街との相性

 朝、早々にパトナジャンクション駅へ。ツーリストインフォメーションで尋ねたら「中に入って座りなよ」という具合に、上々の滑り出し。
 「ガヤ行きの次のエクスプレスは10時20分で、2時間くらいで着くよ。もし何か困ったことがあれば、またここに来てくれ」と、身振りを交えて親切に言ってくれた。
 チケットを買って駅員に尋ねたら6番線だと。そう言えば、駅の前で観光案内するよと話しかけてきた人も「ガヤなら6番線か7番線だよ」と言っていた。一人に聞いただけでは不安が残るが、とりあえず複数の筋から得た情報なのでまず間違いがないと思った。
 ホームに置かれていた、荷物を運ぶ大きな台車に腰掛けて、スタートレックのペーパーバックをめくりながら待つ。すぐ横では靴磨きの少年が働いている。まずざっとほこりを落として、歯ブラシでクリームを塗って、黒と白のクリームを指でべとっと取り出し、缶の上でこねる。それをブラシにちょっとだけ付けて、シャッシャッと小気味よく磨いていく。靴紐は最初に外してあるので、ピカピカになった靴にそれを結わえ直して完了。手際よく、かつ丁寧に仕事をしていた。
 3人ほどが次々と彼に頼んでは小銭を払っていた。その間彼はしゃがみ通しだったが、全員分が終わってすっと立ち上がると、伸びをするでもなく、道具箱を片手にしてすぐに「ポリッシュ?」と次の客を求めて歩いて行った。
 ピカード達の活躍する宇宙空間に想いを馳せながらも、じっと列車を待つこと2時間以上。10時過ぎにようやく入線。屋根やら連結部やらからも続々と人が降りてくる。
 人混みをかき分け、進行方向窓際の座席を確保。2等の座席は木製で、かなりごつごつとしているが、2時間くらいなら全然問題でもないと思った。インド人が後から後から詰めてきたのでかなり窮屈だったが、大多数は通路にしゃがみ込んだり、あるいは屋根に乗ったりしていたので、まだましだと思っていた。
 荷台に荷物を置き、チェーンをかける。目の前の人に「ガヤ?」と尋ねたら肯定の返事をしたようだったので一安心。
 ……出発しない。しかし大勢が乗り込んでいるのだからいずれは動き出すのだろう。
 1時間、何をするでもなく座っていたら唐突にガッタンと動き始めた。しかし次々と駅に止まって行く。どうやら普通列車のようだ。いずれにせよ、普通運賃しか払っていないからいいか。
 動き出すまでもずいぶんとやきもきしたが、実際に走り始めたのだからいずれはガヤに着くだろうと思っていた。
 人が乗り込む度に、次々と割り込んできたり、ちょっとだけ腰掛けていたやつがいつの間にやらどっかりと腰を下ろしていたりで窮屈さは増すばかり。それでもがんばって、自分のスペースだけはなんとか確保。
 流れる風が強すぎる。残念ながら僕が腰掛けた側の窓にはガラスがなかったので、熱風を受けっぱなしだった。ただひたすらに草原と畑が続く。
 腰が痛い、だるい、暑い。昼を過ぎると、日光が直接に右半身を襲う。じりじりと焼けつくようだ。
 徐々に不安が心を支配する。しかし乗ってしまった以上身を任せるしか術はない。エクスプレスでは2時間だったが、そんなのはとっくに過ぎている。もしこれがガヤに着かないにしろ、さすがに終点はそれなりの街だろうから、とにかくそこにたどり着こうと思った。
 しかし、明けない夜はなく、終点に着かない列車もない。夕方4時になってようやくにガヤジャンクション駅。
 かなりつらい5時間だった。こちらはぎゅうぎゅう詰めの座席だったのに、ちゃっかり荷台に陣取った親父は気持ちよさそうに寝ていた。次からは真っ先に荷台を狙おう。
