人民宅へご招待
4時過ぎに一度目覚めたときに、すでに往来は賑やかだった。しかし、こんなに早起きしてもするべきことなど特に何もない。
再び目が覚めたのは8時過ぎだった。これでも十分に早起きなのだが、ホーチミンシティーの探索を開始することにした。近くにあるベンタン市場を目指してぶらぶらとする。やはりこの街もバイクやシクロが多いが、車もかなりの数が流れている。
おそらく、この道をまっすぐ行けばいいのだろうと、目星がついた辺りで道端にいたおじさんに話しかけられた。「ここで朝飯を食っていかんか。うまいぞ」
ヴェトナム風のうどんのような、フォーの屋台だった。味付けはあっさりしていて、牛肉ものっていて朝食にはちょうどいい味と量だった。これで5000ドン(≒50円)。ヴェトナムはなんせ通貨の単位が大きい。1ドルが11000ドンもする。まあ、1ドルを110円で計算する分には、0を二つ取ればいいから楽と言えば楽である。
ベンタン市場は、オープンエアーな場所に各店が軒を連ねるのではなく、大きな建物の中にそれぞれの店が構えられていた。
Tシャツ屋の前で、売り子に声をかけられた。2.5ドルのシャツを2枚で4ドルまでしか負けさせることができなかったが、まあ、朝からかわいい女の子に声をかけられたことでよしとしよう。
と、思っていたら「ちょっと、この1ドル札ものすごくぼろぼろよ。きれいなのに代えてよ」と突っかかってこられた。「何を言ってるんだ、同じ1ドルじゃないか。それとも何か、きれいな紙幣で払ったらもう少し負けてくれるの?」と結局は振り切った。お札が汚いから受け取りたくないというのは初めてだった。
ホーチミンシティーも大抵の道路が直交しているので、比較的歩きやすい街だ。僕はとりあえず、次の目的地であるラオスのヴィザを申請しようと、2キロほど離れたラオス領事館へ向かった。
ベンタン市場を出て、ハイバーチュン通りにぶつかったら、あとはディエンビエンフー通りとの交差点までとにかくまっすぐに歩けばいい。
と、大通りでテレビ撮影のような一行に出くわした。カメラを回す前で、数人の着飾った子ども達が行進している。別に一刻を争って領事館に行かなくてはいけないわけでもないので、ただ何をするでもなく近くのベンチに腰を下ろして見学していた。
まず寄ってきたのはココナツジュース売りの少年二人組だった。まだ7才くらいだと思うが、結構大きな天秤を肩に乗せ、皮をむいてきれいに形をそろえたココナツを売りに来た。一人は何となくしたたかそうな風貌で、青い帽子をかぶっていた。もう一人は、どちらかと言えば控えめでお人好しな雰囲気を漂わせていた。彼は赤い帽子をかぶり、胸の部分が真っ黒に汚れたシャツを着ていた。
当然のごとく彼らはそれなりに英語が話せるので、なんとなくおしゃべりが始まった。その内に「買わないなら、そのカメラで僕らを撮ってくれよ」ということになった。しかし、彼ら二人をフィルムに収めただけでは終わらなかった。余計にはしゃぎだした二人はもっと撮れと言ってくる。ココナツをモデルのようにポーズをとって持ってみたり、天秤を下げて、僕と一緒に写ってみたり。ついには、僕もその天秤を肩から下げることになった。しかし、よいしょっとかついだ瞬間によろめいた。天秤なんか持ったことがないから、バランスの取り方がまずかったのだろうとも考えられなくもないのだが、実際それはかなりの重量だった。
今改めて、その時の写真を見ると、僕も彼らに負けないくらいの日焼けした肌の色をしている。しかし、シェムリエップからの帰りについたバンダナの跡はどう見てもごまかせないほどにくっきりと写っている。
こちらがにぎやかにやっていると、そのモデルらしきテレビカメラの前で演技をする子ども達もこちらのことが気になって仕方ないようだった。自分の出番が終わった子から、こちらにやってくる。ココナツ売りの少年よりは多少は年上に思えたが、それでもまだ12、3才というところだろう。
