人は南へ、鳥は北へ

 相変わらず、車内は冷え込む。前回の苦い経験があったので、僕は対策として、バスタオルを体に巻いて眠った。何度か、猛烈に肩や首がこったせいで目覚める。急に動かせないので、じわりじわりと姿勢を正す。今回は2+2のシートなので、それほど広いわけではなかった。
 5時前に「ジョホールバル」の声で目覚めた。事態が飲み込めないまま乗客は全員下ろされた。一人の旅行者が僕に聞いてきた。「ここはどこだ?」「運転手はJBって言ってたけど」「JB?」「ジョホールバルだよ。マレーシアの最南端の街」
 彼はその地名を知らないようだった。
 しかし僕としても、彼と同じくらい戸惑っていた。 どう考えてもバスターミナルとは思えない道の上に下ろされたからだった。
 しかし他のバスも数台停車していて、人の流れができていた。
 そう、ここがマレーシアのイミグレーションだったのだ。大抵は、手続きをして再びバスでシンガポールを目指すが、僕はそうではない。やはり国境は歩いて超えたい。そのつもりで、バスのチケットもジョホールバルまでしか買っていない。
 「僕はここで下りるんだ。シンガポールには行かないから荷物を出してくれ」と運転手に告げた。
 時間が時間だけに、3つあるカウンターの内、2つしか開いていなかった。「このまま、徒歩で渡れるよね」と僕は係官に確かめた。返事はもちろん「イエス」だ。
 マレーシアとシンガポールは厳密に言えば地続きになっている。しかし、シンガポールは洋上に浮かぶ島国である。僕も橋で2国はつながっていると思っていたのだが、実際にはコーズウェイ(土堤)がかかっているからしっかりと陸地としてつながっている。
 とりあえずはコーズウェイの中心までたどり着いた。話しに聞いていた通り、そこで道路にくっきりと差が見て取れた。当然シンガポールの方がきれいだ。しかし、おもしろいことにコーズウェイから両側を見ると、マレーシア側の方がライトが煌々としている。海岸沿いの道路の照明のようだった。しかし、その写真を撮っていると、ふと足の指におかしな感触があった。なんと、ゴキブリが僕の足をがじがじとかんでいるのだった。ゴキブリだけではない。よく見ると、そこら辺を大きなネズミがどたどたと駆け回ってもいた。
 僕が途中で足を止めたのには訳がある。KLの動物園で出会ったクリスチャンが「コーズウェイからの朝日は見事だよ」と教えてくれたから、明けるのを待つためだった。
 コーズウェイは、シンガポール側を向いて左手から順に、鉄道、片側2車線の道路、そして歩道が並んでいる。道路ではひっきりなしに車、特にトラックが行き交っていた。そして、歩道にはペットボトルを片手に持ったジョガーがシンガポール側に走っていった。彼は毎朝国境を超えて走るのだろうか。
 鶏を積んだトラックが数台、目の前を走っていった。そこから舞い散る白い羽が、まるで雪のように辺りに降り注いだ。
 少し睡眠をとろうと、水の入っているペットボトルを枕に歩道の橋に横になったが、車がうるさくて眠れやしない。しかも、たまに通る人は、じろじろと僕を眺めていく。これは当たり前か。
 かなり待って、ようやくぼんやりと明るくなってきた。朝靄の中、水面すれすれを鳥の群がマレーシア側へ飛んで行った。しかし、よく見ると半分は、鏡のごとくなめらかな水面に写った姿だった。あとから知った話しだが、シンガポールをねぐらにする鳥は、餌であるゴミを漁るためにマレーシアへ出勤するのだそうだ。
 さて、鳥は北へ飛ぶが、人(多くは車に乗った)は仕事のために南下していく。日が昇るにつれ、シンガポールを目指す車の数は段々に増え続け、最後にはコーズウェイの上で渋滞になった。マレーシア行きはスムーズに流れているのだが。
 曇っていたので、太陽の姿を目にすることはできなかったが、とりあえず出発。しかしその前に一つだけすることがあった。道行く人を捕まえて、「僕は道の真ん中に立つから写真を撮ってほしい」と頼んだ。行き交う車の中、道路の真ん中で朝日をバックに記念撮影。
 シンガポールの入国は結構厳しいというような噂(長髪、髭、ヒッピー等はだめというような)をどこかで耳にしたが、あっけないほど簡単に通過。税関のお兄ちゃんも、カウンターに腰掛けて足をぶらぶらさせているだけで「さあ行った、行った」というように、手をひらひらとさせるだけだった。
 シンガポールドルを入手しようと、国境すぐに見つけた両替屋に入るも、「トラヴェラーズチェックだったら、銀行に行ってくれ」とのこと。
 すぐ近くに一軒見つけたが、9時のオープンまで1時間15分待ち。行員が出勤してきたり、店の前を清掃したりというのを眺めながらぼーっと待つ。リンギットも使い切ったから小銭を手に入れて朝食にすることすらままならない。
