Oh! マキロ〜ン

 どれだけ眠れたのかよく分からない曖昧な気分で目覚める。列車の旅で爽快な目覚めは経験したことがない。いつも、眠りと覚醒の境界が曖昧だ。
 夕日とは逆の側の窓に、濃厚なオレンジ色の朝日が地平線から昇るのを見つめた。一直線に北上してきたことが実感される。こうしてみると早起きも悪くない。
 一夜が明けると、車内はずいぶんと様相を変えていた。まず、汚い。そこら中にゴミが落ちている。そして、網棚からは色とりどりのタオルが吊してある。もう、何でもありの状態。
 その不潔な環境のせいか、僕の右足はちょっととんでもない状態になっていた。
 実は昨日、眼が覚めたときに足の指が多少ケガをしていた。理由は不明だが、夜中に誰かに踏まれたのかもしれない。で、別段気に留めることもなく放っておいたのだが、そいつがぐじゅぐじゅに膿んでいた。とめどなく流れるリンパ液が、夜の間に乾燥して、まるで琥珀に閉じこめられた蚊の化石のように僕の指は固められていた。かなり痛む。
 隣のおっさんがいきなり僕の水を飲もうとする。「いいじゃないか」というような顔つきだったが、いいわけがない。これは僕の大切な水だ。さらに通路を歩いていたヤツは車内販売のおばさんを通すためにドカッと膝の上に座ってきた。前の座席のヤツは唐突にリクライニングしてくるから、頭を打った。どいつも謝ったりするわけもない。まったくもう。
 車両の前方に示してあった予定の時刻よりもずいぶん早く到着したようだ。時間より遅く着くことはあるだろう、と思っていたので、とりあえず周りの人に尋ねる。「ダナン?」。みんなが「そうだそうだ」と、おそらく、言っていたので、あわてて荷物を荷台から下ろしたので、バックパックの留め具を一つ無くしてしまったことに後で気づいた。
 ダナンはそれほど大きな街ではなかった。
 駅舎を出るとやはりシクロが群がってくる。右も左も分からないので、適当に一人つかまえて「安いゲストハウスに行ってくれ」と乗り込んだが、バイタクのしつこいのが後から着いてくる。器用にも、シクロにあわせて低速で走りながら、日本人が書いた文章や日本からの礼状なんかを見せて「ガイドはどうだ」と言ってくる。
 この手の客引きの方法はありがちなもので、彼の手帳にも、様々な人がいかに彼のガイドが手頃な値段でかつ素晴らしく、しかも彼本人もいいヤツか、ということが綿々と書き連ねてあった。礼状にはなぜか横浜ベイブリッジの夜景の写真が同封されていて、僕にはその光がまばゆく輝いて、しかし限りなく非現実的に見えた。
 さほど走ることもなく、一軒のホテルの前でシクロは止まった。そう、そこはどう見てもホテルだった。ユーロピアンなデザインの門構え、白く塗られた建物。おいおい、僕が泊まりたいのはこんな瀟洒なところじゃないんだけど、と思ったけど、運ちゃんはしきりに「チープ、チープ」と連発。
 とりあえずフロントの若い男性に値段を尋ねたところ、一泊で7ドルだと言われた。高い! とりあえず泊まる気が失せたが、何はともあれ値切ってみる。「だったら、2泊以上するなら5ドルにしてあげよう」と持ち出してきた。彼が指したカレンダーを見てみると、今日は土曜日だ。出国地点の変更手続きがとれるのはどうせ月曜だろうから、どのみちダナンに2泊しなければいけない。しかも「ダナンにはドミトリーがある宿はない」とフロントは言ってくる。通常なら、もう少し安いと所があるだろうと、さっさと見切りを付けるところなのだが、まずいことに、足の傷がかなりひどい状態だったので、できるだけ早く落ち着きたかった。
 でもとりあえずはもう少し値切ってみる。「いえ、私も雇われ者ですので、これ以上はご勘弁下いだだけませんでしょうか」。
 結局一泊5ドルで決めた。フロントは「パスポートを預かる。役所に提出する必要がある」と言ってきたが、これから出国地点の変更をするから手元にないとどうにもならない。すると、「だったら、申請した先で渡されるパスポートの預かり証を後で渡してくれ」とのこと。
