KL彷徨

 バスのシートは2+1のシートで、ほとんど180度リクライニングもでき、そしてゆったりした足置きもあるので座ることについては何の文句の言いようもない。しかし、困るのは効きすぎているエアコンだった。窓が曇るほど寒い。そんな中、その寒さから逃れる唯一の方法は両腕をすっぽりと袖の中に入れることくらいだった。
 5時に目が覚めたらどこかのターミナルだった。運転手に「クアラルンプール?」と聞くと、「そうだKLだ」との返事。危ういところだった。このバスはクアラルンプールが終点ではないので、寝過ごすとマレーシアの最南端、ジョホールバルにまで連れて行かれるところだった。
 ステップから片足が一歩地面に着いた瞬間から「タクシー?」と数人の男が周りに群がってきた。「いらない」とだけ簡潔に伝えたが、一人だけしつこいのがいた。僕は全く無視して車体の下のトランクを開けて荷物を取り出そうとした。ところが、出てきたのは予備のタイヤだった。開ける所を間違えたらしい。
 まだ明け方の5時という時間だわ、エアコンのせいで睡眠は不足しているわ、そしてミスッたわで僕はぼんやりした頭の中で唯一イライラという感情だけを募らせていた。そしてそれを逆撫でするように(と言っても傍目から見れば、僕の精神状態なんか分からないだろうし)「タクシーいらないか」「どこまで行くんだ」と付きまとってくるから、僕は思わず「You shitsukoi!」と吐き出すように言った。彼はその怪しい言葉は分からなくとも、僕が全くタクシーに乗る意志がないことだけは了解したようだった。
 まだ日も昇らないというのにターミナルは大変な混雑だった。あちらこちらに待合い用のベンチが設置されていたが、どれも大荷物を抱えてこれから長旅に出る人か、あるいは僕と同じようにクアラルンプールにやって来たばかりの人かでスペースを見つけることはできなかった。
 とりあえずわずかの隙間を見つけて無理矢理座った。荷物を両足で挟むように足元に置き、気休めに過ぎないが、ストラップを足に引っかけておいた。これなら、誰かが荷物を持って行こうとしてもひょっとしたら気付くかもしれないから。そしてそのまま仮眠を取るべく努力をした。
 まだまだ真っ暗なのだが7時前に相変わらずぼーっとする頭のままで出発した。この時間で日が昇っていないのは奇異だった。しかしその理由を僕は列車の中で話した日本人から聞いていた。あの、東京弁の男性だ。
 本来ならホンコンとシンガポールは時差が1時間ある。もちろんシンガポールの方が1時間遅いのだが。しかし経済的な理由からホンコンに合わせている。それにマレーシアも倣っているから、我々の時間と太陽の感覚とはズレがあるのだ、と。
 シラン通り沿いにあるトラヴェラーズムーンロッジというゲストハウスを狙っていた。地図によると、プドゥラヤバスステーションからは歩いてすぐのようだ。ただ、ここで問題は果たして僕の乗って来たバスが着いたターミナルがプドゥラヤかどうか全く分からないというところにあった。クアラルンプールの街には他にもいくつかのターミナルがあるからだ。
 しかしこの問題はマクドナルドの発見で片が付いた。地図にもプドゥラヤバスターミナルのすぐ近くにマクドナルドが記されていたのだ。
 しかし、そうしてたどり着いたそのゲストハウスだったが、なんとその雑居ビルの入り口には無情にもシャッターが下りていた。

トラヴェラーズムーンロッジ
 開くまで待つしかない。先に来ていた女性にいつ開くのか尋ねたが、「もう満室よ」と、おそらく夜遊びで門限に間に合わずこうやって僕と並んでじっと座っているのだろう彼女は言った。だが、今日チェックアウトする人もいるだろうから、とにかく待つことにした。その間にも、大きな荷物を背負った日本人が数人やって来て、同じように暗い中を出勤する人々で徐々に騒がしくなってきた往来を眺めながら、シャッターが開くのを待っていた。
 結局、小一時間ほどでオープン。どうやらドミトリー以外は満室のようだった。僕はむしろドミトリーをねらっていたから何の問題もなかったのだが、他の日本人はしばらく「どうしようか」と迷っていた。どうやら、今までドミトリーの経験がないから不安な面持ちだった。僕がさっさと宿帳に名前やパスポートナンバーなどを書いて、「別にドミもいいもんですよ。そんな危険なわけでもないし」と言うと、「じゃあ」ということで、結局みんな同じ部屋に案内された。一泊8リンギット(≒330円)。
 シーツと枕カバーを渡されて、狭い廊下を何回か曲がり、汗臭さの漂ういくつかの部屋の前を通り過ぎて入った部屋には2段ベッドが3つと、事務用のようなロッカーが人数分あった。ただし鍵はない。これは、鍵がほしいなら各人で用意しろという意味だ。セキュリティーの面からも、その方が望ましい。宿の人間が盗みを働くということも頭に入れておかなくてはならないのだ。