 とりあえずは駅でヴァラナシ行きのチケットを押さえて、サイクルリクシャーでブッダガヤ行きのバス停まで。
 何だろう。相性みたいなものか、チャイ屋や飯屋、雑貨屋などがあり、リクシャワーラーが客待ちをしているごくありきたりの駅前通りの風景なのに気持ちがいい。電車ではあれだけ疲れたはずなのに、「これはいけるぞ」という理由のない興奮の予兆が体を駆けめぐる。昨日着いたパトナーでは全く逆のことを感じた。なんだか街がぎすぎすしていて、馴染めなかった。
 10分ほど走ると、「あのバスだ!」と目の前を走るバスを指さし叫ぶリクシャワーラー。彼が大声を出したので、例によって車掌は車体をバンバン叩いてバスが止まった。用意していた5ルピーを支払って、バスに飛び乗る。ついている。
 車掌が「こっち、こっち」と一人のおじさんを立たせて席を作ってくれた。おじさん、ゴメン。でも僕もかなり疲れていたので、本当に助かった。
 それほど大きな街ではなく、郊外に出ると畑が続く。ぽってりとした夕陽が地平線の彼方にあって「すごいなあ」と思わずつぶやいていた。
 40分ほどで終点のブッダガヤ。とたんに、一人の親父が日本語で「あれ、ビルマ寺。あっちが……ホテル」と教えてくれる。ブッダガヤには各国の仏教寺院があり、宿泊施設も備えている。もちろん自国からの巡礼者用ではあるが、我々外国人旅行者だって泊めてもらえる。
 ビルマ寺には10ルピーで泊まれると言うのでとりあえずはバス停の真向かいのそこへ。鉄製の門をくぐると、木々の茂る中に打ち捨てられた北校舎という雰囲気のコンクリートの建物がいくつか。比較的きれいなものは、ビルマ人の巡礼者専用とのこと。我々外国人が泊めてもらえるドミトリーにはずらっとベッドが並ぶが、誰も泊まっている気配はなく10年ほど使われていない体育倉庫のような状況だった。聞くとシングルでも30ルピーとのことだったので、そちらに泊めてもらうことにした。
 6畳分くらいはある、かなりゆったりとした部屋で、窓とドアにはきっちりと網戸まである。机とイス、それに洗濯用のヒモまであるし、天井のファンはきっちりと回った。
 廊下で出会った人に教えてもらったポレポレ(ゆっくり、ゆっくり)という飯屋へ。ベジタブルチョーミンとコロッケ、それに久しぶりにラッシーを頼んだ。メニューには他にも、オムライスや親子丼それにお好み焼きまで並んでいた。
 随分と待って出てきたコロッケには驚いた。焼き芋ほどの大きさの揚げたものが二つ、皿にどかっと乗っている。中身はじゃがいもとタマネギだけだったが、ケチャップとチリソースをかけて食べるとそれほど違和感のない味だった。食べきるのはちょっとつらいほどの量だったが。
 食後には冷えたペプシまで飲んだ。昨日の昼にカレーを食べて以来のまともな食事だった。
 ビルマ寺は、説教を聞かなくてはならないということもなく、あまりお寺という雰囲気はなかった。ちらほらと黄色やえんじ色の法衣をまとった坊さんを庭で見かけたくらい。
 停電は頻繁にやってきたが、おかげで蛍を数多く見ることができた。中庭の木の上の方でもピカピカと光っていたし、窓の向こうの草原ではあちらこちらでひっきりなしに点滅していた。日本で見る蛍よりもずいぶんと明るい気がした。それは蛍の光が明るいからなのか、周りが暗闇だからなのかは定かではないが。
 シャワーはもちろん共同だった。電気のつく小屋の方は水が出ず、水が出る方には電球がなかった。懐中電灯のわずかな明かりの元で汗を流して、洗濯をした。明日からは明るい内に浴びようと思った。


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