聖なる河と俗なる人

 昨日の列車の疲れをものともせず、朝日を見るために早起きをした。ちょっと言葉を交わした宿のオーナーが「明日は、起こしてあげるよ」と言っていたにも関わらず、ロビーで待っていると「いや、すまん、すまん」とやって来る。
 チャンダゲストハウスからガンガーへは歩いて3分ほど。途中で彼がチャイをご馳走してくれた。わずかに白み始めたヴァラナシの街で飲む朝一番のチャイは温かく、ゆっくりと胃におさまった。
 道には牛の糞があちこちに落ちている。カルカッタではほとんど見ることはなかったが、ここでは街を歩いている人と同じくらいの牛が歩いている。サンダル履きだから、踏んづけるわけにはいけない。
 「これがエレクトリックカソーバ(電気で焼く火葬場)」だと、その建物の意義そのものとはかけ離れたおかしさのある言葉で教えてくれた建物の横を通って川縁に下りていく。
 彼が話しをつけてくれた男のボートに乗ることにした。一時間で一人35ルピー。高くもないが安くもない値段だということは、二度目のヴァラナシ訪問の時に分かった。
 おそらく5人乗りほどの木製のボートは、霞む川面をゆっくりと進み出した。
 風はないが、肌寒い。僕はTシャツの上に長袖を一枚着ていた。ボート漕ぎの親父も青いルンギをはき、上着を着込んでいる。
 すると、すぐに別のボートが近づいてきた。手のひら大の何かの葉で作られた皿の上にローソクが乗り、赤い花びらが周りに散らされている。これを買い、河に流す。僕たち以外にも、朝日を眺めるためにボートに乗った旅行者が同じようにしているので、所々で水面に小さく黄色い日がちろちろと揺れる。
 ボートはガート(沐浴場)の集まる方へ進むが、それが上流なのか下流なのかが分からないほどの早さで河は流れている。
 まだ、西の空には半月が白く光っているが、すでに川縁には多くのインド人がいた。沐浴をしたり、あるいは洗濯をしたり。
 中には泳いでいる子どもまでいた。「冷たそうだね」とこちらで話していたら、「いいや、冷たくないよ」と言われた。手を付けてみたけど確かに冷たくない。むしろ生ぬるく感じるほどだ。
 ゲストハウスも数多く集まるこちら側と違って、対岸には家や、整備された河岸は全く目に入らない。何でも、対岸は不浄だから人は住まないとか。特に乾期だったこともあって、そこには広大な砂地だけしかなかった。そのまたずっと奥にも森が広がっているようだった。

ガンジスの日の出
 その砂地の向こう、影になった森の向こうの空がオレンジ色にぼやけてきた。ゆっくりと、それでいて確実に太陽が昇る。さっき、地平線からのぞいていたと思っても、少し目を離しただけで完全に姿を現し着実に昇っていく。やはりこれは地球が回っているのではなく、太陽の方が動いているとしか思えない。
 岸辺は砂の色をした建物が多い。水面まで階段状にガートが造られている。雨期にはそこまで水が上がるのだろう、色の違いも見てとれる。
 観光客相手のみやげ物を満載したボートが、あちこちに声をかけている。
 親父が「対岸に上がってみないか」と言ってきたので、僕らは不浄な地に降り立った。白い砂地の上は、少し歩きにくい。そこに立った自分の写真を見ると、砂漠にいるようにしか見えない。
 打ち上げられた牛の死骸が肋骨をさらし、数羽のカラスが腐肉をつついていた。
 ちょうど2時間が経って、再びエレクトリックカソーバの下に下りると、先ほど感じた神妙さは、辺りの活気にすっかり取って代わられていた。
 ゲストハウスには屋上があった。そしてそれと同じ高さに、台所として使われている一部屋だけがある。だからその上のスペースは屋上の屋上だ。ガンガーも見えるし、カソーバの煙突もすぐそこに見える。そこで、のんびりとさして安くはない朝食をとった。