袖をまくったTシャツに短パン、それに相変わらずのサンダル履きのこの旅行者に興味津々である。「どこから来たのか」「年はいくつか」といったありきたりな質問から、目の辺りがちょっとかわいい女の子からは、すごく照れながらも「結婚してるの?」という質問まで飛び出した。「しちゃいないさ」と答えると、彼女たちは、蜂の巣をつついたように黄色い声をあげた。どういうことなんだろう。
作業が終わったのか、後かたづけに入ったスタッフの中から一人の男が近づいてきた。そして名刺を差し出して「僕はディレクターをやってるんだよ。もしよかったら今日の昼、うちに食事を招待したいんだがどうだろうか」と思ってもみないうれしい提案をしてくれた。業界人という言葉があるが、彼もやはり普通の街の人たちとは一風変わったあか抜けた雰囲気で、ジーンズをはき、モスグリーンのTシャツの首のところにはサングラスをかけていた。しかし、目は垂れ気味で、ちょっとお茶目え愉快なお兄さん、という感じだった。
「だったら11時に君の泊まっているところに迎えに行くよ」という具合にことは運び、子ども達とお別れをすると、僕は再びラオス領事館を目指した。
トランジットヴィザだとサヴァナケートにしか行けないと言う。サヴァナケートからヴィエンチャンに出て、そこからタイに再入国するつもりにしていたので、仕方なく値段が高くなることは覚悟の上で、ツーリストヴィザの方の料金を尋ねた。 ガイドブックには25ドルとあったのに、60ドルだと言われた。ばかげた金額だ、とりあえず常道として疑ってみる。すると、彼はビジネスライクに淡々と言葉を続けながら「ここに本国からの文書がありますね、料金は改定されているんですよ」と、目の前に書類を出してきた。そこまで言われたら仕方がない。ラオスを諦めようかという気持ちもあったが、ここまで来た以上はできるだけ多くの土地を訪れてみたい。
しかし手持ちの金がそれでは足りないので銀行で1万円を両替した。ヴェトナムではどこでも両替ができるかというと、そんなはずもなく、ヴェトコンバンクというところでしかやってくれない。領事館から一端ゲストハウスに戻って銀行まで歩いたので、その時かなりへばっていた。何度かシクロに乗ろうかとも考えたのだが、これから払う大金のことを考えると、歩ける限りは歩くしかなかった。
そんな僕の精神状態を逆撫でするように窓口の行員の態度はひどかった。チェックとパスポートのサインを何度も見比べ、僕の顔を疑わしげにじろじろと眺める。「両方とも、俺のサインや。さっさと両替してくれや」と言うと、「もう一度サインをし直せ」と突き返された。そりゃあ、僕の字はおせじにもきれいとは言えないが、誰がどうみても同一のサインだろうに、と思った。しかしそれ以上ごねてみたところで、現金にしてもらわないと困るのはこっちだから、仕方なくパスポートにしたのに似せるように注意深く書き直した。
なんで、本人が本人のサインを真似なくてはならないんだ! 僕は「粟津啓」という文字は今まで数え切れないほど書いてきた。小学校のノートや文房具に、入試の答案には真っ先に書いた、バイト先に出す履歴証にもだ……それを違うだろうと疑われても、それは疑う方がどうかしてる。
これで一気にゲンナリときた。もはや歩く気力も失せた。流しのシクロを拾う。地図で場所を示し1ドル要求したきたのを7000ドンで行ってもらった。
さすがにこいつは快適だった。車やバイクの間を縫ってスムーズに進むし、何よりも座っていられるから、また今までとは違った視点から風景を感じることができた。シクロだけを移動手段にするならこの街も悪くはなさそうだった。
しかし、気分のいいことは中々続いてはくれない。「さあ、60ドル出すからツーリストヴィザを発行してくれ」と言うと、「では来週お渡しします」との領事館員の返答。
冗談じゃない、それまで待つ気はない。限られた日程の中で、僕はまだまだ行きたい所がいっぱいあるんだ。
「あと25ドル払ったら明日には出せますが」と相手は言ってくる。僕はこの時、いやしくも領事館の人間がぼったくりはしないだろうと甘い判断で、しかたなく合計85ドルも払ってしまったのだが、後日カオサンの旅行代理店の人の話では「そりゃあ、やられましたね。料金が変わったっていう話しは聞いてませんよ。カンボジアで取ればもっと安かったかもしれません」ということだった。
