寺めぐり

 マーケットのはずれにある店で朝食代わりのチャイを一杯。どうやら、店の人の話ではすぐ目の前がチベット寺らしいので、まずはそこへ行ってみる。
 サンダルを脱いで、石造りの階段を上がり本堂へ。極彩色の中の大仏。何気なく、50パイサだけ寄付をした。帰り際にお坊さんに頭を下げたら、片方の手のひらで祈るようなしぐさの挨拶が返ってきた。
 メインのマハーボーディー寺院への入り口は過ぎてしまったようなので、明日の楽しみにして、道なりにズンズン歩く。太い通りは一本しかなく、大体それに沿ってマーケットや各国の寺院があるので、道に迷うはずもない。
 と、次に目に飛び込んできたのは中国寺。先ほどのチャイ屋で、群がってきた一人が「中国寺は、つい最近新しくなったんだ」と言っていた通り。黄色が基調で漢字が書かれていて、いかにも中国という雰囲気だ。
 次はタイ寺。これまた屋根の飾りと言い、入り口に立つ鬼のような像と言い、まさにタイだった。名前もそのまま「ワット・タイ・ボードガヤ」と書かれていた。
 中には「美徳の中に身を置けば成功する」というような、人生訓めいたことがいくつか書かれていて、何となくふんふんという気にさせられる。
 入り口に出ていた屋台でミカンジュースを頼んだ。手回し式の器械を使って、その場で混じりっけなしのジュースを搾ってくれる。値段は「ドゥールピー」だった。ところがそれは英語のトゥーがなまったものでも、ヒンディーの2を表すドゥーでもなく、じゅうルピーだった。「ここら辺はみんなこの値段だよ」と親父は言うけど、そんなことよりも意外な所で日本語に出くわしたことに驚いた。
 フィルムが終わったが、新しいのをザックに入れ忘れていたので、泣く泣く100ルピー支払って売店で一本購入。売り子がちょっとだけ日本語ができたので話しをした。イママヌフセインという名だった。彼は「日本人観光客がいっぱい来るから、日本語を教わった」と言った。彼はわざわざ日陰にベンチを移して、チャイをおごってくれた。
 日本の寺には「釈迦堂」と書かれた額が飾られていた。「なんて書いてあるんだ」と旅行者に聞かれたから、とっさに「The house of Shaka」と答えけど、通じたようだ。
 日本寺はやっぱり日本の様式の寺だった。敷地の中には「ぼだいじゅがくえん」と看板が掲げられた施設があって、小さな子が走り回っていた。また地元の人のために、医療面での協力も行っていた。蛇口からちょろちょろと流れ出る生ぬるい水で顔を洗った。拭かずにいたけど、あっと言う間に乾いた。心地のよい暑さだ。
 道を引き返そうとしたら、フセインが「あっちにまだある」と道を示した。