 洗濯日和だった。お湯も使えるから、ここぞとばかりにズボンやシャツの汚れを落とした。温度調節ができないから、熱すぎるお湯を一端バケツにためて、適当に水でうめる。ごしごしとセッケンと爪ブラシで洗う。なんだかとっても楽しい。長谷川君は、鼻歌まで歌っていた。
 真っ白に輝く太陽の下で、パンとしわを伸ばして屋上の手すりにかける。「今日は天気がいいから2、3時間で乾くよ。でも猿が持っていくから、ちゃんととめておいた方がいいよ」と、フロンで働くネパール人がアドバイスしてくれた。そう言われてみると、家々の屋根には猿が何匹もうろうろとしている。そうそう、リスが駆け回っている姿も何度か目にした。
 屋上にいると、再びオーナーがやってきてしきりに彼の所有しているという織物工場の見学を勧めた。「いい写真がいっぱい撮れるよ」などと言われ、まあさしてすることもないから、ゲストハウスから歩いてすぐの工場へ行った。
 しかしそこは「こうじょう」ではなく「こうば」と呼ぶ方がふさわしいような設備だった。
 「写真を撮ってもいいんだよ」と、許可と言うよりむしろ「どうして撮らないんだ」というようなニュアンスでしつこく言ってきたが、別段おもしろいものはないし撮ろうとも思えなかった。あまりにしつこいので、仕方なく今川さんが1枚撮っただけだった。
 そんなことよりも、案内役として着いてきた二人組の男性にとんでもない目に3人ともあわされた。旅の最中の嫌な経験も、あとから考えると「それはそれで楽しかった」と思えることはいくらでもあるのだが、このケースについて言えば、事情は全く異なる。
 簡潔に述べよう。最初の被害者は長谷川。階段を上っているときに、後ろから尻をなでられた。次いで今川。「ねえ、名前なんていうの?」と何度も聞かれ、その都度、関西人の突っ込みのように振られた手で、胸を触られた。そして最後は粟津。僕は時計を腕に巻くのが好きではないから、カオサンで買ったウェストポーチのベルトに引っかけていた。もちろん、それはするすると自由に移動する。その時、運悪く体のちょうど正面にぶら下がっていた。すると、先ほど長谷川君の尻を触った方の男が「いい時計だね」といいながら、間髪を入れずにむにゅっとつかんできたのだった……。
 「何やっとんねん!」と腕を引き離して「アホか、お前は!」と叫んでも、ヤツは独特の光沢を持った顔でニヤニヤしている。
 ふざけるのも大概にしろ。驚くやら腹立つやら。何より、極めて不快だ。
 その一人が今川さんに「ねえ、君って結婚してるの」と尋ねた時の彼女の答えと、奴等の反応は愉快だった。「ええ、この二人が私の夫よ」、そう言うと二人ともあからさまにがっかりしていた。
 これにはさらに後日談がある。僕と長谷川君が街を歩いている姿を写した写真に、なんとその眉毛がほとんどつながって、てらてらの顔でにやけづいている男が写っていたのだった。
 ようやく元の所に戻ると、オーナーがいて「ここで作ったみやげものを見て行けよ」と。スカーフ、バンダナ、曼陀羅等々どんどん引っぱり出してきて目の前に出すが、仮にほしいと思うものがあったって、誰がこんな所で買うものか。
 最後にせめてこれだけでもという感じで、絹で作った小さなネックレスを取り出したが、僕らの返事は変わらない。
 笑い話に転化させながら、それでいて心のどこかにマグマのようにたぎる思いを持って、宿への道を歩いていった。
 さて、朝が早いと一日がとても長い。とてもいろんな経験をしたが、まだ昼過ぎだ。
水牛
 火葬を見ようと、ガンガーのほとりを歩いた。ここも牛だらけだし、牛の糞だらけ。水牛の群は水浴びをしていた。
 ここはさすがにインドで有数の見所だけあって、声をかけてくる者も多い。「ボートどうだ」「このハガキ、2ルピー」(と、日本語だった)「マッサージをしよう。ちょっと試してみないか」……。
 ところが肝心の火葬にはなかなかお目にかかれない。元々、チャンダゲストハウスは中心部からは少し離れていることもあって、結局白い煙が立ち昇るのを眼前にできたのは15分ばかり歩いた後だった。
