人はなぜ夕陽を見るのだろう

 ガヤ駅の案内所では「4時間でヴァラナシ」と聞いていたから、余裕を持って5時半には起きようと思っていたのだが、目覚めたら6時半だった。
 ちょっとあせったが、前の席の美しい女性に聞いたら「ここはムガールサライ」
 結局目覚めてから1時間ほどで到着。3週間振りのヴァラナシだ。
 さっそくプラットフォームに降りた途端にリクシャワーラーが寄ってくる。けれど、まずはアーグラー行きの切符を押さえたいから取り合わない。ところがインフォメーションも外国人用窓口もまだ閉まっていて、開くのは10時からだった。
 とりあえず先に宿に向かうことにする。もちろん、この間泊まったチャンダゲストハウスだ。一人が「20ルピーで行く」と言ってきたところをとりあえず「5ルピーでどうだ」と言ってみたら、意外にもオーケーだった。ちょっと怪しいとは思った。そんなに安い値段で行くはずがないから。
 住所が記されているチャンダのカードを見せたら「そこはノーグッドだ」と予想の範囲にある返事。「いいからそこへ行ってくれ」
 彼は場所が分からないようで何度かカードを見せろと言われた。走りながら「1キロで……」と何やらごにょごにょと言い出す。知ったことか。「俺は5ルピーしか払わんで」
 どう考えてもかなりの回り道をして見覚えのある風景にたどり着いた。結局「20ドル払え」と言い出す. アホか。
 僕は5ルピーだけ取り出して、「5ルピーを取るかどうかしか選択肢はないんやで。駅でちゃんとそう言ったやんか」と言い放った。しかし彼は「そんなもんいるか、お前がチャイでも飲め。1キロで5ルピーなんだ」と語気を強める。
 「いらんのやったら、別にええで」と僕はさっさとゲストハウスの中へ。
 「僕のこと覚えてる?」「もちろん。本当に戻ってきたんだね」
 そこで彼に事情を話したら、どうやら彼がいくらか払ったようだった。ちょっと申し訳ない。ロビーにいた旅行者もやりとりを聞いていて「払う必要はないさ」と言ったが、ネパール人の人のいい親父は「コミッションを払わないと、リクシャーが客を連れてこないんだ」という彼の立場を説明してくれた。
 おもしろいもので早稲田の彼が使っていた1号室を僕は70ルピーで使わせてもらえた。確か彼は一泊90払っていると言っていた。
 まずは熱いシャワーを浴びて疲れを落とす。
 お、あのちょこまかしていた愉快な子じゃないか。彼はもうすでに赤色の染み込んだ服を着ていた。色水をかけ合って春の到来を祝うホーリー祭はまだ数日後だが気が早い子ども達にとってはもう始まっているようだった。
 誰が教えたのか「ホントウ?」としょっちゅう口にしていたけれど、早稲田の彼が教えた「ナンデヤネーン」もちゃんと覚えていた。ただし、振りが伴っていなかったので僕はここの滞在中に彼に教えようと思った。
 屋上に上がり、久々の風景をぐるりと眺める。ブッダガヤでもよく見かけたリスがここにもいた。家の屋根をちょこまかと走り回っている。もちろん猿もあちこちにいるし、緑色の美しい鳥も飛んでいた。
 エレクトリックカソーバの煙突も煙を吐いている。風の中に漂う死体を焼く匂いを、僕の鼻はすぐに察知するようになっていた。