インドにある日本的な大仏
 あった、あった。大仏が。素足で歩いた黒い石は、直射日光に照らされていてずいぶんと暑かった。夏の浜辺のように、ぴょんぴょん跳ねながら歩いた。
 ブータン寺の本堂の天井に精密に描かれた曼陀羅は美しかった。
 どこの寺でもそうだと思うけど、その国のことを少しでも知っている人にとっては「ああ、これこれ」と思えるのではなかろうか。僕の場合は、タイと中国と日本だった。しかし、一口に仏教寺院と言っても、実に様々な違いがあるのだということを知った。
  車もリクシャーもほとんど通らず、周囲は畑や草原が広がっているだけなのでとても静かだ。透明感のある水色の空、日差しは強いが風が吹いているのでそれほど暑いとは思わない。
 しかし、どれだけ居心地がよくても、銀行の仕事が遅いのはやはりインドだ。必要事項を書いて、チェックとパスポートを渡したら、えらく重々しい番号札を渡され、奥の窓口へ行けと指示された。そこでも「待て」と言われ、ようやく両替できて「レシートをくれ」と言ったら、また最初のデスクへ行けと言われた。
 そこにきれいに化粧をした日本人女性の3人組がいた。お、これはと思い、昼御飯を一緒に食べようと誘ってみようかと思ったのだが……。
 その中の一人が用紙に記入しながら「ねえ、パーポーズって何」と連れに聞いていた。「サイトシーイングって書いておけばいいのよ」と答えていたが、すごいな、これでも十分に旅ができるんだと感服した。もちろんそれは「purpose」だった。
 感心はしたけれど、やはり一人で昼食をとることにした。
 入った食堂は薄暗く、テーブルの上には無数の蝿。ヤツらを飛び立たせないように、そうっとメニューを開いて、そうっと食べた。
 宿に戻る途中で「サルガンセキ」って声を掛けてきた男がいた。「静かな村でのんびりしませんか。もちろん、ぼったくりとかしませんよ」と、えらく流暢な日本語で。彼にひょこひょこと着いていったら、小さな集落の中の一軒に連れて行かれた。薄暗い家の中には古漬けのような匂いが漂い、壁にはシヴァ神か何かの派手な絵が飾られていた。
 ヤシから採れるジュースをすすめられたけど、さすがにこれは断った。「決して、無理に飲ませたりはしませんよ」と言われたのにはまいった。彼は団体客相手のみやげ物屋を経営していて、当然日本人が上得意だから言葉を覚えたのだと言った。
 最初、猿岩石と声をかけてきた理由を尋ねたら「そう言うと日本人は喜ぶ、と以前聞きました」
 まったく、みんな好き勝手なことを吹き込んでいく。ま、実は僕もあまり人のことは言えないのだが。
 それ以外にも彼は日本の事情に詳しく、麻原の名前も知っていた。女性信徒の集団を引き連れてブッダガヤを訪れたこともあるそうだ。そして、「ブッダが悟りを開いた菩提樹の元に自らも座ったから、今はばちがあたったのだ」と言い、手錠を掛けられるまねをした。
 「ホーリー祭までここにいたらどうですか。楽しいですよ」と誘ってくれたけれど、僕はホーリーをヴァラナシで迎えるつもりでもうチケットも予約していた。
 午後には風が強くなり、ヤシの葉もばっさばっさと揺れていた。
 ポレポレでさして冷えていないビールを飲みながら、ぼんやりとスタートレックを読んでいた。すると大学で日本語を学んだという一人の男(この世の悲しみを一心に受けたような悲痛な目つきだった)が、「インドのお酒があるから飲みませんか」とこれまた丁寧な日本語で話しかけてきた。静かに本を読みたいのにじゃまをするうざったい男だと思っていたけど、「酒」の一言にあっさりとやられた。6時にまたこの店で会おうということになった。
 ミネラルウォーターにはいくつも種類があるが、最もポピュラーで、そして最もまずいYESというブランドがある。「イエスはやばい」という噂も聞いたこともある。僕は知らずに数回飲んだが、はっきり言って本当にまずい水だったので、以降はそれしか売っていない場合をのぞいてこれには手を出さなかった。
 彼がインド製だと言って持ってきた酒はそのイエスのペットボトルに入っていた。ほのかに白濁して、度数はほとんどなく、そしてまったくおいしくはなかった。ぷかぷか木炭のかけらも浮かんでいた。
 けれど酒は酒だ。テント張りの店、足元は土、小さな虫が集まるランプや裸電球の光を眺めながら、僕は何も考えられずにいた。
 彼は僕に向かって「あなた日本語上手ですね」ってほめた?さらに「髪の毛真っ黒できれい。私好きです」なんてことまで。おいおい……。
 と、「私20ルピー、あなた20ルピー」と金を請求してきた。なんだおごりではなかったんだね、とあたり前のことに今さらながらに気付いた。けれどおっさんよ、俺が頼んだビールはただで飲ませたじゃないか。でもまあ「おちゅまみ」とか言って、米粒くらいのスナックをくれたけどね。
 で、店を出る時には「Good night.おやすみなさい」と店員に言われた。ホントにみんな日本語知ってるな。まあそれだけ日本人がよく来るということだろうけれど。


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