陸路国境
朝の内にヴァラナシを出たバスは、何度かの休憩をとりながら順調に北上した。
農村地帯には、菜の花が咲き乱れていた。そして牛の糞を平たく乾燥させ、うずたかく積み上げた塔のようなものも、よく目に付いた。
国境の町スノウリに着いた頃には、とっぷりと日が暮れていた。バスを降りる前にネパールの出入国カードとヴィザの申請書が配られ、この先の右手にあるイミグレーションオフィスで手続きをして国境を越えること、そしてそこから150メートルほど行った先にあるゲストハウスが今晩の宿である、という説明がなされた。
辺りは暗く、バスの上から荷物を下ろす時には持っていた小さな懐中電灯が役に立った。
まずはインド側の出国手続き。これは比較的スムーズだった。
ネパール側のイミグレの小さな建物の前には長旅に疲れた旅人が、適当に腰を下ろしてヴィザが発給されるのを待っている。二つだけしかない裸電球に照らされた顔は、国を越える不確実性の上にある期待と不安を一様に物語っている。手続きを待つ人の数も20人ほどいるし、作業自体もゆっくりしているから、なかなか手元にパスポートが戻ってこない。焦りと苛立ちの感情すら起こってくる。
係官が、僕の名前を発音しづらそうに読んで、「Japan」と言った。
パスポートには、15日間有効のヴィザがシールとして貼られ、スタンプが押されていた。
ネパール入国だ。
ゲートをくぐり、指定された「ネパールゲストハウス」を探した。宿の親父は、手際よく僕たちを一室へ導いた。6人の相部屋だった。
荷物を気休め程度にチェーンを引っかけて鍵をかけた。誰もが食事のために部屋の外に出ようと思っていたが、ドアに鍵はなかった。一人がダイヤルキーを使っていいよと出してくれて、一足先に行ってしまった二人の日本人のために、番号をひらがなで書いたメモを貼っておいた。ここで紙を貼るのに使ったのは、チャンダの人のいいフロントの男からいくつかもらった「May Peace Privail on Earth」と書かれたステッカーだった。これは、その粘着テープとしての役割が後々にも役立った。
途中、知り合った八木さんという大学生とそれに僕たち3人で、どこで食べようかと歩いていたら、チベットレストランの呼び込みがちょうど声をかけてきた。「冷えたビールあるかな」と、聞くと返事はイエスだったから、そこへ。
何だか英語の歌がスピーカーからやかましく流れていて、ここはネパールなのだろうかという気さえした。みんな同感だったらしく、「ひょっとして朝起きたらさっき通ってきた国境とかも映画のセットみたいな物で、実はみんなだまされていたりして」という他愛のない会話に笑いが起こった。
けれど、スライムを上からちょっと押したような形をしている、蒸しギョウザのようなモモという料理はうまかった。もちろん、ちゃんと冷えたビールで乾杯した。
支払いには、インドルピーも使えるとのことだった。「レートは100インドルピーに対して、160ネパールルピーだ」
これは国境だからどちらの通貨も使えるのかと考えたのだが、実際にはポカラやカトマンドゥでも同じレートで、ごく一般的に使うことができた。けど、もちろんインドではネパールルピーは使えない。
隣国の通貨が使えるかどうか、というのはある意味でその2国の強弱関係を表している。確か、ラオスでもタイバーツが使えたような記憶がある。これも逆は無理だ。
辺りの気温はかなり低く、ゲストハウスのシャワーは水しかなかったので、服も替えずにずっと持ち運んでいる毛布をかぶって眠った。寒いのだが、それでも蚊が何匹も飛んでいた。
朝方、宿を出る時に、日本人を見つけては「オヤジ、オヤジ、オヤジ」と連呼する親父が「バスに乗る時に、荷物を上げてもらっても金を払う必要はないからな」とアドヴァイスしてくれた。
席に着くと、本当に若い男が「荷物を上に載せてやったから、金を払え」と言ってきた。ご丁寧に札束を手にして、いかにも「みんなちゃんと払ってるからな」と言わんばかりに。
今日もバスは走る。ポカラを目指して。風景としてはそれほど変化したようには思わないが、インドよりも空気が乾燥している。
