シヴァラートリー

 シヴァ神の誕生祭だというシヴァラートリー。数日前から、宿の親父やチベットおばちゃん達からも楽しそうな話しを聞いていた。
 昼間のイヴェントとしては、ペワ湖のほとりで野外コンサートがあった。広場にはステージが組まれ、大きなスピーカーがその両脇に。「ネパールで一番有名なバンドが来るよ」と聞いていたが、会場に至る人の流れの中から見た横断幕には、大きく「ナマステバンド」と書かれていた。他にもいくつかのグループ名が記されていたが、どうやらキンタクンテという日本のバンドも参加するらしい。
 学生料金が設定されていたので、ダメもとで「学生一枚」と言ってみたら、案の定国際学生証の提示を求められてしまい、通常料金を払った。それを入り口で渡すと、代わりにインスタントラーメンが1パック渡された。なんだこれは、と思っていたら、どうもスポンサーがこのラーメン屋らしい。
 長谷川君と芝生に転がって開演を待つが、予定時刻には始まりそうもなかった。ひたすらに音のチェックやマイクのテストが繰り返されるだけ。
 そんなことはあたり前じゃないか、と言わんばかりに最初はそれほどでもなかった観客の数も開始予定を30分くらい過ぎてもどんどん増えていく。後ろの方にはチベットおばちゃん達の姿もあった。しかし内容が内容だけに、どちらかと言えば若い人の数が多く、みんな随分とおしゃれをしていた。
 ようやく始まったそのコンサートも、全然おもしろいものではない。配線がまずいのか、ぶちぶちと曲の途中で音が切れる。見回すと、缶ビールを飲んでいる人の姿がちらほらと目に入ったので、どこで売っているのだろうと探しに行った。
 ところが、「ビールちょうだい」と言うと、「Hot or cold?」と聞かれた。ホットはどうやらそこに並んでいるのをそのまま渡して、コールドと言うと氷の入ったクーラーボックスから取り出していたようだ。もちろん、僕は冷たい方を選んだ。
 午後の日差しが雲一つない空から肌を射し、おかげで多少陽に焼けたようだ。
 これも周りに倣って、インスタントラーメンの袋を開き、粉末スープをまぶしてぼりぼりとビールのつまみに。状況としてはかなり楽しいものがあったのだが、いかんせん歌がどうにもならなかった。
 まあどうせ暇なんだからそのキンタクンテとやらを見てみようと、辛抱強く日に焼けながら登場を待つことに。
 が、これもなんというか失笑してしまった。「地球は大きい、僕らは小さい」とか「人は……」なんというような、全く正確な記憶ではないのだが、時代錯誤をした歌詞であり、また歌自体もうまいものではなかった。僕はバンドとかアーティストとかには極めて疎い方なので、テレビっ子(テレビ人間?)の長谷川君に、「日本でキンタクンテって耳にしたことがある?」と尋ねてみたが、彼も知らなかった。そして彼はさらにこうも言った。「あんな歌をやってるから日本じゃ売れないんでしょ」と。
 しかし、少なくともポカラでは多少は有名なようで、「去年もシヴァラトリーの日に来て歌ってたよ」と、誰かから聞いた。その彼からは「日本でも有名なのかい?」と聞かれたのにはまいった。
 前日におばちゃん達が「前売り券をもう買った。明日が楽しみ」なんてことを言っていたけど、残念ながらぼくらはあまり楽しめなかった。汗を流しながら芝生に寝転がって飲んだビールはうまかったけど。
 その広場を出ようと歩いていたら、後ろの方ではキンタクンテが「上を向いて歩こう」を、これまた独特のアレンジで歌っていて、僕らは顔を見合わせて苦笑した。
 ポカラではどうも飲み食いをほぼ無制限にやっていたので、これではお金が尽きてしまうということに気付いた。だったら、その瞬間から贅沢をやめればいいのに、それができないのが僕の性格。「せっかく、今日は年に一度の祭りなんだから、今晩まではあれこれ食べよう」と考えた。
 最後にぱーっとやろうか、ということになって、湖畔のレストランで300円くらいのテンダーロインステーキを食べた。やはりあまりおいしいものでもなかった。
 その頃はもう暗くなっていたのだが、遠くの方から「パーン」という音がよく聞こえてきた。店を出ると、前方で火を焚いているようだった。そう言えば、昨日くらいから街のあちこちで木を積み上げているのを見かけていた。

焚き火
 ぶらぶらと歩いて行くと、キャンプファイヤーのような火の周りに人が集まっている。そして何か1、2メートルほどの棒のようなものを火にくべている。
 数分するとそれを取り出し、勢いよく地面にたたきつける。さきほどの破裂音の正体はこいつだった。
 そして、焼けたそれをむしゃむしゃとやっている。様子を見ていると、「ほら、やってみなよ」と貸してくれたので、僕も同じように破裂させて口に入れてみた。木の棒のように見えたが、それはサトウキビだった。焼けたサトウキビは焼き芋をもっと甘くしたような味がした。
 ホテルに戻ると、裏庭でももう少し小規模でこちらは焚き火程度だったが、やはり同じように火が燃やされ、サトウキビを食べていた。
 親父は「ほらほら、座んなよ」と、わざわざ僕らのためにござを用意してくれた。近所の人も集まっているようで、宿の家族以外の顔もちらほらと闇の中に浮かんでいた。
 一人の老女が、どんどんと焼けたサトウキビの皮をむいて手渡してくれる。最初の間はしきりに口にしていたのだが、甘いだけという味はそうそう量を食べられるものでもなかった。
 親父は自家製のロキシーを持ち出した。ちょうど灯油を入れるによく使うポリタンクに入っているそれをとくとくと、金属製のコップに注ぐ。この薄手のコップは、安食堂などでよく水が入って出てくるものだ。
 このロキシーはあまりおいしいとは思わなかったが、ヒマラヤの麓で年に一度の祭りで、夜空に火を囲みながらという状況の中にあってはいくらでものどを伝った。
 同宿の日本人の一人は体質的に酒がだめなようだったのだが、親父が「ノー飲む。ノー友達」なんて酔っぱらって言い出すものだから、仕方なくなめるように口にしていた。酔っぱらいほど始末におえないものはない。自戒を込めつつ。
 一人の「ネパール人」の若者と、半分呂律が回らなくなってきた僕とでなんだかいろんなことをしゃべったような記憶がある。「僕は、◯◯族(よく覚えていない)なんだけど、外国人相手にはネパール人だと言うんだ。だけど、それは本当の僕ではないような気がする」というような、彼のアイデンティティーに関する話しが、曖昧な記憶の中で唯一はっきりとした言葉として残っている。
 場が盛り上がってくると、ネパールの人たちが何やら歌を歌いだした。手拍子をしたりして、雰囲気はぐっと高まったのだが、「さあ、今度は日本の歌を歌ってくれ」と言われたのには、居合わせた日本人はみんな困ってしまった。しばらく、あれにしよう、これにしようとごにょごにょやっていたのだが、どうもふさわしいものが見つからない。 ほとんど同世代の人間が集まっていたにも関わらず。
 中には京大の文学部と工学部の学生のカップルまでいることが判明していた。いやはや世の中は狭い。
 多分、僕たちには「日本の歌」として歌えるものを持たないのだと思う。良きにつけ、悪しきにつけ。


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