ライトブルーのインド洋

 朝起きて、僕が一番にしたのはクアラルンプール行きのバスを探すことだった。この旅もそろそろエンディングが見えてきていた。シンガポールでは余裕を持たせる意味を含めて2泊はしたい。まだまだ、マレー半島の真ん中辺りにいるので、移動の時間も考えると、あまりのんびりもしていられない。
 チュリア沿いにはバスのチケットを発券している旅行代理店がいくつもあったので、値段を尋ねていった。昨日コムタで調べた値段とほとんど変わらず、何軒か後に見つけた代理店が最も安い18リンギット(≒730円)だったので、そこに決めた。バスは夜の11時にコムタから出るが、30分前にこの店の前に迎えの車が来るからそれを利用できるとのことだった。
 マレーシアは長距離バス網が発達している。ジョージタウンからもマレーシア全土の街へ日に何本もバスがあった。
 僕が夜中に出る便を選んだのは二つの理由からだ。まず、夜行なら一泊分の宿代が浮く。そして、ぎりぎりまでまたあの屋台で遊んでいられるから。
 ぶらぶらと朝食を物色しながら歩くが、昨晩ほどの活気はない。屋台もいくつかあったが、どうもそこで食べるきはしない。あれだけ食べたから、そんなに強烈に空腹だというわけでもないので、歩き続けた。
 するとチュリア通りと交差する道で朝市を発見。
 まずはおじいさんが売っていた、竹の皮に包まれたちまきを買った。ビニル袋に入れようとしたから、「あ、いいよ」と、ついいつものくせで言ったが、「いやいや、必要だよ」という素振りだった。竹の皮をはさみで切り落とした彼はそれをビニル袋に入れて差し出した。なるほど、確かに食べやすいのだが、僕としては竹の皮を手に持って直にかぶりつきたかった。
 しかし、これがうまい! もっちりしてしょうゆ味で、芯には鶏肉が入っていた。
 ラオスでササーキーが「ちまきはうまいぞ」と言っていたが、それ以来の欲求をようやく満たすことができた。
 またカレーミーというものも食べた。あえて日本語にするならば、カレーうどん。しかしもっと油ぎっていて、具にはレバーや貝やもやしがワンサと乗り、ボリュームたっぷりだ。しかも、回りを見ていると地元の人はそれに加えてコーヒー牛乳を飲んでいた。これは非常に甘くどろっとしているマレーシア的なコーヒー牛乳のようだった。
 ミーの屋台が飲み物も提供しているわけではなく、飲み物の屋台はすぐ隣に店を構えている。マレーシアやシンガポールでは、このようにそれぞれの店で注文するスタイルが一般的だった。
 もう少し歩くと、今度は大きな建物の中に魚や野菜を扱う店が並んでいた。魚はアジくらいしか見知ったのがなく、他は概して大きいものが多かった。
 そこが市の端だったので、今度は戻る方向に歩き始めた。お菓子やさんで、カスタードパイと、中華饅のようなに上の方がぎゅっとしぼってある形のパイを買った。
 このカスタードパイは香港でも食べて感激した。よく、お菓子用のアルミ箔のカップがあるが、形も大きさもあれに入れて焼かれたようなもので、ほんのり黄色いカスタードクリームがパイ生地の中に入っている。僕はカスタードクリームが大好きで、それだけでもぺろぺろなめていたいくらいなのだが、これがさっくりしたパイと一緒に口に入ってくると、もう言葉をなくして、ただその甘い卵のやわらかな香りに全身をひたしながら、ただただ頬がゆるみ一人ニヤニヤとなってしまう。
 ちょっとのどが乾いたのでサトウキビジュースを一杯。もちろん目の前で絞られたばかりの。氷を入れてくれるから、素朴な甘さがひんやりのどを伝う。
 泊まっていたスカイホテル(晴天旅社)は正午がチェックアウトタイムなので、11時半には宿に戻って荷物をまとめようと思っていた矢先に、雨が降り出した。
 小降りになった頃合を見計らって、バスのチケットを頼んだ代理店へ行った。先ほど頼んでみたら快くオーケーしてもらっていたので、荷物を預けるためだった。しかし、それでもここが閉まる6時までだ。
 にわか雨が過ぎていたので、昨日カレーを食べた屋台の隣のカピタンクリンモスクへ行った。昨日見つけた時に入らなかったのは、短パンにサンダルにTシャツという肌を露出したままの格好で宗教施設に入ることがためらわれたからだ。無茶はするが、いくら僕でもそれくらいはわきまえている。
 だが、ちゃんとそういった不埒な見物客のために全身を覆う白いローブも用意されていた。