 近くにいた人から、そこではなくすぐ隣の建物のテラスのような所に上がるように言われた。
 その建物の周りには大小様々な薪が山のように積まれていた。確かに、毎日インド中から訪れる死者を燃やすのだから、途方もない薪の量も自明のこと。けれど、そのとてもシンプルな事実を実際に目の前にするまでは、思いも及ばなかったことだ。
 これに限らず、ちょっと視点を変えてみれば思い付くようなことはいくらでもあるだろう。しかし、その表層のイメージが頭の中に強く作られていればいるほど、それは困難になる。けど、僕はそういうことにもちゃんと考えの及ぶ人間になりたいと思った。これが実際の火葬を目の前にした最初の感想だった。
 30分、いやもっと長い間その場から見下ろしていたような気がする。人間が燃え尽きるまでにはかなりの時間がかかるがちょうど僕たちがいた頃には、3人が焼かれていてしかもそれぞれに焼け具合が違うので、あれこれと想像の範囲にあった光景も見ることができた。しかし、その周りでは犬がうろつき、死体にかけられていた花を食べようとやってくる牛がいて、さらにはそれを棒でもって追い払う人もいる。目にしみる煙が立ち上る中をスズメが舞っている。ガンガーの上では相変わらず船が行き交っている。
 どう言ったらいいのだろうか。人を焼いている、それだけでしかもそれが全てだった。結局、そうなんだ。これはこの土地にとって、ここの人々にとって、あたり前のことなんだ。人が死ぬのもあたり前なら、それを火葬するのも、ヒンドゥーの教えるところに従って遺灰をガンガーにかえすのも、牛や犬やスズメがいるのも、何もかも「そういうこと」なんだ。これが、僕の感じた二つ目のことだった。
 「人を焼くのは、どんなグロテスクな光景なんだろう。そしてそれはどれほどに僕を驚かせ、感動させることだろう」という頭の中の虚構は、静かに崩れ去った。
 来た道を引き返さずに、街中を通って帰ろうとした。ところが路地が思いの外に入り組んでいた。両脇に建物が迫っているので、昼間だと言うのに薄暗く、ゴミが散乱している。大体の方向を検討付けながら、牛に道をゆずったり、糞を踏まないように注意しながらさまよった。
 ようやく賑やかな市場に出た。すっと寄って来る男が「両替?」と声をかける。無視していたのだが、ふいにアメリカドルの現金が必要なこと、それに今日は日曜日であることに思い至った。そうだ、ネパールヴィザは国境で発給されるが、支払いはドルのしかも現金がいるのだった。まいったな、明日の朝はもうバスに乗っている。ヴァラナシからスノウリ・マハラジガンジーの国境を越えるルートはメジャーらしいので、おそらく国境付近には両替ができる所があるに違いないとも思ったが、仮にドル現金を持っていないせいで入国できなくても困る。
 そう考えた結果、その男に着いていくことにした。サリーか何かを売る彼の店の奥に入ると、さっとカーテンが閉められた。「米ドルのレートはいくらだい」と尋ねたら、何と「いや、ルピーにしか両替できない」と言われた。これでは話しにならない。店を出た。
 ところが彼はまだ着いてくる。「俺の知り合いの所へ行けばドルの現金にも両替できる」と持ちかける。「じゃあ僕が持っているのはドルのトラヴェラーズチェックだけど、額面通りの現金が手に入るのか」と聞いたら、彼は肯定の返事をした。
 また商店街の中の別の店の奥へ通された。その隣の店では明らかにまがい物のドナルドダックのおもちゃを売っていた。
 さて、着いてきた男と改めて話しをした。「僕は40ドル分のチェックを替えるから、40ドルの現金が手に入るんだろうな」と。「ああ、そうだ」「けれど一体どこでもうけるんだ?」と僕は率直な疑問を口にしたら、彼は「yes」という返事をした。ちょっとよく分からない。
