カトマンあれこれ
カトマンドゥで何をしたっけ、と考えても中々記憶がよみがえらない。1週間も滞在したにも関わらず、である。一つには随分といい加減にしか記録していないノートのせいでもあり、また実際に何もしていないからでもある。
スワヤンブナートはちょうどホーリーゲストハウスの屋上から右手の方に見えた。小高い丘の上に建つ仏教寺院である。近そうに見えるから、歩いていこうという提案に基づいて(僕が言い出したのだが)、タメルを抜けててくてくと歩いていった。結構歩いたんじじゃないかなという頃になって、丘の上に寺院らしきものを発見。
すると一人の男が、歩み寄ってきてにこにこしながら、額に赤い印を付け、髪の毛に小さな花びらを数枚散らした。もちろん即座に「100ルピー」と要求してきた。もちろん最初からそうなることは予想できたから、断っていてもよかったのだが、なんとなく地元の人っぽくなれたし「グッドラックだよ」と言ってくれたので、気持ちだけ払った。彼の間の抜けていたところは、100ルピーと言いながら手元のかごの中には細かいルピーやパイサ貨しか入っていなかったところだ。
こう言った類の人をみんな突っぱねるのではなくて、もっと柔軟に(適当に)その時の自分の感じ方や雰囲気でやっていけたらいいと思う。どこにも正解があるわけではないし、楽しい方がいいのだから。
さて、実は目の前にあった寺院のさらに奥のさらに高い所がスワヤンブナートであった。真下から見上げる階段はなぜか中程から反り返っていた。50メートルほどあっただろうか。ヒーヒー言いながら登った。こういう時に、普段いかに運動不足かが思い知らされることになる。
ストゥーパにはブッダの目玉がデザインされ青を中心に鋭いまなざしが四面に描かれていた。また、モンキーテンプルという別名が示すように、あちらこちらに猿がいた。中には堂々と供えられている花をむしゃむしゃやっているものもあった。
もちろん、懲りたから帰りはリクシャーを使った。
ボダナートもまた仏教寺院である。ここのストゥーパは世界最大だそうだ。同じようにブッダの目玉が四方にデザインされているのだが、スワヤンブナートに比べると鋭さに欠ける。ストゥーパの先端から、万国旗のような賑やかな旗が風に揺れていたが、近寄って見てみるとそれにびっしりと経文が記されていた。
この先数キロにあるゴカルナ森へ行こうとタクシーを拾った。王室の狩猟場だったこの森では、運が良ければ孔雀などにもでくわすことがあるらしい。
ちゃんとそのアルファベット表記を見せて、メーターでオーケーを取った。ところが、動き出したのは逆方向。「パシュパティーナト?」なんて聞いてくる。「ゴカルナ」とか「パーク」とか言ってみる。運転手は車を止めて、周囲の人に聞いてUターン。おいおい、メーターリセットしろよと思っていると、「100ルピー」と唐突に。道が悪かったのでスピードがほとんど出ていなかったこともあり、飛び降りた。メーターはここまでの運賃11ルピーを示していて「払え」と言われたが、誰が払うものか。
次にようやくつかまえたタクシーのおっちゃんは、「すぐそこなんだけど」と言いつつも、ちゃんとメーターで走ってくれた。
ところが、門は閉ざされ「closed, 3 years after」とそこにいた人に言われた。タクシーの運転手が聞いてくれたところによると、観光のためのエリアを作る工事中なのだとか。
しかたがないので、再び乗り込んで今度はパシュパティナートへ。ここはヒンドゥー寺院で、異教徒は中に入れない。門には銃を携えた門番がしっかりと見張っている。門の向こうに見えたのはヒンドゥーの聖獣、牛の像、の巨大な尻だけ。ただ、入ることはできなくとも、隣を流れている川の対岸の土手から中の様子をうかがうことはできる。ベンチに腰掛けて、日光を目一杯に浴びながら寺のざわめきや、火葬の煙を眺めやる。川の流れが淀んでいるだけに、ガンガーより汚く目に映る。岸には死者のためのオレンジ色の小さな花びらが打ち寄せられている。
火葬がおこなわれているまさに目の前まで近づくことができ、またガンガーと違って写真撮影もできる。けれどさすがに、悲嘆にくれる遺族の目の前で単なる好奇心だけからシャッターを切ろうとは思わない。
人の焼ける匂い、確かに焼き肉のような匂いもする。それに何だか化学的なくすんだ匂いが混じっている。
一度ナガルコットへ出かけた。カトマンドゥから東へ35キロ。ヒマラヤを眺める海抜2100メートルの展望台だ。タメルの中の一軒の旅行代理店でチケットをとり、バスに揺られること数時間。
しかし、僕はこの旅の間でもっともつらい目に遭った。体調が悪かったのだ。具体的には、体全体がだるく、熱が出て、節々が(特に腰)が痛んだ。だから宿に入っても、とりあえずは横になるくらいしかできなかった。その夜は食事をする気にもなれず、ただ、ひたすらにベッドの上でのたうち回っていた。ほとんど一睡もすることができず。翌朝になっても体調はすぐれず、ぐったりとしていた。
それでも表に出ると、山の清冽な空気が体に浸透していくようだった。明け方に雨が降ったために、やはりヒマラヤは雲に覆われ、わずかな切れ目から険しい山並みが見えただけだった。
一晩たっても回復の兆しが全く見えないので、カトマンドゥに戻った僕はタクシーで病院へ直行した。日本の援助で建てられたというトリブバン大学病院へ。86年に建てられたそうだが、やはりネパールの土地に染まった雰囲気で、決してきれいだとは言えなかった。正規の診療時間は終わっていたので、受け付けで「緊急外来」へ行くように指示された。薄暗い廊下を歩いた先の大きな部屋では、交通事故でもあったのだろうか、血を流した数人が手当を受けていた。
近くにいた人に「医者にみてもらいたいんだ」というと、「どんな症状だ?」と聞かれたので「昨日から熱が下がらず、全身がだるく、腰が痛い」と伝えた。ところが彼が医者だったらしく、目をのぞきこんだり、聴診器を当てたりした。「お腹の調子は?」と尋ねられたが「腹だけはノープロブレムだ」と答える。
手際よすぎると思えるほど簡単に診察と問診が終わると、処方箋を書いてくれた。「保険の申請に必要だから書類を書いてもらえないだろうか」と頼んだが、「診察費はいらないよ。この紙を持って、薬局で薬を買えばいい」と、彼はとても親切だった。
薬は2種類あったのだが、ネパール製とインド製の錠剤で、どちらも飲み込むときにのどに引っかかるほど大きかった。
不安感がなかったと言えば嘘になる。けれど、確かに1度飲んだら熱はすっと引いたし、痛みも随分とおさまった。逆に言えば一回服用しただけで劇的な効果が上がる方が怖いのかもしれないが。翌日には完全に復活したので、結局3回ほど飲んだだけだった。
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