カルカッタという街
寒い。深く考えずに短パンとTシャツのままで、何も掛けずに寝てしまった。考えたところで体に掛けることのできるものはせいぜいバスタオルくらいしかなかったのだが。とにかく、2月のカルカッタの夜は冷えた。僕はそれまでインドが寒い、ということを想像すらできなかった。
6時前の街中に重く響くコーランで目が覚めた時、僕は震えていた。
しかし、それでも眠い。無理矢理に寝続けようとしても、何かがカチャカチャと頭に響く。まったく早朝からなんの音だ、と思ったら、それはカラスの仕業だった。ホテルマリアの屋上には一応トタン屋根が張られているが、その上を歩き回るカラスの足音。「カラスの濡れ羽色のように」という黒髪を讃える表現があるが、仮にインドで同じことを言えば、おそらくそれはロマンスグレーの髪をも表すことになろう。こちらのカラスはツートンカラーだ。上半身?が灰色、そして胸から尾にかけては黒い。それが数羽屋根の上をひょこひょこと歩き回っているものだから、うるさくってしょうがない。
しかし、色は違えど、光り物を好むのは変わらないようだ。隅の方に飛び出た針金を頑張って持ち帰ろうと奮戦しているカラスがいた。
目が覚めたら、とりあえずカラスを眺める。そして、ああ学習能力のないやつらめ、どうしたところでさすがに針金は切れないだろうに、という感想を抱くことから僕の毎日は始まっていった。
7時を過ぎたあたりで、僕はそのうす汚れたマットのような布団から体を起こし、さっそくサダルの周辺を知るべく散歩にでかけた。
なんとかたどり着いたのが夜だったのでただ漠然と、なんだカオサンよりも小さいんだなと思っていたが、朝日に照らされたサダル通りには多くのインド人がいた。もちろん大半は旅行者目当てのリクシャワーラー(人力車、人が乗れるように座席をくっつけた自転車のサイクルリクシャー、それに黄色と黒で塗られた小型の三輪自動車のオートリクシャー。これらの運転手)や、「マヤク?」「ハシシ?」なんて声をかけてくるヤツらが多いけど、どう見たって地元のまっとうな人間だろうという姿もかなり目に入ってきた。出勤する人、登校する子ども達等々。
そう言えば、昨夜入った食堂でも多くの外国人旅行者に混じって多くの地元民がカレーを食べていたっけ。カオサンのようにあからさまに外国人専用のための地域、とは一概には言えないようだ。
さて、僕はとりあえずチャイを飲みたいと思った。そこでサダルの中心辺りから直角にニューマーケットの方に伸びている路地へ入っていった。ここは今川さんが持ってきた地図に「チャイ屋通り」と記されていた。彼女が日本から持ってきたその地図は、かの旅行人のスーパーマップシリーズ「カルカッタ編」で数年前のものだったにも関わらず、大いに役に立った。ずっと後の話しになるが、カトマンドゥでもそのスーパーマップがいかに優れたものであるかをひしひしと実感した。これを制作しているのは、富永省三という人だが、もうこういう地図を作る天賦の才を持っているのではないかと思われるほどだ。
さて、チャイ屋通り。その名の通りチャイを飲ませる店が3軒隣接していた。別にどこでもよかったのだが、小さな男の子が「ミスター、ティー?」と声をかけてきたその店に決めた。いや、店というのは少し大仰だろうか。しかし屋台とも明らかに違う。塀だか壁だかに棚が備え付けられていて、そこには、クッキーなどのチャイと一緒に食べるお菓子が入っている、梅酒を漬けるようなビンがいくつか並んでいる。上の方にはヒンドゥーの神を描いた絵が貼られていて、その前には線香が煙を上げている。
そして、細い道を挟んだ向かい側に石の上に渡した木が乗っている。座席、というわけだ。
そこに座ると、すぐにチャイが運ばれてきた。7、8センチの高さの厚手の緑色をしたグラスに入って。ほのかにスパイスの香るそのインド式のミルクティーは、果てしなく甘い。しかし、なぜだかそれがこの上なくうまい。
飲み終わっても僕は席を立つ気にならなかった。目の前を行き交う人を見ているのが、とてもおもしろいから。裸足でルンギ(腰に巻いた布。おじさんがよくこれを身につけている)一枚のリクシャワーラーが、でこぼこの道を走っていく。髪に櫛のあとがくっきりと入っている身なりの良い、制服姿の小学生を乗せながら。
インドの国民車、武骨なデザインのアンバサダーもそのせまい道を盛大にクラクションを鳴らしながら、のろのろと進んで行く。
僕の飲んだチャイのグラスは、ほんのわずかに汲みおきの水でちゃちゃっと流しただけで、もうチャイを注がれ誰かの手に渡された。インドに入ったばかりだったので、衛生的な不安がないわけではなかったが、そんなことを考えさせないほどにチャイはうまかった。
ここの通りをちょっと眺めただけで、「インドに来た」という実感が体の底からわき上がってきた。