 店の男が電卓を叩きながら説明するところによると、どうやらここではルピーからドルにしかできないらしい。仕方なく再び、あのカーテンの奥へ戻った。
 出てきた札束を慎重に数える。そしてもう一度ドナルドダックの隣へ。
 ところが、僕は先ほど替えたルピーにいくらか上乗せしなくてはならないと言われた。それでは話しが違う。そのことを店の男に伝えると、「そんなわけないだろう」と怒り出し、彼ともども、店を追い出された。
 なんてことだ。だから僕は確かめたんだ。文句を並べ立てながら、5分ほど歩いて再度最初の店へ。
 「しかし、そうは言っても手数料を取らないと何のためのブラックマーケットだか分からないだろう」「そりゃあ、そうだ。だから僕はお前に確かめた。40ドルのチェックが、ちゃんと40ドルの現金になるのかって尋ねたらイエスと答えたのはお前だ」「しかしそんなことを言っても」
 僕は声を荒げた。「ふざけるな。いいか、とにかく40ドル用意しろ。チェックにはサインしてしまったから銀行ではもう使えないんだぞ」
 「それなら、大丈夫だ。ちゃんと銀行でも受け取ってくれる」と彼は言うが、信じられない。それではトラヴェラーズチェックとしての意味がなくなる。万一、その言葉が正しいとしても何かあれば今度は銀行対僕という構図も発生して、余計なトラブルを抱え込むことになりかねない。
 さらに僕は気合いを入れて怒りの形相を作りながら言葉を発した。
 確かに、怒ってはいたがこういうトラブルもつきものだというある意味危険な捉え方も僕の中にはあって、むしろそれを楽しんでいる面すらあった。
 手数料が取られることは仕方がないとしても、それを全額こちらが払うのには納得がいかなかった。
 だから最後には、プラスアルファの手数料分の一部を彼に負担させるという提案を持ち出し、相手も渋々妥協した。
 しかし先ほどの店には彼も再びは訪れづらいようで、「別の知り合いの所へ行こう」と、再び路地を進んだ。最初の所では呼び鈴を鳴らしても誰も出てこなかった。
 さらに歩く。道を知っているのは彼だけだ、遅れないように着いていく。上から見たら、ドラクエのパーティーのように見えたかもしれない。
 困ったのは、明日の朝にはヴァラナシを後にするから、再び訪れるチャンスのない今川さんのことだった。僕と長谷川君はインドに再入国するからいいとして、「ガンガーから沈む夕陽を見よう」ということになっていただけに、思わぬイヴェント付き合わせることになってしまい、心底申し訳なかった。
 日も暮れた後にたどり着いたのは、また布屋の2階だった。右手の指をほとんど失った陽気な老人が出てきた。彼は「ここは布の店だ。どんな用だい?」「かいにきた・うりにきた・やめる」なんてことは言うわけもなく、僕から事情を聞くと「それは大変だった。あいつは英語がそんなに得意じゃないんだよ。ま、そんなにくよくよするもんじゃない」と言って、ポンポンと僕の肩をたたいた。
 話しはまとまったのだが、その店にも40ドルはないらしく、さらに別の人間が使いに外に出た。
 その間、僕たちは男がそのじいさんに言われて買ってきたチャイを飲んでいた。うらめしそうに「これは俺の金で出したんだぞ」と言っていた。
 そのじいさんは、しかし商魂たくましく、「まあせっかくだから」とクルターを次々と出してくる。
 すると、今川さんの目にとまった一枚の白いクルターがあった。試着してみるも、少し丈が長い。
 「仕立屋に持っていったら短くできるから」と言ってくる。仕立て代も込みの金額を交渉の末、それは彼女のものになった。おそらくこの市場の中には仕立屋がいくつもあるから、この店と取引しているところが決まっているのだろう。だからよその店に行かないように、あらかじめ仕立て代も払っておくのではないかと僕は思った。
 ようやくにドルを手に入れて、またもやじいさんに言い付けられた彼の案内で仕立屋へ。
 そして、もういい加減にしてくれというような沈痛な面持ちで引き返していった。
