サダルの中には屋台がいくつか出ている。その一つで僕は焼きそばを食べた。インドだろ?という声もあろうが、誰がなんと言おうとあれはソース焼きそばだった。誰が広めたのかしらん。まあ、具の肉の種類が選べたり(もちろん野菜だけのものもある)、チリソースをかけたりするあたりが違うと言えば違う。
タイなんかの屋台と違って、イスがないから適当に道の端に腰掛けたり、あるいは立ったまま皿を持ったまま食べることになる。
この屋台に限らずよく焼きそばを食べた。大体メニューには「chowmin」として載っている。「炒麺」という中国語からなのだろうか。
さて、この日の大仕事は列車の切符を取りにいくこと。外国人用の発見窓口がフェアリープレイスという場所にあるらしい、という情報を昨日つかんでいた。
実は昨日の夕方は直接にハウラー駅まで出かけたのだ。僕ら3人組はヴァラナシを目指すため、そしてドンムアン空港のロイヤルエグゼクティヴラウンジで出会った同じ大学の印藤君はガヤーまでの切符を手に入れるためだった。
地図を見ると、チョーロンギー通りを横切って、さらにその先にある公園をずんずんと抜けて、フーグリー川を渡った先に駅があった。夕方の気持ちのよい時間を僕らはわいわいと歩いていった。よく整えられた公園で、サッカーをする若者などもいた。しかし、その公園は広かった。加えて、僕は風邪をひいていた。
そこで、途中からあっさりとタクシーを拾った。こういう時に複数で行動を共にしていると便利だ。一人ではちょっと金銭的につらい。
タクシーというのは自動車である。あたり前だけど。車だかバイクだかはっきりしないリクシャーとは違うということを言いたいのだ。この自動車のタクシーは実はそれほどあるものではなかった。もちろんカルカッタの街ではあちこちに、この上半分を黄色く下を黒く塗ってある、しかし大抵どこかにぶつかった跡があったり塗装がはげていたりするのだが、フォルクスワーゲンをいびつに拡大したようなインドの大衆車アンバサダーを見かけることができる。けれど、次に僕が車のタクシーに出会ったのはデリーだった。それ以外の街ではお目にかからなかったと思う。オートリクシャーか、サイクルリクシャーだった。
ところが駅の案内所で「外国人用の窓口は、ここにはない。フェアリープレイスに行け」と言われた。その帰りにまたちょっと一苦労があった。大体、タクシーやリクシャーが集まっている所では、多めに料金を請求される可能性が高い。流しを拾う方がいい。これは僕の経験則だ。カルテルみたいなものが運転手の間であるのか、抜け駆けしたら村八分にあうのか事情は知らないが。だから、巨大なハウラー橋を人混みに混じって歩いて渡って、その先でつかまえようとした。
腕をやや斜め下の方に伸ばしてタクシーを止めるが、「サッダァールルストリート」と言うと、みんな50ルピーだと言ってきた。
ちなみに、これは現地人の発音をまねしている。大体において初めての土地の地名の音なんか分かりようがないから、僕はまず適当に日本語っぽく読む。下手に英語調でいくよりこの方が効率がいい気がする。すると、相手は「ああ、そこか」と言って、その地名を自分で発音して納得する。それを覚えておいて次回からは、タクシーに乗ったり、道を尋ねたりという時に使う。この場合なら、サ・ダ・ルという音よりも、ダの部分に思いっきりアクセントを置いて、ルの音を巻き舌で発音する。Rの音は巻き舌で発音されることが多い。だから例えば、beerは「ビヤー」ではなくて、「ビヤル」と聞こえるし、very nearなんていうのは「ベッリリーニアル」と聞こえる。慣れればなんてことないけど、それまではよく聞き返した。話しが逸れたついでだ、聞き返した時のリアクションについてちょっと。僕たちは聞き返されるとゆっくりと発音したり、あるいはスペルを示したりする。インド人にこれはない。「もう一度?」と頼んでも、全く同じ調子で繰り返すだけだ。ヴァラナシで船を漕いでいた男に「そのスペルは?」と尋ねたら、「わからん。俺は字を知らないんだ」ということもあった。ま、「インド人」って言ったところで、僕が接した人たちはごくわずかなんだけど。