チャイ屋を後にすると、そのまままっすぐ歩いてニューマーケットへ入って行った。
まだ、朝が早いせいでその広大な市場の中の店は半分くらいしか開いていなかった。それでも。ナタで大きな肉をぶったぎっている肉屋の光景を目の当たりにしたり、食べ物やゴミや下水の匂いが渾然一体となって僕の鼻をくすぐると、体中に鳥肌がたってきた。
どこの街でも市場というのは訪れる価値がある。
朝食をとってから再び市場へ。
いろんな人が話しかける。日本語も多い。「クルター、パジャマー?」「ダージリンお茶?」「マサラ?」ルンギを巻いた男達が次から次へと話しかけてくる。僕はインド的な服がほしいと思っていたので、その内の一人に着いていった。
クルターというのは、丈の長いゆったりとした服で、男性がよく着ている。パジャマーはそれとセットになった、ズボンだ。具体的なイメージを喚起する例として、某新興宗教団体の信者達の服装、と言えば「ああ、あんな感じか」と分かってもらえるだろうか。
まず僕が気に入ったのは、茶色いクルターだった。ざらっとした感触と、ムラのある色がいいと思った。布も薄いし、しかも胸の真ん中あたりまでボタンホールはあるが、ボタンはない。最初に120ルピーと言われたが、当然そんなのははったりの値段だ。少しづつ下げていった。しかし、あまり期待したほどの反応は返ってこない。別に急いで買うほどでもないので、「だったら、いらない。じゃあね」と言って立とうとする。すると「まあ、待て待て。マスター」と言って、さらに下げてくる。何度かそんなやりとりの後に80ルピーというところでおさまった。
しかし僕にはそれが高いのか安いのかがさっぱり分からない。先に宿の人にでも相場を聞いておけばよかったか。
支払ってその店を去ろうとしたら、僕をここまで連れてきた男が「マスター、金を払え」と言う。店の人も「彼はマーケットガイドだ。貧しい人間なので、こうやって生計を立てている。だから10ルピー払ってやれ」と。僕は躊躇した。おそらく店の人から彼にコミッションが支払われるのだろうから、果たして僕が払う必要があるのだろうか。それに案内する時に一言も金のことを言われなかったから、普段の僕なら払わなかっただろう。しかし、インドに入ったばかりの僕にそのペースに飲み込まれていて、とっさの判断ができなかった。言い訳を重ねるようだが(別に悪いことをしたわけでもないのだが)、その時に僕の口から出てきたのは「インド人も普通、ガイドに支払うのかい」という質問だった。ただ、金を払うのではなく、習慣として一般的なものならば僕は払ってもよいと思った。しかし愚かな質問だったことは明らかだ。二人とも自信たっぷりに「イエス」という返事を返してきたので僕は支払った。
一端、屋上のねぐらにもどり、着替えてさっそく宿の人間に当たってみる。「どう、これ。いくらくらいだと思う?」すると彼は「う〜ん、100ってところか」と返事をしてきたので、僕はこれはいい買い物だったと思った。ところが、その彼が布を触った後に複雑な表情をして「ま、色々種類があるから」というようなことを言った。僕はちょっと落ち込んだ。
夜は冷えたが、昼間は暑いカルカッタ。何もする気が起きない。しばらく布団の上でごろごろとしていたが、これではいけないと思って一大決心をして出かけることにした。
サダルに近いパークストリート駅から地下鉄でカーリガートへ。カルカッタを走る地下鉄が、インド唯一のものらしい。構内は薄暗く、大きく「写真禁止」という看板がかかっている。
間をあけずに電車は入ってきて、乗り込んだ。アナウンスは英語もあった。しかし、エアコンが入ってないので、風を入れるために開け放した窓からはガタガタという音も入ってきて聞き取るのはちょっとつらかった。
大体こちらの方向だろう、と勘を頼りに歩いていく。すると、すぐにその勘が当たっていたことが証明された。寺自体はまだ視界に入らないが、道の両側にずらっと店が並んでいる。金ピカの皿やつぼを売る店、ヒンドゥーの神々の絵を並べた露店、プラスティックのアクセサリーを路上に広げる老人、20センチほどの小枝だけを売っている人もいた(ちなみに後に知るが、どうやらこれをガジガジとかんで、歯を磨くもののようだ)。
ヒンドゥーの神々の絵だが、一言で言えば「濃い」。コテコテだ。劇画というジャンルがあるがあれをカラーにしたらこんな感じだろう。そんな独特のタッチで寅の皮に座って瞑想しているシヴァや、猿のハヌマーン、太鼓腹をデンとさらした象の顔を持つガネーシャなどなど。とにかくどれも「いかにもインド」という雰囲気満点だ。
目的の寺に着き、門をくぐろうとしたらどこからともなく男が現れた。「中は土足ではだめだ。俺の店に置いていくといい」