 ベッドを選ぶ際、この間の寝台車の経験から夜にいちいちハシゴを上下するのも面倒だし、下の方が風が当たるだろうと、経験に基づいて下段を選択した。ところがその日の夜になって分かったが、ここの天井からぶら下がっているのは扇風機ではなく、ファンだったから結局は上の方にしか風が当たらないのだった。
 眠たいが、ここKLには長くて2泊しかできないから頑張って外に出た。
 チャイナタウンの市場で朝食を取り、さあどこに行こうかと思っていたら、大きなタワーが目に入った。高い所が好きな僕は(でも飛行機は嫌いだ)、さっそくその方向に向かって歩き出した。
 「どこへ行くんだ」とまとわりつく男が現れたから、僕は「ジャランジャラン(散歩だよ)」と答えた。マレー語で「jalan」だと「通り」を示す。例えばシラン通りだったら「Jalan Silang」という具合に。そして、それを2つつなげると「散歩」を意味する。
 しかし行列に並んでまで上ったそのタワーはあまり僕の興味に合わなかった。8リンギット(≒330円)と、一泊の値段と同じ入場料だったが、単なる展望台と言えばそれまでだった。おそらくこれがもう少し安ければ納得したのだろうが。
 せっかくだからとそこでエアコンの風を受けながら今日の予定でも立てようかと考えたのだが、なんと座るべき場所がない。しかたなくウロウロとしながら地図と地形を付き合わせて、大体の位置を把握しようとした。クアラルンプールにはユニークな形状のビルが多かった。単なる直方体ではなく、昔積み木やレゴブロックで組み立てた建物のように頭にピラミッド状のとんがりがのっかっていたり、鋭利な刃物で上3分の1だけ通常のビルを斜めに切り落としたような形だったり、あるいはお好み焼きのコテのように上の方が扁平になっていたりと様々だ。そして、緑のエリアもあちこちにかなり多く残されていた。
 セントラルマーケットに行こうと、目印にしていたビルの方へ進んでいたつもりが30分も歩いてもたどり着かない。気が付いたらブキッビンタンに出てしまっていた。日本語にするならば「星ヶ丘」とでもなるのだろうか。その名の通り、おしゃれなエリアで多くのデパートや映画館、ホテルなどが並んでいる通りだ。どうも僕は場違いではないかという気もした。しかしそれでもあちこちに屋台が出ている。やっぱりこうでなくっちゃ。
 国立博物館の通り道にあった、クアラルンプール中央駅をのぞいた。改札がないから、ホームまで入っていける。
 次の列車の出発時間や行き先表示などは、電光掲示板で示されている。駅名表示などの看板は、青地に白で統一されている。ホームにはゴミ一つなく、大変に整っているとの印象を受けた。 しかし、人影は全くない。一国の首都の鉄道駅にも関わらず、である。これは、以前にも述べたが、バス網が発達しているからだ。近郊地域へ隈無く巡らされた路線、そして他の都市へはハイウェイを疾走する長距離バス。値段に差はほとんどなく、むしろ便数の点では圧倒的にバスを利用した方が便利なのだ。
 さて、国立博物館にはちゃんとエアコンがあった。僕はとりあえず館内のイスに座って30分ほど昼寝を決め込んだ。睡眠不足の上にずいぶんと歩き回ったものだから、体がそのイスにふらふらと引き寄せられ、照明がかなり暗いこともあり、あっと言う間に寝入ってしまった。
 場所をわきまえない子ども達が、騒々しく嬌声を上げて走り回るものだから、それで目が覚めた。ま、夏休みの博物館なんてこんなものか。場所をわきまえない行為というのなら僕も彼らとさほど変わらないかもしれないが、イスに座ってじっとしているだけだから、他人に迷惑をかける度合いからすればはるかに僕の方がましな気がする。
 博物館は、1階が歴史を踏まえた民族的なものの紹介、そして2階はマレーシアの自然についての展示だった。ここはかなり時間をつぶすにはいいと思う。あちこちの国で博物館を見学してきたが、そこでどれほど充実した時間を過ごせるかということは、国の発展の一つのバロメーターだとも言えよう。それはもちろん、展示品とその説明という中核の部分と、空調、設備といった外殻の両者によって計測されるが、まず連鎖していると思って間違いない。
 外壁には巨大な絵が描かれていたが、そこでしばしぼーっとしていると、ひょろりとした東南アジア的なサラリーマン風の男が話しかけてきた。たどたどしいが日本語だった。僕が、農学部だと言うと、彼は「私は日本から種の輸入をやってます」と、輸入という語をじっくりと時間をかけて彼の語彙の中から探してきて言った。