さてさて、50ルピーは高すぎる。行きにはメーターで行ったけどそれほどかからなかった。メーターはもちろん設置されているが(日本のようにデジタルでピッというものではない。恐らくものすごく物理的な仕組みのもので、距離に対してのカウントをするだけだ)、こちらが要求しないとメーターでは余り走ろうとはしない。当然、交渉制が主になる。
ところが、値切ろうとしても、ひどいのになると行き先を告げただけで何も言わずに行ってしまう車もあった。10台くらいそのようにして行ってしまった。タクシーは次から次へと通るから帰れない心配はないのだが、もう日は沈んだし腹も減っている。一台30ルピーまで下がったのがいたので、「だったら、もう30まで下がったら乗ろうか」ということになった。15台くらいのところで、運良く25ルピーで話しがまとまった。
けれどほとんどが高い料金を要求してきたわけがすぐに理解された。走り出してすぐにものすごい渋滞に巻き込まれたのだった。帰宅のラッシュだろう。車がひしめき合っている中にいると、すぐに排ガスにやられる。もうもうと、という表現がぴったりだろう。もちろん、タクシーは窓を開け放していつも走っているので、座席なんかもかなり汚れている。シートは黒いビニール張りだから見た目には分からないが、下りてみるとTシャツの背中が黒くすすけてしまうのだ。
さて、それが昨日のこと。今日の一台目はまず30ルピーを要求してきた。「いやあ、メーターで行ってよ」「いやいや、30だ」なんてやりとりをしていると、後からやって来たもう一台の運転手が「よっしゃ、メーターで行くから俺の車に乗れ」と言ってきた。でだしは好調。ちなみに、このように運転手どうしが競合している時には、「だったら、あっちに乗るから」と言うと、最初の運転手の方がより安い値段を提示してくることもよくある。なんというか、競争市場なのだ。
ところが、正規運賃というのも頻繁に改定されるようで彼曰く「このメーターは古い基準のものだ。だから15ルピー払え」と言ってきた。その時はそんなものかと素直に支払ったが、後に「新旧値段対応表」のようなものを見たら、ちょっと多く払っていたようだった。
フェアリープレイスにある「コンピューター化されたイースタンレイルウェイオフィス」という事務所はさすがに気持ちよく手続きが進んだ。
切符を求める外国人(我々)は順番をあたり前のように守るし、対応する係員も「ここに必要事項を書いてくれ」と言って、行き先と希望の日付を告げると手早く発券してくれた。この時にパスポートとバンクレシート(正規の銀行で両替をした時に発行される書類)の提示が求められた。
しかしこのスムーズな手続きは、どこでもこの通りだというわけではない。後に何度もイヤな目にあうのだった。
あっけないほどに目的の切符を手に入れた僕らは、その周りをぶらぶらと歩いていた。どうやらオフィス街のような雰囲気だった。道に出ているチャイ屋は、1ルピーだった。テラコッタ、というさかずき程度の大きさの素焼きの椀に入っている。そのざらっとした入れ物を通して熱々のチャイも、ほんのりと温かみを感じる程度になる。歩きながら飲もうと思っても、たっぷりと注がれているのですぐにこぼれそうになってしまう。だから、僕らは歩みを止めて街角でのんびりとお茶をした。見ていると、飲み終わったらみんなポイポイと放り投げている。街路樹の根本などには、割れたテラコッタがたまっている。
「深夜特急」に、このテラコッタをポケットに入れたままバスに乗ったら、気付いたら粉々になってしまっていたというエピソードがあったように思う。粗末な作りの土の色をしたこの入れ物を、沢木耕太郎と同じく僕もいたく気に入った。「よし、カルカッタに戻って来た時には、絶対に割らないように持って帰ろう」と強く思った。
