10時過ぎにホテルの方のロビーで、場違いな格好であることは承知しながらも、ゆったりとソファーに腰を掛けてササーキーを待っていた。
ところが中々おりてこないので、部屋のドアをノックすると物憂い返事が返ってきた。「約束の時間なんですが」「あ、もうそんな時間か。昨日帰ってからそのままベッドに倒れ込んで、今の今までぐっすりと寝てた」と言う。
チョーとササーキーとはもうしばらくヴィエンチャンに滞在するというので、ササーキーがツインの方に移ることになった。僕はチェックアウトをして、荷物をフロントで預かってもらった。
10分も歩くことなく、タラートサオ(朝市)に着いた。朝市と言うものの、そこは立派なマーケットであった。とりあえず屋台で食事。やはり、ここでもぶっかけご飯タイプであった。ここ数日あまり大したものを腹に入れていないので、奮発して3種類の具を選んだ。これに豚肉と青菜のさっぱりとしたスープが付いて7000キープ(≒80円)。
「2時にまたこの辺りで会おう」というチョーの提案に従って、我々は別個に動き回ることにした。とりあえず僕は絵はがきを買った。メコン川に架かるタイ・ラオス友情橋が夕闇の中ライトアップされた写真。これだけを見るならば、ラオスもかなり発展してるのではないかという感想を抱きかねないないほど立派な写真であった。
ついでに、カメラの電池が切れてしまったので、それもほしかったのだが、10000キープ(1200円)、と言われあまりに高いので、バンコクに戻るまで写真は諦めざるを得なかった。
通りを挟んで建つ郵便局で絵はがきを3通書いた。日本までの航空便で3通で1ドルもしなかった。展示されている数々の切手を眺めて時間をつぶしていたのだが、郵便局にやってくるのは観光客ばかり。みんな絵はがきを出していく。
再び市場。かなりしっかりした作りで、チャイナ服のようなデザインのラオスシルクの服を気に入ったのだが、25000キープ(3000円)もした。買えるわけがない。
このマーケットは2階建てになっていて、その2階には貴金属屋が軒を連ねている。あまり縁のない店だが。
マーケットの中はさすがに活気がある。そう、何と言っても一国の首都の中心地なのだから。だが、活気があるというのは、騒がしいということと同義ではない。そのことは、ここで始めて知った。バンコクなどは活気がありかつ賑やかなのだが、このマーケットは活気はあるが静かなのだ。
確かに、街自体が静寂の中にある。いや、道路にはちゃんと車などが走ってはいるのだが、それでも静かなのだ。
店の前を通ると、話しかける店員があるが、それすらも大変に静かな感じで、声をかけてくる。人の話し声に限らず、全体の雰囲気がぐっと抑えられている気がする。
例えばこれは、晴れた日曜の昼下がりに、シックな喫茶店でかすかに流れるクラシックのBGMに耳を傾けている、そんな光景が連想されるのだった。
おもしろいことに、英語はヴェトナムよりよっぽど通用する。概して発音もきれいだ。と、言うか日本人の耳になじみやすいタイプの英語なのかもしれない。
さらに奥の方へ進むと、食堂があった。めずらしくエアコンが効いている。僕はそこでメニューにある安いものの中からラオコーヒーという代物を注文した。ラオスのコーヒーとは一体どのようなものなのか。待てよ、ラオスでコーヒーが栽培できるわけはないから、何か特別ないれ方でもあるのだろうか。
何のことはない。ごく普通のコーヒーメーカーのポットから、そのまま普通のカップに注ぐだけ。なんじゃそりゃ。他のメニューを見ても、サンドウィッチやらケーキやら、かなり欧米的なものが多かった。ひょっとしたらそれは現地の人にとってはものめずらしいのかもしれないが、僕はそれ以上注文する気にはなれなかった。
待ち合わせ場所にはすでにササーキーの姿があった。屋台でジュースを飲んでいた。
彼は手のひらにすっぽりとおさまる竹製の弁当箱と、トイレットペーパーを買っていた。「腹の調子悪くて……」
その屋台のおばちゃんは中国系の人らしくて、「日本人か?」「妹が日本に住んでいる」などと、新聞の余白に書いてきた。さすがに、なんとなく漢字なら意味が分かる。ところが、ササーキーはちょこちょこと会話をして、相手の言うことにうなずいていた。「中国語できるんですね。おばちゃん、何て言ってるんですか?」「わからん」