 多少、陰ってきたので今度はセントラルマーケット、旧モスク、市庁舎、そごうと、めぐり歩いた。最後のそごうは、あまり意味がない。が、他のいわゆる観光名所的な部分もあまり僕の心を揺り動かすことはなかった。
市庁舎
 タイで感じた人々のうねりのような熱気、圧倒的に眼前に迫るアンコールワット、正負ともに常にハイテンションでいたヴェトナム、延々と森林を駆け抜けたラオス。そこで常に僕の心を揺さぶってきた何かが、確実に僕の中で萎縮していくのを感じないわけにはいかなかった。確か、その予兆が胸をよぎったのはペナン島だったような気がする。そしてここKLでは、そんな予感を振り切り、今までと同種の感動を得ようとするあまり、あちこちを見てまわっていたのかもしれない。
 さて、そごうでは「ROKKY」というおかしを買った。スティック状に焼いた生地に、いちご味やチョコレート味のクリームがからめてある。メーカーはグリコだ。そう、日本では「POKKY」として売られている。パッケージデザインも、そして味も変わらないのだがただ「P」が「R」になっているだけの違い。これは、イスラム教徒が多いこの国では、POKEを連想させるのでそのような名前で売られているのだった。
 さて、この次にとんでもない体験をした。今回の旅でダントツに恥ずかしい思いをした。
 ピューターというマレーシアの工芸品がある。錫をベースにした合金を様々に加工したものだが、「保温性が高いのでビールジョッキにふさわしい」というような記述を「歩き方」で目にしてしまった僕は、これを買わずしてマレーシアを終えることはできないだろうという思いに強く捕らわれた。
 場所はそごうから通りを一本隔てただけ。しかし、地図上での分かりやすさとは裏腹に、なかなか見つけることができなかった。
 僕はてっきり観光客相手のみやげ物屋のようなものを想像していたのだが、実際にようやく発見した(という言葉がふさわしい。その前を何度も通っていたのに見逃していたのだ)その店は、何と言うか「高級」な店だった。スモークがかかったショーウィンドーにディスプレイされているものは、思っていたよりもケタが2つも3つも違った。日本円で考えたとしても、とてもではないが無理して買えるというレヴェルではなかった。しかし、ジョッキはほしい、でもちょっと入れない、と、まるで檻の中の熊のようにウロウロしていたら、さっと店の人がドアを開けてしまったので意を決して入る。
 僕が店に入って最初にとった行動は、「クレジットカード使えますか」という不様な質問だった。どうするか迷っている時に気付いたのだが、店にクレジットのステッカーが一枚も貼られていないのである。「Sure.」というのがその返答だった。
 僕は日本でもクレジットカードを使い慣れていない、というかそんな機会はないし、下手に使ってずぶずぶとはまっていくのが、自分でも分かっていたから。しかし、思った、これくらいの店だと使えて当たり前なのではないのか。だからわざわざ店の外観にそぐわないステッカーなんか貼らないのではないかと。
 店内の照明は程良くおさえられ、それでいて商品にはきちんとライトが当たるように設計されている。品物はガラスの台に置かれているから、そうっと手にとって眺めて、またそうっと置く。通りの喧噪とは隔絶された静かな店内で、そのカツーンという音は僕をドキリとさせた。
 今まで相手にしていた店や人の前では、とりあえず雰囲気に飲まれることなくこちらの要求をちゃんと通すようにしてきた。しかし、今回に限っては僕は萎縮せざるを得なかった。それは、高級店だから変にありがたがったりする、という意味ではもちろんない。僕の格好がいつも通りで、それはもはや場違いというよりは、気違いだった。それなりの店というのは、金を払えばいいのではなく、こちらにもそれなりのものが求められているのだと僕は思うから。しかしそんな僕にでも、どう思っていたかは知らないが、とても親切に対応してくれた。
 肝心のジョッキもいくつかデザインがあったが、底の方に唐草のような紋様があるものを最も気に入った。これですら、118リンギット(≒4800円)もした。
 サインをすませた僕は早々にそこを後にしたが、もちろん店員がドアを開けてくれて。そしてとどめの一言、「Thank you, sir.」
 ギャフン!
 しかしこのようにして手中にしたそれは、宿に戻って豪華な青い化粧箱から取り出すと、思わずにんまりするような代物だった。ずっしりとしたした重さ、そして渋く光を放つシルバー。帰国してこれでビールを飲むのが楽しみになった。
 そうそう、一つ空いていた僕の上のベッドにいたのは、スタンフォードの学生だった。女性。


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