出会った。今日は部屋にシャワーの付いているちょっといいホテルに泊まっていると言っていた。
 かたや、シンカフェ(これも1と2があるが、ドミトリーは2の方)は部屋から出て、階段を下りて、一端建物の外に出て、そして建物の裏側に回らなきゃトイレにも行けないのだ。
 その宮崎君とはホーチミンシティーにいる間に何度か顔を会わせることになった。


戻る 目次 進む

ホームページ