信仰と、受験英語の限界

 揚げまんじゅうと、揚げドーナツをむしゃむしゃやりながらチャイナタウン近辺を何をするとはなしに歩いていた。例のカスタードパイも見つけたので、迷わず食べたが、台の部分が粉っぽいし、カスタードの量も少なく不満だった。中華のお菓子の店はあちこちに出ているから、発見すると必ず試してきた。ちょっとしたカスタードパイ評論家になれるかもしれない。「ホンコンとマレーシアにおけるカスタードパイ探訪」なんて下らない本が書けるかも。
 メトロジャヤ(デパート、でも雰囲気としてはダイエーくらい)の前の道で、とんでもない男がやって来た。
 「それ、いいサンダルだね。どこで買ったの?」
 一体どこの世界に、はきつぶした安物のサンダルをほめる人間がいるんだ。これまた「クアラルンプールでは……靴をほめるなどして接近し……」とあるそのまんま。もう少しまともなアプローチを考えろよな。
 「バンコクで買ったんだよ」「へえ、タイから来たんだ。君の国はどこ?」「僕は韓国人だ」
 その瞬間、しつこいほどにフレンドリーだった彼は「オーケー、バーイ」と言って雑踏に消えた。
 ものの3分もしない内に別の人が、交差点の途中で信号が変わってしまっていたたので「ほら、急がなきゃ」なんて言いながら、にこやかに寄ってきた。「君は中国の人かな?」「いや、コリアンだ」
 これまた、すぐにどこかに行ってしまった。
 日本人だと答えると面倒なことになるのは分かっていた。だったらどう偽るかだが、中国人だと言うと、下手をすると相手が中国語を操ってきて、ばれる可能性があるかもしれない。マレーシアにも中華系の人は多いからだ。韓国人だったら、同じようなバックパッカーもいくらでもいるから、そうそう怪しまれないだろう。日本人が見たって、この隣の国の人々との外観上の違いを的確に言い当てるのはそれほど容易なことではない。だから、多分これがふさわしいとまでは言わなくとも、ベターな返事だと思った。
 昨日も寄った屋台でマレーシア式ぶっかけご飯を食べる。エビの煮物や、こってりとしたアイスコーヒーまでも頼んだから4.5リンギット(≒180円)もしてしまった。でもおいしかった。
 朝食が胃に収まると、朝のお通じがそろそろ来るタイミングだった。ヴェトナムでちょっと苦しんだ以外は、僕は体調的にもまず万全だったから、便秘などで悩む必要は全くなく、とても健康的に日ごとのリズムを刻んでいた。
 トイレを探そうとメトロジャヤに入った途端に予感が実感になった。よしよし、狙い通りと思ったのだが、あらかた見てまわったのに見つからなかった。可及的速やかな対処が求められたので、とりあえずゲストハウスに戻った。
 上智の人がロビーでガイドブックを広げてるのをのぞいたら、所々マーカーで線引きされていたり、宿の欄に大きく○×が記してあった。まるで、使い込まれた参考書のようだった。
 「いやあ、安い所が目立つようにしてるんです」とか言いつつも、話を聞くと、バンコクのチャイナタウンでは一泊200バーツ(≒880円 僕が泊まった所の3倍以上だ)のホテルや、ロイヤルホテルをシェアしたこともあるとか言ってたから「安い」の基準が違う。
 トラヴェラーズムーンロッジは、ビルの細い階段を3階まで上がった所にレセプションがある。その階段がどれくらいせまいかと言うと、バックパックを背負った人間が行き来することができないので、どちらかが上か下に引き返さなくてはならないくらいだ。そして、レセプションでは、口ひげを蓄えた底抜けに陽気な下着姿の親父と、その前のイスに腰掛けた宿泊客が取り留めもない話しに花を咲かせている。ちょっと前まで女性が大勢いたのだが、彼女たちが去ったので、長期滞在の競馬好きな同志社の学生に「サミシーネー」というのが彼の口癖だった。
 また、そこの小さな男の子は、親父以上にパワフルで、売り物の絵はがきをひっつかんでは辺りにまき散らし、さらにその上で踊るという芸当を得意としていた。
 さて、僕も少し話しの輪に加わった。水族館は冷房が効いていて気持ちがいいという情報を仕入れたので、昨日で市内のめぼしいものは見ていたし、国立動物園の中にあるその水族館で半日ほど過ごすことに決めた。
 動物園行きのエアコンミニバスはすぐにアンパン通りにやって来た。系統と行き先が車体の先頭にデジタル表示されているから分かりやすい。
 途中、住宅街を走っていると「Jl.(Jalan)A1」や「Jl.C3」なんて通りの名前があった。そして、道を横切るように、かまぼこ状に盛り上がっている箇所がいくつかあった。スピードを落とさせるためだろうが、そのたびにギアを落としてふかすものだから、ボスッと排ガスが出る。
 周囲にアイスクリームの店が出たりして、いかにも動物園的な動物園だ。ただ、さすがに熱帯だけあってそこら辺に生えている木が大きいので、ちょっとしたジャングルのようだ。
