アイツがやって来た

 ダナンへ向かう列車は10時の発車だ。それまでの間に腹ごしらえをしておこうと外に出た。シュガーアップルを数個買って、車内での弁当代わりにしようと思う。ついでにフランスパンサンドウィッチを買った。
 こいつがいけなかった。口に入れた瞬間生臭いと思ったけど、気にせずにむしゃむしゃと食べながらゲストハウスに戻った。
 荷物をまとめて、水を買ってさあ出発というところへシンカフェの親父が「どうやって駅まで?」と聞いてくるので「シクロでも拾うよ」と答えた。ところが「いやあ、やめといた方がいい。俺の知ってるバイタク呼んでやるよ」と言ってくる。あんまり高かったらやめようと思ったけど、10000から8000ドン(≒80円)に値切って、親父に別れを告げた。
 駅に着く直前、胃の辺りがキリキリ。「来たな」と思えど、自分をごまかしながらバイクの荷台にしがみつく。
 バックパックをかついだまま、とにかくトイレに駆け込む。入り口で500ドン(≒5円)を徴収された。
 正真正銘の下痢だ。それもかなり激しい。よりによってこれから23時間電車で移動しようという日に……。
 痛む腹を押さえつつ座席へ。ところが、その席にはすでにおばちゃんとその子どもが陣取っている。「そこは、僕の席なんだけど」と言ってると、売り子の女の子が「通路をはさんだ隣が空いてるからそこに座ったらいいじゃない」。うーん、ものすごくアバウトだ。
 列車は出発する。僕の胃腸も元気に活動している。15分ごとに小波がやってきて渚を洗ったかと思うと、ざぶーんと激しい大波がやって来て思考能力までもを奪い去っていく。耐え難い苦痛。胃がヒクヒクと痙攣しているのが分かるような気がする。
 ここで正露丸登場。細菌性の下痢だと抗生物質でないとダメらしいが、とりあえずこれにすがるしか術がない。キャップを開けたとたん馴染みのにおい。なんとなく、効果があったような気がした。
 でも、それはまやかし。10分ほどでまた悶絶する。拳を固く握りしめ、座席でのけぞり、祈る。
 何回トイレに往復しただろう。不幸中の幸いと言うところか、この車両にはトイレが着いていた。とりあえず水洗と呼んで差し支えはなかろう。ぽっかりと空いた穴からは線路が見える。用を足して手を洗っていると、足元に水が流れてくる。洗面台の下から伸びた配水管が床で途切れていて、それが汚物を流すような作りになっていた。
 凪の状態の時に、昼食が出た。まさか食事付きだとは知らなかった。駅弁代を節約するために果物を持って乗ったのだが、その必要はなかったようだ。
 何も僕が乗っていたのは特別な等級ではない。上から順にソフトスリーパー、ハードスリーパー、ソフトシート、ハードシートとある順序の中で、僕が乗っているのはソフトシート。たかだが一晩だから、寝台は選択肢からまず外した。最下層のハードシートでもいいだろうか、と思わないではなかったのだが、この状況ではソフトスリーパーでもよかったかもしれないと痛切に思った。
 その食事は、最初から期待していなかったから喜んで食べられたものの、最初から食事付きだと知っていたらすこしがっかりしたかもしれないという程度のものだった。厚揚げともやしと豚肉の煮物、ご飯、それに、そのプラスティックの弁当箱の空いているスペースに、さっきまで検札をしていた車掌が、大きなポリバケツに入った青菜のスープ(とても味が薄かった)をひしゃくですくってざっぱざっぱと入れて歩く。
 しかし、食後にはバナナも出たし、200ミリリットル入りの水も配られた。なんだかいい感じではないか。体調が万全だったらもっとこの列車の旅を楽しめたかもしれない。
 お腹の方は現金なもので、食べている間は全く痛まなかった。食後にはまた先ほどの繰り返しだったが。
 しかし、まあ正露丸が効いてきたのか、神様に(何のだ?)願いが通じたのか、2時間ほどでおさまった。
 午後にはしばらく海の見える辺りを走った。
 ある駅に止まった時、僕が座っている席のチケットを持つ人がやってきて、他にはもう空席がほとんどなかったから仕方なく、本来そうあるべきと言えばそうなのだが、指定されたシートに戻った。先ほどまでは2席分空いていたのでずいぶんとゆったりとできたのだが、今度は大変だった。
 まずは、その小さな子どもがじゃまだ。加えて、その母親もこっちに足をドーンと投げ出す。こちらも負けじとドーン。一体この扱いは何だ、こっちは彼女らの4倍もの料金を払っているというのに。ヴェトナムには外国人料金というきわめて我々には理不尽なものが設定されているのだ。
 夕食は早々と4時過ぎには配られた。夕食だから少しグレードが高いのだろうか、魚肉ソーセージのようなものが付いてきた。多少おかずの内容も違うし、スープに入っている青菜の種類も違う。でも味は一緒だ。バナナと水が出るところも同じ。
 食後は周囲の人は平気でゴミを車窓からポイポイと放り投げる。有機物だけだった一昔前ならともかく、石油製品までも同じように扱っていてはいずれゴミの山ができあがるのは必至だ。ここら辺は国レヴェルで啓蒙の必要があるのではないだろうか。
 しかしとにかく窮屈だ。リクライニングはそれなりにできるのだが、いかんせんその背もたれの部分が痛い。ソフトシートとは言うものの、決してそれはクッションなどではなく、背もたれがビニールの紐を編んだような作りになっていて、その骨組みの鉄が食い込む。とてもではないが長時間同じ姿勢を続けらない。
 さらに不愉快なことに、周囲にはタバコを吸う人間が多い。公共の場所ではタバコを吸わない、というようなコンセンサスは一体何年経ったらできあがるのだろうか。僕はたばこの煙が大嫌いなのだ。しかしまあ、両側の窓は全て全開で、天井の扇風機も回っているから、風通しがいいのがせめてもの救いだ。
 ところが、その扇風機もしょっちゅうどれかが止まるので、いつも工具を携えた係の人がうろうろしていた。
 森の向こうに真っ赤な陽が沈むと辺りは暗闇に包まれた。
 取り立ててすることがないので寝る。隣の席の親子と、わずかなスペースをめぐって激しく攻防を繰り広げながら。
 夜中過ぎにそのおばちゃんが「ちょっと、あっちの空いてる席に移ってよ」と身振りで言ってきた。何を言ってるんだか。しかし、こちらとしてもゆったりと睡眠を確保したいから、やれやれと思いながらもサンダルをぺたぺたといわせて席を替わった。
 当然ながら最初から空席の隣に座っていたおじさんはいい顔をしなかった。
 眼鏡をたたんでシャツの首の部分に引っかける。こうしていると、昔のことを思い出す。休みとなると18切符を使って(ばら売りされていたので、日程に合わせて使いやすかったのだ、以前は)日本国内をうろうろしていたものだ。宿代を浮かせるために、開いていれば駅で、閉まっていれば近くのベンチなんかで横になった。「ムーンライト◯◯」などの夜行もよく利用した。シートに身を埋めて、心地よい振動に身を任せて味わう旅空独特の寂寞感と、目覚めた時に着いている見知らぬ土地への期待感との交錯した感情。シートは固いが、目を閉じるとそれと同じ感覚が僕を訪れる。


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