 とりあえずシャワーを浴びて、水しか出ないのはもはや言うまでもないが、一昼夜着ていたシャツを洗濯して、さっぱりとした。
 部屋は外観とは裏腹に、やはり安宿のそれだった。
 全体がまるでオズの国のようにエメラルドグリーンで統一され、今にも落っこちてくるんではないかと思われるほどに偏心したファンが不安定なうなりを上げている。しかし、天井が白いということは、別に僕の眼鏡に細工がしてあるわけではないことを教えてくれた。
 しかし、久々のシングルだし、バスルームも付いていた。ちょっとした贅沢気分だ。
 ホーチミンシティーでし損ねた出国地点変更の手続きのために、さきほどのバイタクの彼に「イミグレーションオフィス」へ乗せて行ってもらう。
 しかし着いた先は一般の旅行代理店のようだった。そして対応に出た人は30ドルを要求してきた。そんなばかな。「モクバイの国境の係官は10ドルだって言ってたぞ」と食って掛かっても、何食わぬ顔で「いえ、30ドルです」と一向に動じない。
 あまりに愛想のいいバイタクのティム君と、このオフィスはつるんでいるんではないかという疑念がわき起こった。「だったら、ここがそういう公的な手続きをとれるという証明書のようなものを見せてほしい」と僕が言うと、彼女は何と自分の名刺を取り出した。話しにならない。
 「ちゃんとしたイミグレのオフィスに行ってくれ」。憤慨した僕は彼にしつこいほどこう伝えて、着いた先には「内務省出入国管理事務所」という看板が掛かっていたのでようやく安心した。
 そこの係官は、出入国管理事務所であるにも関わらず、英語がほとんど通じずに辟易させられた。「ボーダー」とか「チェンジ」とかの単語で彼なりにつかんだのだろう。なんとか、意図が伝わると、その係官はたどたどしい英語で「だったら、ここではだめだ。この住所に行ってくれ」と僕のノートにメモをした。
 一体どうなってるんだと思いながら、足の指からは相変わらずリンパ液が流れ出しズキズキと痛むし、だんだん陰鬱な気分になってきて、指示された所に行った。
 またもや旅行代理店! この国のシステムがまったくつかめない。システムそのものが存在しないのか、あるいは外国人には極めて分かりにくくできているかのどちらかだ。しかも、今度は35ドルだと言ってくる。
 もうどうしようもないので腰を据えて値切り始めた。「ここでこんなに使っては、僕は日本へ帰れなくなる」などと、やや大仰な芝居も交えながら話しを進める。何も半分以上ウソが混じったような話でも別に悪いことはないだろう。値切ることが当たり前の文化では、日本人の感覚から見ると、設定されている値段そのものがウソのようなものなのだから。
 とりあえず30ドルにはあっさり下がったけれどまだまだ粘る。いつもの感覚からすると、おそらくここが限界かなと思われたけど、ホーチミンシティーだったら10ドルでいけたことにはまず間違いがないから、とにかくその3倍も払うかと思うと、思いっきり悔しかった。
 実はここに来る前にトラヴェラーズチェックをくずしておいたので、それなりに手持ちはあったのだが、「25ドルしかないんだ」とすがりついた。しばしの気まずい沈黙の後、「仕方ないわね、じゃあ25ドルで手を打ちましょう」ということになった。だったらもう少し少ない金額を言っておけばよかったかもしれない。
 結構きれいな英語を操った彼女とは、別の出会い方をしていたらお互いにもう少しいい印象を受けたに違いない。しかしこの状況では、土台無理な話し。僕はもう少し仲良くなりたいなと思ったのだけれど。