色粉売り
 宿の子と一緒にホーリー祭の準備のために、色粉と水風船を買いに出た。祭りの日はもう二日後に迫っているから、色とりどりの粉、水風船、水鉄砲、それに仮装用の紙製の帽子などがどこでも売られいてる。その帽子にはなぜだか2ルピー札のコピーが貼られている。けれどこの手の店の人は、普段は何を売っているのだろうか。
 子どもは大通りよりも、路地を通る方が好きだ。僕もそうだったし、今でも旅の途上では特に「おもしろそうだな」と感じると、足がそちらの方へ向いてしまう。彼と一緒に、チャンダまでのわずかな道のりを、路地を歩いていたら、さっそく上から色水が降ってきた。数人の子どもがニコニコしながら見下ろしていた。祭りの予感が、否が応でも高まってくる。
 夕方、宿の近くでチャイを飲んだ。でっぷりとした腹にルンギを巻いた親父の店だ。店、と言うよりは屋台と言う方がふさわしいのかもしれないが、移動しないという意味においては店と言うべきなのだろう。
 柄の長いひしゃくで水を少々鍋に入れ、八分目ほどまで牛乳を注ぐ。ふわーっと沸いてきたら、スプーンで砂糖をジャッジャッと勢いよく放り込む。そして同じようにして細かい紅茶の葉を混ぜ合わせる。小さなさじで手のひらにとって、味見をしながら砂糖や葉の量を調節する。満足いくものができあがったら、茶こしを通してやかんに入れ替え、もう一度火にかける。小さなかまどのようなコンロはもちろん炭火で、下の方には扇風機が回り、風を送り込んでいる。
 そこまでしてようやく、小さなグラスに注いで手元に渡される。
 鮮やかな手つきに見入って、いれたてのチャイを飲んでいたら、「ボートに乗らないか」と声をかけてきた男がいる。交渉すると、一時間20ルピーにまで下がった。前回は朝日を見るためにガンガーに出たが、今日は夕陽だ。
ガンガーの日没
 もちろん、日の出とは逆、つまりガートのある方に沈んでいく。やわらかいオレンジ色をした丸い太陽が逆光でおぼろげにしか形のつかめないガートの彼方へ。
 対照的に、もうすぐ満月を迎える(ホーリー祭の日が満月だ)白い月が対岸に浮かぶ。
 そういえばカトマンドゥでは三日月だったような気がする。僕の旅と共に、月も齢を重ねてきた。果てしない空の向こうの天体に、なぜだか親近感を感じた。
 寺院の鐘が鳴り、夕空の中を鳥が黒い影となってねぐらを目指して飛んで行く。
 風がほんの少し気温を下げたようだ。櫂を操る水音もゆったり涼しげに響く。かすかに姿を残す太陽が、ガンガーにオレンジ色の帯となってとけていた。
 昼間の焼け付く熱気は失われ、穏やかに霞んだ空は間もなく完全に光りを追い出すだろう。その狭間の、静かでいて動的な空間に僕はいた。
 ボートの漕ぎ手の若い男が、ゆったりと独特の節回しで歌を歌った。
 ガンガーに夜が来た。
 夜が来たなら何をするか。もちろん酒を飲む。昼間でも飲んでいるけれど。
 前回三人で行った、市場の中ほどにあるイェルチコというレストランへ。ビールからラムやジンまでインド産の酒の品揃えが信じられないほどに豊富だ。
 ブラックラベルとキングフィッシャーというビールを一本ずつ飲んで、オレンジの香のする甘ったるいジンを飲んだ。真っ赤なマトンご飯と鳥の唐揚げを食べて、税込みで286ルピー。とんでもない値段だ。けれど、日本円にすると900円ほど。たまには日本の感覚でいってもいいだろうと、自分を説得する。
 普段はできるだけ現地の金銭感覚でやろうと思っているが、僕の場合酒だけは例外だ。旅人の中にはそれがタバコという人もいた。大概どこかしらに「ゆずれる一線」を画している。
 柱が鏡ばりになっていて、酒を楽しそうに飲む自分の姿をみながら、ほろ酔いの僕はぶつぶつとひとり言を言っていた。はたから見ても危ないぞと認識してはいたが、杯を重ねながら頭の中にある考えが言葉になってゆく。
 とりとめもないことを考えながら、ふと、サラリーマン生活を25年ほど続け、家族を養ってきた父親が、実はものすごく偉いのではないかと今さらに気がついた。けれど、毎日ネクタイを締めて満員電車に揺られて、という生活は自分にはできなさそうだが。所詮は学生の戯言か。


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