チョーを待つ間に聞いた話では、彼は鎌倉で遺跡の発掘の研究所に勤めているとか。出土したものをカメラに収めるのが仕事らしい。だから、骨董屋で1時間以上もあれこれと眺めていたと言う。人は見かけによらない、という見事な例だ。失礼ながら、中国大陸を回ってヴェトナム、ラオスと旅してきた彼はもっとアクティブな仕事に就いているのかと思った。
3人はひとまずホテルにもどった。
3時前に僕は出発した。2人と固く握手を交わして。
昨日は暗がりだったからよくわからなかったのだ、バスターミナルは市場に隣接している。さすがに昼間はひっきりなしにバスが発着し、物売りの姿もある。路線バスは小型のバスばかりだったが、中にはとにかく人が詰め込まれているような有り様のものもあった。
イミグレーションを通って、先ほどの絵はがきにあった橋を渡るバスに乗って、久々のタイ。
タイの入国もスムーズだった。表向きは陸路の入出国でないとヴィザが必要なのだが、実際の所は必要ない。
さっそくトゥクトゥクが群がってくる。僕はここからノーンカーイの鉄道駅に行くつもりだった。そして夜行でバンコクに戻る。
駅までの料金は2、30バーツ(80〜130円)というのが相場らしいが、やってきた運転手はさっそくにぼったくろうとする。「100バーツ(≒440円)だ」……「ふざけんな、ぼってんじゃないよ」と、日本語で言ってから「高すぎる、クレージーだ」と英語で。「よし、だったら30でどうだ」、とこちらがまんざら知らないわけじゃないことを示すとあっと言う間にここまで下がった。「いやだめだ。25で行け」「30だ」とやり合っている内に、他のおっさんが「25で行こう」と言ってきたので、そちらに乗り込んだ。
駅に着いた時点で、手持ちは6ドルと200キープ、それにバーツで300ほど。キープはもはや役に立たないし、バンコクまで快速の2等で268バーツ(≒1200円)だから、かなり切迫している。ある程度は手元に残しておきたいから、また今日も市場で食べた1食だけに決めた。まあ、昨日バスでもらった水があるからなんとかなるだろう。
ここのところ、まともに3食とっていない日々が続いている。
電車がゆっくりと動き始めた。僕はやっとタイに戻れるといううれしさの反面、ラオスを余りにも早く抜けたという未練があって素直には喜べなかった。何かやり残したことがあるのではないか、そんな思いを振り切ることはできなかった。しかし、仮に1ヶ月滞在しても、やはり発つ時には同様の感想を抱くのではないだろうか。結局の所、僕は日本人で、ラオスは旅先の国なのだから。
しかし、日が暮れても沿線の街は明るいし、踏切の前では自動車がずらっと並んでいる。シートはビニール張りだけど、ふかふかだ。検札に来た車掌も、僕が外国人だと分かるとさっと英語に切り替わる。だから2時間もすると、とにかくうれしさがこみ上げてきて、電車のガタガタ鳴る音がやかましいのをいいことに、僕は色々と歌を口ずさんだ。その内にだんだんと陽気になってきた。
そうなると、俄然やる気がわいてくる。しかし、ここは電車の中。できることは限られている。僕は今後の予定を考えることにした。
とりあえず、電車での国境越えを体験したいし、寝台車にも乗ったことがなかったので、バンコクからマレーシアのバタワースまでは国際急行を利用しようと考えた。
しかし、結局いつもの怠慢から、決めたのはそこまで。残りはまた必要なときに考えようと思う。
そういえば、今日は終戦記念日ではないか。それにひょっとすると大文字の山焼きの日ではなかったか(これは一日勘違いしていたのだが)。去年の大文字焼きの日は友人と焼き肉の食べ放題にチャレンジしてる間に、火は消えてしまって、結局見逃してしまったっけ。
それを今年は、こうやってタイを走る列車に揺られている。まさかあの時、1年後のこの姿を想像することはなかった。
では、来年の今頃は何をしているのだろうか。分かるわけもないが、どこか外国にいたいという希望はある。