物見高いものだから、今川さんが航空券の再発行に掛け合うのに、のこのこと着いていった。モハンさんの日本製のマニュアル車は、オートリクシャーや自動車で込み合った道をクラクションを鳴らしながらゆっくりと進む。「以前、ある販売店がオートマを置いたことがあったんだけど、さっぱり売れなくて。こっちでは故障したって部品がないから、みんなマニュアルに乗るのよ」と助手席の仁美さんが教えてくれた。
まずはロイヤルネパールのオフィスへ。マウンテンフライトのためのチャーター機の宣伝ポスターなどが壁にあった。
ここでもモハンさんと仁美さんが大活躍。僕と長谷川君が彼女のために何をしたかと聞かれても……「何も」としか返事のしようがない。ひたすらにロビーに座っているだけだった。かなりの時間を要したが、50ドルの手数料でとりあえずバンコクまでの足は確保された。
次は大韓航空。何もしないでいる僕らを、オフィスの人間が胡散臭そうに眺めていた。そりゃあそうだけど、何もそんな顔をしなくたって。僕は大韓を利用したこともあるんだし、なんて言うはずもなく、やっぱり座り続けていた。
同じく、50ドルでバンコクから関空までも再発行!
めでたく翌日の帰国が決定した。彼女はバンコクのゲストハウスにヴェトナムとカンボジアで買ったおみやげを預けていたから、ちゃんとそれも持って帰れる。
元々は大韓のチケットはH.I.S.で、ロイヤルネパールの方はカオサンの代理店で共に安く買った物だった。まさか僕は格安のチケットが再発行されるとは思っていなかった。多分、どちらかと言えばこれは例外的なケースではないかと思う。
長谷川君は朝から体調が悪く、胸焼けがひどいらしかった。病院に行くことも考えて「歩き方」やら保険の冊子などをめくって、「胸焼け」を英語で何と言うのか探したのだが、見つからなかった。胸焼けで病院へ行く人は少ないということなのだろうか。それにしては、彼はちょっとつらそうだった。
「まさか、バーストバーニングなんて言わんやろな。それやったら、なんかのロボットやんけ」と僕がアホなことを口にする。すかさず「それは、ブレストファイヤー」と、さすがにテレビっ子。そうだ、マジンガーZだ。
彼はちょっと横になっていると言って、今川さんと僕はインドラチョウクへ繰り出した。タメルからまっすぐに南へ歩いた所にあるバザールだ。もう観光客用の土地ではないから、特に誰も声をかけてこない。日用品が店先にぎっしりと並び、道端に置かれたかごには野菜やら果物やら。
赤や青やの色があふれる絨毯屋は、店の2階からも品物をぶら下げている。金ぴかのつぼばかりを売っている店もあった。そう言えば、犬の首輪なんぞもあったけど、飼い犬なんているのだろうか?
建物の狭間の狭い路地に腰をかけてチャーを飲んだ。こんな所でも商売人がいた。プラスティックのおもちゃを売っていた。
30分、いやもっとそこにいたような気もする。何せ、時計なんか見る必要がないものだから。
そこで僕らはいろんなことを話した。今までのこと、これからのこと。彼女の話を聞くと、僕も夏にはインドネシアに行ってみようという気持ちが起こってきた。
旅のきっかけはどこに転がっているか分からない。僕には「アジアを知ることで自分を見つめ直そう」というような大義名分は必要ない。「あ、いいな。行ってみたいな」これくらいで十分だ。もちろん、結果的にはあれこれと考えることはあるが、あくまでそのものを目的にしているわけではない。「旅に求めるものって何?」と聞かれることがあるけど、僕は肩をすくめるしかない。そしてこう言う「うん、とにかく楽しいんやわ」と。
僕はトルコという国になぜか憧れがある。学生の間に一度は訪れようと思っている。けど、考えてみたら来年の夏くらいが現実的なところだ。さすがにそれ以上大学生活を引き延ばしたくない。できれば、再びインドから陸路で行ってみようかとも思う。彼女も「帰ったらすぐに仕事を始めたいから、今年の夏は無理だと思うけど、来年の夏はトルコ」と語った。「ひょっとしたらまた会社やめてるかもしらんけど」と笑った。
「また、どこかで旅を共にできたらいいね」、とうなずき合った。
辺りにはゴミが散乱し、道行くおっさんがビンロウの赤い唾を地面に吐きつけ、砂ぼこりが光の筋道を形作っているような道端で、そして僕らも汚い格好でチャーを飲んでいる。けれど、この上ない心地よさがあり、まるでジグゾーパズルのピースがぴったりとはまるように、自分がここに含まれている。一体、日本での毎日を律していたものは何なのだろう。
それを否定するつもりは決してない。けれど、こういう生活もできる自分がある。確かにそれは日常を離れた旅であるからかもしれない。非日常だからこそ、とも考えられる。堂々めぐりに陥っているかもしれないが、それこそが僕の旅。僕よりずっとタフな旅をしている人も、そしてパックツアーのような旅をしている人もいる。けれど、僕のスタイルには「お金」「安全」「健康」そして「快適さ」という条件を外すことはできない。あ、これは日常生活と同じか?
こんな風に、自分について考えることのできる時間と余裕がたっぷりあるのもまた旅の魅力の一つ。別に結論を出す必要もない。自分にとっての明確な解答を得られる日が来るかもしれない、あるいは来ないかもしれない。どっちだっていい。いずれにせよ、僕は僕の旅を楽しむ。
ダルバールスクエアへ出ると、刀、猫の顔の形のパイプ、ペンダント、腕輪、お面などの骨董品的なものをぎっしりと並べた露店が集まっていた。
旧王宮周辺のどこかの建物に腰をかけて、夕暮れ時を過ごすのは気持ちよさそうだ。
処女神クマリの化身が住む館へ足を踏み入れると、中庭では二人の子どもが走り回り、一人のおやじがぼーっと立っていた。今川さんが「クマリに会えるらしいんやけど」と言ったので、そのおやじに聞いてみると「そこの賽銭箱に10ルピー」
すると左側の2階の窓から、化粧をしたものすごい不機嫌そうな顔をした十代前半と思しき少女が顔をのぞかせる。「まったくもう」というようなぶ然とした表情のまま、10秒もせずに奥に引っ込んでいった。僕は何となく「ダンス・ダンス・ダンス」のユキを連想した。
崇拝の対象になるのは初潮が始まるまでで、以降は不幸な運命をたどることが多いとか。夕方のカトマンドゥで一瞬だけ人生を交錯させた観光客は、彼女の目にどう映ったのか知る由もない。