 ようやく開いた。しかし「うちでは9時半からしかチェックは取り扱えない。しかし、向こうにある別の銀行だったらできると思うが」ということで、指示された方向へ歩いた。
 ところが、ところが「10時半を過ぎないと、端末に最新のデータが来ない」との対応。
 「じゃあ、ここで待たせてもらっていいかな。どこにも行けないもんで」と言うと、ちょっと考えてから「ええ、どうぞ」と窓口の人は言った。
 ソファーに腰掛けて、心地よい空調の中、僕はおとなしく「魔の山」を読んだ。
 何とか両替も終え、ようやく活動を開始。バス停でおばちゃんに尋ねた。「近くの鉄道の駅に行きたいんだけど、どこにあるの」「ジョホールバルよ」「え、いや、そこから来たんだけど」
 少し彼女は不思議な顔をした。「中心部に出たいんだけど」「ああ、MRTのことね。だったらここからバスに乗ったらいいわ」
 シンガポールでは市内を走る電車のことはMRTと言うのだった。
 30分ほど住宅街を走って着いたのがドーヒーゴート。ここは地上にあるが、都心に入ると、地下にもぐった。雰囲気としてはやはりポートライナーのようだ。ただ。異様に目を引くのは「車内で飲食したら、罰金500S$」というステッカー。
 そして、街そのものがポートアイランドのような、明らかに造られた街。きれいなアスファルトの上を滑るように流れる車。そこかしこに整備された芝生や木々。そして当然に、中身があふれていないごみ箱。
 確かに街を構成する全てがきれいで整っている。建物の形も個性的でおもしろい。しかし、それらは「時の洗礼を受けていない」という共通項を持っている。
 しかし、それは責められるべきではない。何せ、僕の両親よりも若い国なのだから。
 そうは言っても、今まで僕が漠然と掴みかけていた「アジア」という像は、それが完全なものではないことを思い知らされた。そもそも一くくりにしようということから間違っているのかもしれない。
 人々の熱気の代わりにシンガポールの空気には何が漂っているのか。それを関知できるアンテナを僕が失っているのか、もしくははじめから持ち合わせていないのか、とにかく僕にはこの街の姿を捕らえることが困難だった。それは何も、あの熱気がないからいけない、と言うわけではなく、単につかみ所がないだけだ。ひょっとしたら日本と似ているからか、とも思わないではなかった。しかし、仮に「先進国」というフェイズだけから考えるのならば、これはシンガポールに軍配を上げるしかないだろう。例えそうであることが規則で強制されていたにしろ、完全な自由というものが詭弁である以上はそれはあまりに些末なことだ。
 全体的に静かな印象を受けるが、車の音さえも小さく感じられた。こちらが横断歩道を渡っていると、右左折する車は、必ず止まる。交通マナーの観点からシンガポールを捕らえるのならば、文句の付けようがなかった。
 とりあえず僕は安宿の集まるベンクーレンストリートへ向かった。途中で道を尋ねた男性は非常に洗練された英語で丁寧に教えてくれた。
 決めたのは8シンガポールドル(≒580円)のドミトリー。部屋には11人分のベッドがあるが、かなりきれいだ。コーヒー、紅茶はフリーだったが、共に絶望的な味がした。
 まずは近くのリトルインディアへ行った。ホーカーズセンター(路上の屋台が禁止されているシンガポールでは、いくつがが集まって屋内で営業している)でマトンカレーとチャパティーを食べた。あまりおいしくはなかったし、量も少なかった。
 街は整然としていて僕が期待していたおもしろさは全く感じることができなかった。Little Indiaと言うよりはToo Littel Indiaだった。
 唯一、僕の目を引いたのは40センチくらいのサイババの立像。インドグッズを並べた店の前に立っていたこれを見た時は笑ったが、それだけだ。
 街を歩いても何物にも出くわさないので、もうまっすぐゲストハウスに戻ろうと思ったが、ひたすらに迷った末に広大な大統領官邸ぐるっと回ってしまったようだ。
 涼みがてら大きなビルに入ったら、地下にはヤオハンがあった。ビールを2本買う。店内には女性の歌う演歌がかかっていた。
 一本は一息にほして、もう一本は名前と日付とを書いた紙を付してゲストハウスの冷蔵庫へ。
 何をする気もせずに、昼寝をした。うまい具合にスコールがやってきて過ごしやすい気温になった。
 9時過ぎに目が覚めて、腹は減っていたがうまいものが期待できないので先ほどのビールを飲んでいた。すると、休学中の上智の4回生という人と言葉を交わした。
 これから、ヴェトナム、ラオス、カンボジアを回ると言うので、手持ちの情報を伝えた。


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