バンコク・カルカッタの往復のチケットを買っていたので、西の方まで行っても最終的にはカルカッタに戻ってくる計画だった。
チャイの後にはサモサもつまんだ。カレー味のじゃがいもを、ぎょうざの皮のようなもので包んで揚げる。これも一個1ルピー。もちろん、うまい。
午前中に切符を手に入れた僕らは、大きなことをしたという充実感に身をひたしながら、相変わらずホテルマリアの屋上ドミトリーでゴロゴロと転がっていた。ひとたびここに戻ってしまうと、捕らえられてしまう。外は(ここも半分は外のようなものなのだが)暑いので動く気がしない。ぼんやりとしたり、針金と奮闘するカラスを眺めてみたり。本を読もうという気にさえならなかった。
「こんなにダラダラしてて、ええんかな」「せやけど、何もする気が起きへんしな」「ま、ええんちゃうの」こんな無気力な会話が交わされた。「脳味噌、とろけてしまって耳から出てきそう」というこのセリフが、僕らの状態を的確に表している。
例え歩いているというだけでも何かしら行動をしている時には充実している気がするが、どうも実際にはとても密度の薄い時間を過ごしていたようだ。
気怠い空気の中、時間の流れ方までゆっくりとして感じられる。たまに、吹き抜けて行く風が気持ちいい。
一度、午後に出かけた。と、言っても「買い物に出ようか」と思って、体を起こしてすぐに出ていったのではない。実際に外に出ようという決心が固まるまでには非常に長い時間を有したのだった。「行かへん?」というような話しが出てから、実際に行動に起こすまでに、実に数時間を要した。その間にしたことと言ったら、寝返りをうったということくらいだろうか。ひょっとしたら、とろけた脳味噌は次第に発酵していったかもしれない。
ニューマーケットの向こうに並んでいる店の方が、着るものを安く売っているらしいという情報を手に入れた今川さんに従った。しかし、それほどみんな買おうという気があったわけでもないので、色とりどりのサリーを売っている店などを冷やかしながら、ぶらついた。
僕と長谷川君は、一軒の店で毛布を買った。なんだか、石油のにおいがする、ずっしりとした毛布だった。しかし、これでとにかく今晩からは安眠できそうだ。
そのまま歩き続けて、エスプラネードの隣にある市場に出た。ここはサリーやスカーフ、クルターなどを商う店が多い。どれも華やかだ。商品を収めてある棚は客に見えるようになっているし、特に派手なものが天井から飾られていたりする。
ここの店にはどこにでも「FIXED PRICE」という表示がなされていたが、高すぎるというような印象は持たなかった。ニューマーケットと違い、外国人がほとんどいないので、地元の人向きの市場なのだろう。
ここで長谷川君がクルターを一着買った。僕のと同じようにボタンホールはあってもボタンがなかったが、何も言わずとも店の人が付けてくれた。プラスティックの極めて簡単なものをはめ込んだだけだったが。ここで僕も「ボタンだけ、いくつかもらえないかな」と聞いてみたが、僕のクルターを見てぴったりの数だけただでくれた。
歩きでも十分に帰れる距離なのだが、ここで僕たちはリクシャーに乗った。サイクルリクシャーでもオートリクシャーでもない、ただのリクシャーだ。日本語で、ずばり人力車。狭い座席にがんばって3人で乗り込んだ。リクシャーワーラー(運転?手)が、走り出すと風景が軽快に流れて行く。視点が高いのも普段と違って新鮮だった。手首に巻いたヒモの先の鈴がチリンチリンと鳴る。
ホテルマリアの屋上には洗濯物を干すための部分もある。そこで夕方、ギターの練習をしている日本人がいた。こっちでギターを買って、同宿の人に教えてもらっているのだと言う。
薄闇の中でカラスが鳴き、街が夜に向かってざわめき、そして目の前の彼はあぐらを組んでギターを弾いている。