 最初その彼女は「明日の朝にできあがる」と言った。だから、一泊7ドル払ってでも、予定よりも1日早くラオス入りできると期待したのだが、イミグレオフィスに電話で照会した後で「すみません、明日は日曜なので、あさっての朝になります」と言ってきた。「何言ってるんだ、あなたはさっきその口で明日の朝だと言ったじゃないか」「申し訳ございません、週末であることを失念してました」「そんなのは君の勝手だ。しかしできないものは仕方がないから、代わりにもう少しまけられないか」と僕は言ってみた。「できません」ときっぱり言われ、仕方なく、これだしか持っていないというウソがばれないように、先ほど彼女が電話をかけている間に取り出しておいた25ドルを払った。ここで断られては、もともこもない。実際にホーチミンシティーでは、変更をしていなかったばっかりに出国できなかったというフランス人の話しを聞いていたから。
 足の傷を何とか手当したいから、次は薬局に寄った。具体的な治療法なんか知らない。とりあえず消毒だろうということしか浮かばないが、残念ながら消毒薬を英語で何と言うかを知らなかった。H2O2と紙に書いてみるものの通じない。長谷川町子は、H2Oでねらい通り水を飲むことができたが、さすがに過酸化水素水はその善良そうなおばちゃんにはよく分かってもらえなかった。
 言葉でだめだと、ジェスチュアだ。「傷をした時に」と言って、右手をナイフに見立てて左手を切る動作をする、「こうやって塗るとしゅわしゅわってするアレなんだけど」と言って、しゅわしゅわと両手の平を頭の上に上げて、ぶるぶると震えてみる。こっちは必死なのに相手は笑っている。
 唐突に後ろで見ていたティム君が叫んだ「オー、マキローン!」。それだよ、それ。そんなのがほしいんだ。まさかヴェトナム中部にやって来てマキロンという単語を耳にするとは思ってなかったが、その意外性とジェスチュアが通じた喜びとで僕も笑い出した。
 ほっとしたのも束の間、おばちゃんがニコニコと差し出したのは、何やらラベルが日焼けしたプラスティックの小瓶。そこに書かれている言葉は分からないが、「oxy」とあるので、まあこれだろうと思う。しかし、大きくベンゼン環を含んだ構造式まで書いてある。ちょっと待てよ、過酸化水素水のどこにベンゼン環が入り込む余地があるんだ。どんな薬なんだろうと不安になったが、よく見ると店内の他の商品にもこのマークが付いている。多分メーカーのマークなのだろう。
 その後、カフェでティム君にペプシをおごってもらった。冷たいものが飲みたかったから「コーク」を頼んだのだが、通じなかったのだ。まあ、別に甘くて冷たくて炭酸飲料だったら別に何でも良かった。コーラに関する僕のポリシーはその程度なのである。これがビールとなると、ちょっと話しは違うが。
 その間に彼は僕のケガを見ると、わざわざ家に帰って何やら軟膏を持ってきてくれた。しかし、フタは外れてしまって、閉まらないし、口の周りには変色した薬が固くこびりついているしで、彼の好意は好意として受け取っておいたが、僕にはその薬を塗る勇気は起きなかった。
 青空の元、木々の間からこぼれる陽光を受けながら飲むペプシはおいしかった。
 ふと、なんだか聞いたことのあるような声で日本語が流れてきた。店の子ども達が見ていたテレビはなんと吹き替え版ドラゴンボールZであった。その吹き替えが不完全だから、日本語が聞こえてきたのだった。
 アニメーションはもはやジャパニメーションとも言われるほど日本製は世界各地で人気があるという話しは知っていたが、こうやってヴェトナムの子どもが夢中になっているのを目の当たりにすると、また感慨深いものがあった。
 次に目指すのはラオスだと言うと、「だったら俺のバイクで乗せて行こう」と言い出して、また手帳を引っぱり出した。その手帳はページの端がボロボロになり、彼が商売道具としてどれだけ使い込んできたかがよく分かる。そして、その中の1ページを示して言った。「ほら、この日本人もラオバオまで行ったんだ。50ドルって書いてあるだろう。でも、君は学生だからもう少し安くしておくけど」。
 確かにそこには「50ドルというのは、バスよりは高いかもしれないが、有効なお金の使い方だと思います。本当に彼はいい人でした。ぜひティム君のことを信じてあげて下さい」とあった。