 彼もそんなに悪人ではないのだろう。あの路地で僕たちをおいてどこかに逃げてしまうことだってできたのだから。
 カタカタと足踏みミシンで仕立て上げられていくのを見物していると、何やら男が戻ってきた。
 「言い忘れたけど、ちゃんと仕立屋にお金は払ってあるから、あんたは受け取るだけでいいよ」
 微笑ましいくらいに実直な親父じゃないか。
 この思わぬできごとについてしゃべりながら市場の中の狭い道を帰る途中、僕は、いや僕のサンダルは踏んだ。糞だ。「にゅる」と言うか、「むにゅ」と言うか。しかし足元を見なくともそこに何があるかは理解できた。それは新鮮だった。適度に軟らかいので、サンダルが埋まった。靴底の高さを越えてはいなかったのがせめてもの救いだった。
 夜、チャンダに泊まっていた日本人と屋上でビールを酌み交わしながら、旅をしていてよかったと感じる話しをした。
 彼は早稲田の5年生で、今年就職が決まり、初めての海外だと言う。そしてわずかしかない日程の中で、1週間(あるいはもう2週間だったかもしれない)もここにいるのだと。
 旅人に独特の「いやらしさ」というものが身に付くのは不可避であるかもしれないが、どうも彼にはそういった要素が無縁に思えた。もちろん、旅慣れていても素敵な人の方が多いし、しかも僕はそんな格好よさに憧れることは多々あるのだが、彼のような旅人も僕の目にとてもまぶしく映った。それは、彼も村上春樹に惚れていることを知ったことも大きな要素としてあるかもしれない。村上春樹に憧れて早稲田の文学部に入ったのだった。さらには最近とみに有名になりつつある「ASIAN JAPANESE」を出版している会社でアルバイトをしていた。だから、あの本の原稿は直接に持ち込みであったことや、郵送されてくる読者カードにあった感想について教えてくれて、僕たちはまたそれについて考えを述べ合うこともした。
 彼が「いいな」と思ったエピソードはこんなものだった。
 穴にはまって、前に進めなくなっている荷車がいた。しかし、引き手はそれでも力を込めて引っ張ろうとしている。何気なく、後ろから押してやったら、その引き手はそれに気付くことなくそのまま進んだ。別にお礼を求めてしたわけではないんだけど、向かいから来た同じくらい年齢のインド人が「サンキュー」って言ってくれた。
 彼はしかし、最後にこう付け加えた。「俺はね、その時とっさにYou're welcom.って言ったんだけど、It's my pleasure.って返せれば良かったな」
 僕の持ち出した話しはこんなものだった。
 コミュニケーションを重ねることで、どこかで「あ、こいつはいいヤツだな」って自分の中での気持ちが全く反転してしまう瞬間。最初は全く相手についての情報がないわけだから胡散臭く疑っていても、やっぱりどこかで分かる。それがとても好きだ。この宿のフロントの男にしたって、最初リクシャーに連れてこられた時は、まったく何も分からない。けれど、実際に泊まって話しをするとこれはもうとんでもなくいい人だった。
 「そう、この近所の人とも結構しゃべったんだけど、みんな口をそろえて『確かにインドには悪いヤツもいるけど、あいつは別だ。本当にいい男だよ』って言ってた。もちろん、俺もそう思うな」
 「それにね、彼の小さい息子がいるんだけど、そいつもいい子だよ。ずっと『なんでやねん!』って、振り付きで教えようとしてるんだけど、もし本当にここに戻ってくることがあったら、しっかり教え込んどいてよ」
 僕はこの約束をしっかりと守った。
 あるいは、彼はまた他の旅人から聞いた話しとして「一人で生きてるんではない、って本当に感じた」という言葉を教えてくれた。実感の結果として出てきた言葉は、とても強い。


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