もちろん「金はいらないんだろうな」と確かめた。靴をぬぐと、うす汚れたペットボトルから水を注いで「これは聖なる水だ。これで手を清めたらもう寺に入っても大丈夫だ」と言われた。ついでに彼は「ガイドをしよう」と言ってきたが、きっぱりと断った。
寺自体はそれほど大きなものではないが、ご神体であるカーリーの像の周りでは、狭い空間に大勢の人が独特の熱気を発しながら祈りを捧げていた。三つ目のカーリーの像には多くの花輪がかけられていた。
余談だがこの寺の名である「カーリカット」が、ここカルカッタの名前の由来になっている。カーリーは血を好む神で、午前中に来れば生け贄に捧げる動物の首をはねるシーンにお目にかかれるかもしれなかったのだが、残念ながら見ることはできなかった。ずっと後にプーリーで知り合った韓国人女性は「10頭の山羊の首を次々とはねていった。あれはものすごいものだった」と言っていた。
さて、そのカーリーの像を眺めていると指に付けた赤い染料を僕の額に塗った男がいた。そして「10ルピー払え」と言ってくる。知ったこっちゃない。ウェストポーチのポケットを一つ開けて「ほら金はほとんどないよ」と言ったら、「もういい、行け」と言ってきた。そんなものだ。
預けた靴を返してもらうとこれまたお金を払えと言ってくる。「いいか、さっきただだって言っただろ。預かってくれてありがと、じゃあね」
帰りの地下鉄の切符売り場で(もちろん券売機などではない)、鉄格子の向こうの男に「パークストリート」と言って、10ルピーを渡したら釣りはないと言われた。パークストリートまで2ルピーである。そんな馬鹿な、と思ったがこれはまたインドではよくあることだった。元々釣り銭を用意するという考えがないということもあるだろうし、それと面倒くささからだろうか。あるいは釣りを払うと損をする、というような考え方があるのかもしれない。いずれにせよここはインドである。
帰り道に、屋台でフルーツの盛り合わせを買ってつまんだ。数枚の葉を組み合わせた皿の上には、バナナ、パパイヤ、それにキュウリとトマトを切ったものが乗っていた。もちろん、冷えているわけなんてない。それを木の枝そのものといった楊枝でつついて食べる。
今回の目的地にインドを選んだのは、前回の旅で多くの人が勧めていたからというのがあるのだが、その中の一人がこんなことを言っていた。「タイなんかもね、おもしろいんだけどそれはどちらかと言うと観光地としてのおもしろさなんだ。こっちから何か行動を起こせばおもしろいことがいっぱいあるんだけど、インドは違う。ほっといても刺激の方が向こうから飛び込んで来る」
その言葉をいきなり実感させることに出くわした。
十代後半の女性だろう、太鼓をたたきながら僕の歩みを追ってくる。そしておもむろに前に回って「バクシーシ」
なるほど、喜捨を意味するバクシーシという言葉自体は知っていたが、こういう状況で使われるものだったのか。あきれると言うよりは、僕はおもしろいと思った。
しかし、僕は払わなかった。何より、いちいち「バクシーシ」と言って手を出してくる人すべてにお金を出すわけにはいかない。中にはどういう病気かあるいはケガか知らないが、骨と皮だけの手足で地面を這っている男なんかもいる。あるいは、サダルの中では乳飲み子を抱えた母親と思しき人が、「食べ物を買う金を」と言わんばかりに口に手を持っていくジェスチュアをする。
もちろん、子どもの物乞いだっていくらでも出会う。郵便局でさっそく友人宛にいくつか絵はがきを出したのだが、その帰りにかなりしつこく着いてきた二人組がいた。腕にまとわりついたりしてくるが、最後の方はいいかげん面倒くさくなって無視していた。ようやく引き下がってほっとしたのもつかの間、彼らは後ろから石を投げつけてきた。これはさすがに腹が立つ。大声で派手なアクションを交えて怒鳴った。
しかもその郵便局で切手を買ったら、カウンターの係員が「ほら、わざわざスタンプ押してあげたんだから」と本来1枚6ルピーのところを7ルピー払わされてしまったのだ。これは後からとても悔やまれた。余分に払う必要はどこにもなかったのだ。
1ルピーを日本円にすれば、3円ほどのものである。インドでだって、チャイを一杯飲めるかどうかの金額だ。しかし、その1ルピーをほしがるインド人、そして納得できないものは払う気のない日本人の僕。以降、数多くの場所でこの対立の構図が存在したが、しかしその度に僕は旅の経験値が上がっていったような気がする。
そうそう、二日目の夜にはできる限りの寒さ対策をしてから眠りについた。Tシャツの上に長袖のシャツ、さらにクルター。ズボンの下にはパジャマーをはいていた。
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