女性のサリー姿がぐんと減った。それに長袖のシャツや、上着を着ている人が多い。
昼食にダルバート(ご飯とカレー数種、それに豆のスープが一つの皿に盛られている定食のようなもの。インドのターリーとの違いを僕はよく分からない)を食べた峠の茶店のような所で、今川さんと八木さんがバスに遅れかけた。二人は戻っていないが、運転手が車を出そうとするので、長谷川君に「バスを待たせておいて」と言って降りようとしたら、「僕が行こう」と一人の日本人が店の方へ走った。
二人は店の裏にあるトイレに行っていた、と言う。事情はあるだろうが、この状況でもしも乗り遅れたらちょっと大変なことになっていたかもしれない。
少し甘いんじゃないかと感じたが、結局は乗れたわけだしそれに何より僕の問題ではないのだから……。
こういうスタイルで旅を楽しむならば、最終的に全ての責任は本人にあると僕は考えている。仮にバスが事故を起こしてケガをしたとしても僕としては「とんでもない運転手だ。ヤツのせいだ」なんて(思ったとしてもだ)口には出さないでいたい。まあ、実際にそんな目に遭ったら僕はわめきちらすのかもしれないけど、いずれにせよ考え方としてはそういう風なものを持っている。
午後の3時がポカラ到着の予定だった。遅れることはあるにしろ、日のある内にはポカラに入れるだろうと思っていた。
しかし2時過ぎに、タイヤ交換をしてこれに時間がかかった。
一本の細い山道を行く。対向車が来たら、どちらかが道路の外によけなければならないくらいの道だ。しかも、その数十センチ先は斜面。上から下までずっと 段々畑になっている。ガードレールなどあるはずもなく、思い出したように縁石がぽつぽつと置かれている程度。
バスには全然やる気が感じられない。登りになると、信じられないくらいスピードが落ちる。
こうやっていくつもの山を越えた。最初は数えてみようかとも思ったが、きりがないのですぐにやめにした。ひたすらに登り下りだった。
また途中でタイヤ交換があった。幸いにしてタイヤ交換はこの2回だけですんだが、そのために3回止まったよ、と言う人にポカラで出会った。
確かに、タイヤ交換についてはそれほど不運ではなかった。とっくに予定の時間は過ぎていたが、それでもまだ十分に明るい内にどこかの村の真ん中の道路で立ち往生。どこが先頭か分からないほどずらっと車が並んでいた。
次第に、バスの後ろにも長い車の列ができていった。
やがて、日が沈んで一番星が見えた。そして気付くと満天の星。寒いと言っても、インドに比べればという程度の気温なのにオリオン座が見えるのはなんだか奇妙な感じだ。オリオン座は、僕に高校受験の冬を思い出させるから。
全く動く気配がない。誰かから「先の方で事故があって、一人死んだんだ」という話しを聞いた。
バスに乗っていた小さな女の子がとても元気にはしゃぎ回っていて、一緒に駆け回ったりして遊んでいた。
ようやくに列が進み出し、さらに山を越えた僕たちのバスがポカラに到着したのは、確か9時を回った頃だった。
途中から乗り込んできたホテルの人間が二人ほど勧誘に来てたが、揺れるバスの通路に立ち「これが庭で、これが部屋だ」と写真を見せてくれた方にとりあえず今晩は泊まることにした。どちらも設備的にはそれほど違いを感じるような説明ではなかったが、写真を見せた方が説得力があった。
それに、暗がりの中で荷物を下ろしていたら「これがホテルパノラマだ」と目の前の建物を示したので、とにかくこれ以上移動しなくていいのなら、という気持ちもあった。
僕と長谷川君、今川さんと八木さんとそれぞれにツインに泊まることにした。割に広い部屋で、整えられたベッドが二つ。毛布もかかっていた。
驚いたことにトイレとシャワーも部屋に付いていた。
スイッチを入れて「40 minutesでお湯が使える」と親父は説明したが、僕はてっきり40秒だと思ってしまい、おかげで一度脱いだ服を着直す羽目になった。
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