よし、これからは以前にも増して倹約精神でいかねば。とりあえず、1日2食で過ごそうと僕は悲壮な決心を余儀なくされた。
ますますもってシクロには乗れなくなった。歩いた。またまた宮崎君にばったりと。彼は、ハノイ辺りまで北上してからラオスに入国するという。ヴィザの話しをしたら一言「たけーな」。まったくだ。
もう一度市場に寄ってトイレットペーパーとマゴスチンを5個買った。5個で1ドルと言われたから、店のおばあちゃんが袋に詰めているときにぱっと山からもう少し取って入れようとしたら、一つしか認めてくれなかった。
ここら辺で段々と考え方が変わってきたのが自分でも分かる。おそらく少し前なら、一つおまけしてもらえた、と喜んだだろう。さらに旅を始めてすぐであれば、ただ彼女の提示した額で別に何とも思わなかったかもしれない。
しかし、これは僕がセコイ人間になりつつあるということを意味するものではない。むしろ、土地の考え方に慣れてきて、とっさに行動を伴って判断を下せるようになってきたと喜ぶべきなのだ。
マンゴスチンは果物の女王と呼ばれている。固く赤黒い皮の中身は、まず渋皮が1センチくらいあって、その中に白く甘い果肉がある。これが初めてだったので、僕はその固い皮だけを一生懸命に向いてもろに渋皮にかぶりついてしまった。口がひん曲がるほどに渋い。しかし、果肉はさすがにジューシーでうまい。両手で、その小さな実を持って、ぱかっと割ればきれいに可食部があらわれてくるのに気が付いたのは2個目にとりかかったときだった。
先ほどのディレクター氏がバイクで迎えにきてくれたので、出発。彼の家は、ベンタンではないが古くからある市場の中にあると言う。
家に着くと、まずサトウキビジュースを目の前で作ってくれた。適当な長さに切ったサトウキビを数本ローラーのようなものに何度かかけて、その果汁を搾り取るのである。彼の場合、単にサトウキビだけでなく何かしらの香り付けのためだと思われる草も一緒に搾っていた。氷を入れたグラスに注がれたそのほのかに黄色く甘い液体は僕の体に沁み渉った。
家の中はおせじにも広いとは言えなかったが、大きなワイドテレビがあった。さすがだなと思う。
「とりあえず、体を洗ってきたらどうだ」と、彼が言ってくる。ヴェトナムでは客に体を洗うことをすすめるのがマナーなのだろうか、それとも僕があまりに汚かったのだろうか。しかし、さすがにシャワーを浴びる気にはならず、体を濡らしたタオルで拭いてさっぱりとさせてもらった。
「僕の両親だ」と紹介された。母親の方は「ハロー」と言ってきたから、「どうもご招待いただきありがとうございます」というようなことを述べたが、彼曰く「母親は、ハローとグッバイしか知らないのさ」。
しかし、この二つの単語を知っていれば、人と出会って分かれることができる。
供されたのは洗面器(そのプラスティックの容器は僕の目にはそうとしか映らなかった)に山盛りにされたご飯、桜色をしたおかゆのようなスープ、豚の角煮、青菜と豆腐と貝の煮物、そして、前菜のような扱いだった巻き貝の煮物。
「これはね、近くの川で養殖してるんだ。ほら、こうやって、くるくるっと身を出して食べる」と、安全ピンを使って器用に身を出していく。
テーブルの上に殻の山ができてきた辺りで、彼がご飯を取り皿によそってくれた。僕が一番気に入ったのは豚の角煮だった。とろける脂身としょうゆのような風味がおいしい。「これ、いいね」と言うと、「そうだろう、うちの母親は料理がうまいんだ」と言って、僕の言葉を彼女に伝えた。
横でずっとついていたテレビではニュースを流していた。ふいに「これって、日本だろう」と言うから画面を見やると、食中毒で揺れる堺市に厚生大臣が訪れている映像だった。内容が日本のことだったと言うよりも、僕は久々にテレビを見たな、という感慨の方が大きかった。