 先ほどのホテルのフロントは「ラオバオを通ってサヴァナケートまで行くバスは月に2本しか出ていない」と言っていたので、まあこれでもいいかと思い始めた。彼のことを怪しむ気持ちは少しも失ってはいない。そのメッセージに限らず、「彼を信じて下さい」ということを書いている人は多く、確かにそうなのかもしれないが、そうは言っても最終的な判断は自身で行うしかないのだ。
 結局は30ドルで話しがとまった。多少割高だという気は拭えないが、とにかくできるだけ早くラオスを目指す手段を確保したかったのだ。
 彼は「明日、夕食を食べに行こうよ。6時くらいに迎えに行くから」と言った。まあ、それも悪くないだろうと、約束をして分かれた。
 ホテル(一応、ゲストハウスとは呼べないだろう)に戻ると、さっそく治療を開始。と言っても、消毒薬らしきものを塗るだけ。まさかバンコクで買った綿棒がこんな形で役に立つとは思わなかった。ちゃんと傷口に塗るとしゅわしゅわしたから、これで良かったのだろうと思う。
 足は痛むわ、相変わらずお金はないわ、暇だわでとにかく本を読んだ。
 そのうちに、左の親指はリンパ腺が止まったので、方法が合っていると確信した。本に飽きると、ちょこちょこと消毒を続けた。
 夕方、腹が減ったので、街の見物がてら痛む足を引きずりながら表に出た。しかし、痛みがかなりのものだったので、あまり探索をすることができずに早々に引き上げた。夕食に、と買ったのはフランスパンサンドウィッチ2個とハイネケンを一本。フランスパンは丸っこく、具には何だかパサパサした肉のフレークのようなものが挟んであって、あまりうまいものではなかったがとりあえず腹はふくれた。
 貧困層の人々には、かなり腹が出た人が多い。それを見て「なんだ、結構食べることができるんじゃないか」と見当違いなことを言う人がいるが、それは違う。金がないから炭水化物ばっかりを食べることになって太るのだ。金がないと炭水化物、というのは僕にとっても切ない命題である。
 また、なんでここでハイネケンなんだ、との疑問があるかもしれないが、これしか見つからなかったのである。ビアホイをうまそうに飲んでいる姿は見かけたのだけど。
 ちょっとした、本当にちょっとした、屋台でおばあちゃんが二人の労働者を相手に酒を出していた所で、ふとグリーンの缶が僕の目にとまった。
 「それちょうだいよ」と言うと、そのままそれを渡そうとする。今までのパターンだと、表に出ているのは展示用で、クーラーボックスから冷えたものを出してきてくれたのに、これではぬるくてとてもじゃないけど飲めたもんじゃない。
 例によって英語が通じないから「冷たい」という概念を僕は身振りで示すことになった。既に一分の躊躇もない。コミュニケーションは何も言葉のみに頼る必要はないのだ。まさにマルチメディアだ。
 その缶を片手に持ち、ほっぺたに当ててヒヤッとした表情をした。ほら、ちゃんと通じる。そこで飲んでいたおじさん達も一緒に「ああ、そういうことか」と大いに納得してくれた。ちゃんとおばちゃんもクーラーボックスに手を伸ばしたから安心したものの、そこから取り出したのは氷の固まりだった。
 「これがほしかったんだろ」とビニール袋に、缶と氷を放り込んだ。仕方がない。
 「どうだ、ビールなんかよりこっちの方がうまいぞ」とでも言うように、一人のおじさんが僕に杯を差し出した。コレラなどは経口感染するのではなかったかという危惧も、アルコールだから消毒されて問題ないだろうという楽観視のもとで軽く吹き飛んだ。
 クッと飲み干すと「おおっ」と驚かれた。結構なものだった。その透明な液体はストレートの焼酎であった。空きっ腹にジンとくる。
 「くぅーっ、きくねえ。うまいよこれ」と杯を返しながら言うと「そうだろ、そうだろ」と笑みをこぼした。


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