 鳥園とでも言うべき所に入るときに、僕の後ろがベビーカーを押したおばさんだったから、ドアを開けたまま待っていたら、即座に「サンキュー」と言ってきた。
 日本で、どれほどの人がこの簡単な単語をこういう適切なシチュエーションで用いることができるのか。僕は何も、外国人には英語で対応しろと、とんちんかんなことを言っているつもりではない。外国人であろうが何であろうが、お礼の気持ちを伝えることができるのか、ということを指している。だから、別にその言葉は「ありがとう」であってもだ。きちんと言えれば、全く同じように素敵な、しかしそれでいてあたり前のことだと思う。
 涼しい風に浸ろうと、水族館の方へ歩いていたら、子ども連れのおじさんに話しかけられた。最初は「僕は日本の学生で、農業を勉強して……」「妻のいとこは土壌物理の会社にいるんだよ」なんて、ありきたりな会話だったのだが。
 なぜか突然に宗教の話しになった。「何の神様を信仰しているんだい」という質問に、僕は仏教徒だとでも答えておくべきだった。「いや、何も」と返事をした。すると、彼はクリスチャンで、いかに神が我々を導いて下さるかなどと、延々と語り始めた。
 「あなたはクリスチャンだが、マレーシアには実に様々な宗教の人がいますね」と言おうとして、どうしても「religion」という簡単な単語が出てこなかった。彼が、「religion?」と言ってきたので、「ああ、それそれ」
 知らない単語では絶対にないのに、普段使うジャンルにはないからとっさに口にできなかった。英語学習のツメの甘さを痛感した。
 水族館は、評判通り涼しかったが、日本だと「なんとかコーナー」に設置されているくらいの大きさの水槽が薄暗い館内に並んでいる程度だった。
 出口に向かって歩いていると、雷がゴロゴロしてきた。急いでバス停へ走った。
 あっと言う間に台風直撃のように、スコールが襲う。道路は冠水し、車はしぶきを上げて走る。それが波となって道路の両側に押し寄せるものだから、僕を含むバス停のベンチに腰掛けていた人たちは、タイミングを見計らって一斉に足をぴょこんと上げるのが愉快だった。
 夕方から出てくるチャイナタウンの屋台で僕はTシャツを探した。KLのチャイナタウンでは、衣類やビデオ、音楽のカセットなどの屋台がひしめいていた。
 最初の店では15リンギット(≒600円)から10リンギット(≒400円)までは、あっさりと下がった。けれどもそこ止まり。次の店でも同じデザインのものを見つけたので交渉したら、18から10にはなったが、これもここまでだった。設定されている値段はまちまちでも、結局はカルテルを結んでいるようだった。同じものではないが、似たようなシャツを発見し、13から10に、さらに「9(370円)でどうだい」と持ちかけたら、あっさりオーケー。しまった、もう少し下げられたかもしれない。いいものには相応しい金額を払うが、こういったちゃちいものではわずかな差でも安く買いたい。
 夕食には釜飯を食べた。腸詰め、鶏肉、ネギを土鍋に入った米と一緒に炊き込み、しょうゆベースのタレがかけてある。これは屋台よりは大がかりな店だが、道端でコンロを並べていくつもの鍋をひっきりなしに火にかけていた。4リンギット(≒160円)と少々根が張るが、うまいし食べがいがあった。特にかむとじゅっと脂の出てくる腸詰めと焦げたしょうゆの香りが付いた米との相性は抜群だった
 暗くなってきたチャイナタウンをぶらぶらしながら、人だかりのしている屋台でジュースを一杯。椀に入って、レンゲと共に渡された。袋に入れてくれる持ち帰りは少し割高だった。大勢の人に混じって飲んだ。控えめな甘さだが、ライチのようなちょっと独特の味がした。「羅漢果」というもので、色々と効用が書かれていた。
 マレーシアではサテーを食べたいなと思っていたのだが、まだ残念ながらその店には出くわしていない。サテーとは、ピーナツソースなどを使ったこってりとしたタレを付けて焼いた焼き鳥。ゲストハウスで、チョウキットの市場にあると聞いたので、明日はそこへ行こうと思った。
 シャワーも浴びてベッドでゴロゴロしていると、同じ部屋の明治大の人がイギリスについて語ってくれた。彼はもうイギリスが大好きで、高校時代に留学して以来、次の9月で3回目の旅になるそうだ。僕が最も心ひかれたのは、当然パブの話し。昼間から堂々と飲めるらしい。彼は日本でもなじみのタイプのラガーが好きだとも言っていた。いずれはイギリスにも行ってみたいものだ。
 多くの人と話しをする、それは僕が発話者になる場合も同等にある。そう、僕は語るべきかどうかは分からないが、語ることのできるものなら増えてきたような気がした。見聞を通して、感じたこと、さらにそこから省察したということを通じて。


戻る 目次 進む

ホームページ