次の番組は歌番組のようだった。ステージではアイドルグループのような女性達が歌っていた。どう見ても、日本のどこかの田舎の学校の学芸会をローカルなケーブルテレビで流しているような印象だったが、「これ、俺の生徒だったんだ」と彼が誇らしそうに語ってくれた。どうやら、彼は映像の専門学校の講師をやっているらしい。かなりヒットした映画なんかも手がけたと語った。
丁重にお礼を述べ、再び彼のバイクで送ってもらった。母親のあいさつはもちろん「グッバイ」だった。
日が暮れかけるころにシンカフェのツーリストオフィスでダナンへ行く鉄道のチケットを手配しようとしたら、「とりあえず空席状況を確認するのでまた明日来てくれ」とのこと。
フォングーラオ通りをぶらぶらとしていると、一軒の店で美人に声をかけられた。ちょうどビールでも飲もうかと思っていたところだったので一も二もなくその軒先に腰掛けた。
ヴェトナムのビールと言えばビアホイだという話しをどこかで聞いていたので、とりあえずそいつを注文。
出されたのは1リットルのプラスティックの容器に入った薄茶色の液体。なんだか、地ビールという雰囲気である。僕の胸は高鳴った。仕事帰りにヴェトナム人民はこのビアホイを引っかけてから帰宅するという。そんな国民的ビールだから当然のごとくうまいに違いない。しかも1リットルで100円もしないのである。
さあ、いざグラスに注いで……と思いきや、あっと言う間に泡がしゅるしゅると消えてしまった。イヤな予感。ぐいっと喉に流し込んでプハーッといく。
まずい。底抜けにまずい。日本にもスーパードライという気の抜けたようなビールがあるが、あれをさらにひどくした感じである。
しかし、僕は飲み続けた。あてを何も頼まずに、暮れなずむ街の様子をぼんやりと見ていると、先ほどの女性がやってきて「他にもなんか頼みなさいよ」と勧める。しかし、僕はとりあえずフォングーラオ通りで食事を取る気はない。どこかの地元の人で賑わうような食堂でも見つけるつもりでいたからすげなく断った。すると、「あれはどう。ほら、スルーメー」と、彼女の指先には紛れもないあのイカを開いて干したスルメが並んでいるではないか。かなりそそるものがあったのだが、ぐっと押しとどまった。
となりのテーブルで飲んでいた日本人、はこういうところに出没する旅行者としては極めて異例とも言うべきピッとした服装だった。それについて尋ねると「いや、どっかで安く買ったシルクなんですけどね、乾きが早いし、着ていて涼しいんだ」と言った。
彼がこの店にいたのには理由があった。「友達がここの店のお姉ちゃんに住所と名前を教えてもらって、帰国してから手紙を出したんだけど返事が来ないんですよ。で、僕がヴェトナムに行くんだったらどうなってるのか聞いてきてほしいと言われて」。
ところが残念ながらその彼女はあまり英語を解さなかったのでうまくコミュニケーションができないようだった。
件の彼女は(さっき僕に声をかけてきた人だ)、確かに美人だ。さっそく僕はカメラを取り出して一緒に収まった。
しかし、カメラをそのまま机の上に出しっぱなしにしておいたのが失敗の元だった。ガムを売りに来た子どもがそのカメラをいじくり始めた。スイッチは切ってあるから大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、彼女はパカッとふたを開いてしまった。36枚撮りのフィルムで、まだ20枚以上残っていたのがおじゃんだ。
結局ビアホイ一杯でそこを後にして、夕食を取る店を探した。先ほどの決心では1日2食だったのだが、アルコールを取り込んだし、美人と一緒に写真は撮ったしで、ずいぶんと気が大きくなっていたのだ。
探せば安くてうまい店は絶対に見つかる。地元の人で賑わっている店を選べばいいのだから。簡単なことだけど鉄則だ。
湯気を立てて並ぶおかず2品を頼んで席に着くと、ご飯をこんもりと、それに 鶏と青菜がたっぷりと入ったスープも一緒に運ばれてきた。十分すぎるくらい満腹になる。これで9000ドン(90円)。すばらしい。
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