 モスクに対する僕のイメージは、大勢の髭をたくわえた男性や、すっぽりとベールをかぶった女性がずらっとならんでメッカに向かって深々と礼拝しているというスペクタクルだったが、僕が行ったのはお祈りの時間ではなかった。もちろん、注意書きには、見学者は祈りの時間帯は入ってはならない旨が記されていた。
 実際にはがらんとした吹き抜けの場所に数人がしゃべったり、ごろんと寝転がっていたりしていた。
 地図によると、その近くに郵便局があるはずなのだが、見つからなかった。人に教えてもらった方向にずんずん歩いて行っても分からなかった。代わりに、セントジョージア教会に出た。白亜の建物が、南国の空に美しく映えていた。
 そこでまた人に尋ねて、結局オフィス街の大きな郵便局に着いた。
 暑い中を歩いてのどが乾いたので、屋台でフルーツでも買おうかと思ったのだが、豆乳の屋台の方に人が群がっていたのでそちらにした。ビニル袋にひしゃくですくった蜜と豆乳を入れて、器用にくるくると端をひもでしばって、ストローをさしてわたしてくれた。甘く濃厚な味だった。それにしても豆乳を口にしたのは一体何年振りだろうか。
 豆乳をチューチュー飲みながら、芝生の敷き詰められた公園を横切ると海沿いの遊歩道に出た。
 わずかに緑色が混じった明るい青の海洋。そう、これが生まれて初めて目にするインド洋。
 しばし岸壁に寝転がって、降り注ぐ南国の太陽を全身に浴びた。
 海とくれば、山。次に僕が行こうとしたのは植物園だった。広大な敷地をほぼ自然の形のまま味わうことができるらしい。
 「植物園方面」という看板が出ている辺りで、適当に目星をつけてバスを拾った。ところが、運転手は「botanical garden」という単語が分からなかった。そんな様子を目にした乗客がすかさず寄ってきて、「オーケー、オーケー。このバスでいいんだ」と教えてくれた。
 しかし5分も乗らずに終点に着いてしまった。さっきのおじさんが、「ここから植物園に行くバスに乗ったらいい。次は2時40分に出る。いいかい、ほらあそこに表示されている番号が7番のバスに乗るんだ。いいかい、7番、7番だよ。分かるな1、2、3……7(one, two, three......seven)だ」とかなり念を押して教えてくれた。
 「それはそうと、このバスの料金は?」と聞くと、別にいいんじゃないかって顔をした。運転手もなんにも言わなかった。
 待合いのベンチで、残りのカスタードパイをほおばる。うまいんだけど、お腹はパンパン。ローマ貴族のように羽をのどに突っ込んで、「吐いては食べ」をしたい。
 植物園は広大だがよく整備されていた。見物する前に用を足した。料金係がいて、10サン払った。
 所々に猿を見かけるが、「餌与えるべからず」の看板にも関わらず、みんな平気でお菓子を投げていた。それに、子どもだけでなくいい年をした大人までが石を投げたり、猿を追いかけ回したりしていた。
 人気のない奥の方に踏み込んで行く。太いツルが幾本も垂れ下がっている巨大な木々。すでに日光は分厚い葉の層に遮られ、地上に達するのはわずかだ。ジャングルというイメージにぴったりだ。横倒しになった木にカメラを置いて、セルフタイマーで写真を撮ろうとしたら小さな小さなクモがうようよしていた。
 シャツが体に貼り付くほど汗が体中から吹き出す。セミや鳥や虫が、様々な声をあげている。
 ところが、途中でまたお腹が痛くなって10サン払った。
 全部で1時間半ほど見て回ったが、帰りのバスは1時間に1本なので少し早めに外に出て道ばたに座って待っていた。
 また生理的欲求の赴くまま、今度は売店のトイレに入った。ところがこいつは20サンだった。
 まあ、あれだけ食べたのだから、当然と言えば当然だ。
 ちょうどいい時間に戻り、カバンを引き取ってからアンカービールを飲みながらのんびりとする。
 7時頃でもまだ明るいが、屋台はそろそろ出てきた。
 前菜にミーゴレンを一皿、さらに「ECONOMIC FOOD」と出ている屋台でメインディッシュ。なぜそういう名前なのかよく分からないのだが、マレーシア式ぶっかけご飯だった。
 僕が頼んだは、ナスの煮込みと、くにゅくにゅとおいしい鳥の足。それに、これまた近所の店から注文を取りに来たかすかに甘みのある冷たいお茶。
 そこでどんどん客をさばいている眼鏡をかけた女性に、忙しい中だったが声を掛けて写真を1枚。
 バスの時間まで、騒々しい音楽のかかるカフェでビールをちびりちびりとやっていた。
 うまい飯と酒、異国情緒。まさに「余は満足じゃ」
 これはササーキーがサヴァナケートの宿で、チョーに「いい日本語を教えてやろう」と言って、I'm very satisfied.の訳語として教え込んでいたセリフだ。


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